二千年前の奴隷解放令/ The Emancipation Proclamation of 2,000 years ago
光武帝が最初に着手したの民政政策は奴婢の解放である。前章で述べたように、王莽時代では、法に触れて奴婢とされるものがきわめて多く、また、生業を失った農民は、生きるための手段として、その妻を売りその子を売って、奴婢とした。光武帝は即位の翌年、建武二年(二六)に、まず売られて奴婢とされたもので、父母のもとに帰ることを希望するものはこれを解放することを命じ、建武六年(三〇)には王莽時代に法に触れて奴婢とされたものをことごとく赦免して庶民とした。
その後も地方を平定し、その地域を支配領域に加えるごとに、このような奴婢解放令を発布した。また、建武十年(三五)には、奴婢を殺したものの罪を厳罰にし、逆に奴婢が人を傷つけたばあいに死罪にする律を廃止している。これらの奴婢政策は、奴婢制度そのものを廃止するものではなかったが、こころならずして奴婢とされたものを救済するという意味で、当時の社会の底辺に鬱積する不満を解消するとともに、王朝の基盤となる庶民を充実を意図したものであろう。
西嶋定生著『秦漢帝国』講談社版・中国の歴史2、1974(昭和49)年、p.414
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