中世

2020年8月31日 (月)

関 曠野が言うところのプラトニズムとはなにか?

 前回の投稿にからんで、関 曠野の「プラトニズム」というのは、イタリアの Ficino を中心とする neoplatonismo や17C後半の Cambridge Platonists と関連があるか?、という質問をうけました。その応答を書きます。

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2018年11月10日 (土)

少年易老學難成 ・・・ の作者は《朱子》ではない

「少年老い易く学成り難し」

若いと思っているうちにすぐに年老いてしまい、志す学問は遅々として進まない。年月は移りやすいので寸刻をおしんで勉強せよということ。
小学館日本国語大辞典、より

 そしてこの項目には、辞書編纂者の驚くべき補注が加えられています。

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2018年7月 6日 (金)

中世ナバール王国の貴公子ザビエル(Xavier)

 ザビエル(Francisco de Xavier 1506-52)は、イベリア半島の付け根、ビスケー湾(大西洋岸)寄りのピレネー山脈沿いにあった、中世ナバラ王国のバスクの血をひく名門貴族出身です。

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2017年5月29日 (月)

「朕の新儀は未来の先例」

 表題は、今から七百年前の帝王の言である(後醍醐天皇)。一瞬「未来を予言する最良の方法は、未来を作ってしまうことだ」をつい想起してしまう。

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2017年4月19日 (水)

尼将軍の檄

 時は承久三年(1221)五月十四日、京で逼塞させられ、虎視眈々と機会を窺っていた上皇、後鳥羽院は、ついに鎌倉への反攻の挙兵に出た。翌日には、北条義時追討の宣旨・院宣を発する。

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2008年1月17日 (木)

サルミ・テルマ・カクセイ(番外編)

 この朝鮮半島で行われた奴隷狩り戦争の際、大嶋忠泰の主(あるじ)、島津義弘が略取してきた朝鮮人陶工たちの宛がわれた地が、苗代川である。そこに明治大帝の御世、生を享けた少年、朴茂德。彼こそが、日米開戦時および敗戦時の外務大臣、東郷茂徳その人である。

 数奇な歴史のめぐり合わせと言うべきだろうか。

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2008年1月16日 (水)

サルミ・テルマ・カクセイ

「こんど、家来の角右衛門が日本へ帰るので、テルマとカクセイをお土産に届けさせた。無事に着いただろうか。そのうちコカクセイ一人は娘にやってほしい。私も戦場で十一歳の子どもを手に入れ(求め)て召し使っているが、ひどい病気もちで困っている。いずれ娘にもテルマを一人、手に入れ(求め)て贈ろう。また拾左衛門尉殿にも下女にでもできそうな子を一人、手に入れ(取り)て、次のお土産にしよう。ただ、いまは加徳カドクという島の暮らしで、食べるのがやっとだから、そのうち手の者をやって、手に入れたら(取り候わば)送りたい・・・。」
 藤木久志『新版 雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り 』朝日選書(2005年)、pp.62-63

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2007年11月 7日 (水)

理非の判断権分有の原理

 この表題は、西洋法思想史になじみのある方なら、一瞬、「自然法」のことではないか、と思われるだろう。

 ところが、これは鎌倉時代の武士の法意識をあらわしたものなのだ。

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2007年8月18日 (土)

映画「アズールとアスマール Azur et Asmar」(2006年)

 素晴しいアニメーション。とにかく美しい。緻密な絵柄も美しいし、動きも滑らかかつ繊細。音楽もイスラム風とヨーロッパ風が混交して心地よい。

 この日本語吹き替え版がまたよい。特に、クラプー(香川照之)の、イスラム世界を毒づきながら、それでもなおこの地を愛してるダメ西欧人が秀逸。また、その天才ぶりを包み込む天真爛漫なシャムスサバ姫(岩崎響)が愛らしい。

Synopsis_05_2

 

 絵のタッチが、私の遠い記憶の中にある、東映動画「安寿と厨子王丸」(1961年)を思い起こさせる。いま、「安寿と厨子王丸」の製作会社の解説を読むと、全編動く大和絵だという。だとすると、このイスラムのミニチュアール(細密画)を意識しているであろうフランス映画と、その絵画性において同調していることも頷ける。

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2007年3月 5日 (月)

煮られトマス(3)、少し追記

通りすがり氏コメント再考

 足踏堂氏のコメントをきっかけに、通りすがり氏のコメントを再読してみた。氏のコメントを再度分析し、敷衍すると以下のようになるだろう。

1)トマスは死後、聖人に列せられることは確実だった。

2)したがって、その遺骸が聖遺物となることも確実だった。

3)聖遺物を保管する教会、聖堂には、ヨーロッパ中から多数の巡礼が来ることが見込まれた。

4)多数の巡礼があつまる教会、聖堂は結果的にではあれ、金銭的に潤った。

5)トマス終焉の場所である、フォッサヌォーヴァ修道院は、たまたまシトー会に属し、そのシトー会は既に前世紀の信仰的高揚も、教会内における勢力も失っており、ただひたすら、現世的利益のみを追い求める嘆かわしいメンタリティしか持ち合わせがなかった。

6)よって、フォッサヌォーヴァの修道士たちは、トマスが自分たちの修道院でなくなった天佑(?)をこれ幸いと利用して一儲けをたくらんだ。

7)しかし、無論、トマス自身が属していたドミニコ会から遺骸引渡しの要求、ないし実力行使による奪還が予想されるため、修道院内をあっちこっちと保管場所を移した挙句、引渡し妨害工作の止めとして、とうとう「聖」トマスの亡骸をシチューにして、鶏がらのようにしてしまった。

8)本来、キリスト教徒には、イエスを頭とする「一つの体」という理想があり、それゆえ先に天国へと登った聖人は現世の者たちの願いを神に「とりなし」してくれ、したがって現世のおいて奇跡を起こす、と信じられてた。それが、聖遺物崇拝の背景である。

9)すると、自らと一体であるはずの、そして尊敬すべき先人であるはずの「聖人」候補の遺体を、バラバラにし白骨化させるために煮る、という行為は、聖遺物崇拝の延長線上には考えることができず、となれば、現世的な、経済的利益を求めてのものとなる。

10)それを、宗教的、思想的行為とみなすのはどうかしている。信じられん。

 こうして改めて、考察すると、通りすがり氏の論に関して気づくことが二つある。

第一。ホイジンガの説明に対して一言も触れていない。この「煮られトマス」事件についての私の解釈は全面的にホイジンガに依拠しているわけで、私を(実質的に)アフォ呼ばわりするのは結構だが、それではホイジンガ説に対してどう反論するのか、ということは何らなされていないこと。

第二。聖遺物崇拝について、その背景を説明してくれたのは大変勉強になった。しかし、それは何故、聖遺物がキリスト教徒により崇拝されるようになるのか、の説明ではあっても、その説明が聖遺物という、「もの」が崇拝される、いわばキリスト教フェティシズムが、「骨まで愛して」レベルまでエスカレーションしないということを、全く論理的に保証しないこと。ないし、そのことにほとんど思い至っていない、ということ。

 第一は、おそらくホイジンガの「中世の秋」を何ら読んでいないため、コメントできないのだろうと予想できる。また、第二は、歴史を読むことが、時間的、空間的他者を解釈するという、知的に、繊細かつ robust な思考力を要求される行為であるにも関わらず、ご本人がそれに耐え得る知的体力を持ち合わせていないことを証しているように思われる。

 きついコメントをされたので、柄にもなくきついコメント返しとなった。ただ、誹謗中傷レベルに堕するまでに至らず節度は維持されていると思うので、引き続き有効な反論を戴けるのであれば、私としては本当に望外の喜びである。

 若干、追記。なぜ、通りすがり氏が、庶民の聖遺物フェティシズムと修道士たちの「トマス煮」を結び付けられないのか不思議だった。だが、こう考えれば疑問が解ける。つまり、庶民は無知蒙昧なのでフェティシズムに陥るが、修道士のようなスコラ学を学んだ知的エリートはそんなんことにはならず、トマスを煮ることの、現代から見ても納得のいく合理的理由があるはずであり、それは経済的利益だろう、というものだ。もし、この憶測が正しいのなら、この人物は、学知(scientia)の世界に己の価値観であるエリート主義を無自覚に持ち込む単細胞か、差別主義者であるに過ぎまい。

下記記事、およびコメント欄、参照。
1)煮られトマス
2)煮られトマス(2)、若干書き直しversion

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