東アジア

2007年9月 7日 (金)

古典古代の西洋と東洋(2)

前回記事で足踏堂氏からコメントを戴いた。そのおかげで1点氷解した疑問があるので、忘れないうちに記しておくことにする。氏のコメントへの応答についてはまたおいおいということでご諒解戴きたい

 さて、今、私は 1冊の優れた思想史の本を読んでいる最中。そして、つくづく思うのだ。過去、この列島に繰り広げられてきた優れた精神活動のどれ一つとっても、海峡の向こう側、大陸文明の影響下にないものはない、と。それへの受容も反発も含め、中国大陸および朝鮮半島の精神活動は、巨大なる「他者」なのだ、と。

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2007年9月 4日 (火)

古典古代の西洋と東洋

 ベルリンの壁崩壊後、ヨーロッパで、共通の歴史教科書を作る動きがあり、すでに生み出されている。それ(下記)を見ると、案の定、ヨーロッパの古典古代としてギリシア、ローマが記されている。

 しかし、近代ヨーロッパの資本主義、ないしビジネス文明を主に形成してきたのは、アルプス以北のプロテスタント的文化であり、それは地中海文明に属する古代ギリシア・ローマとは明確に異なる。それにも関わらず、「我らが偉大なる古典」とされる。

 その一方で、日本はその黎明期から圧倒的な中国文明の影響下にあった。だが、中国の古代古典文明を「我らが偉大なる古典」として、そのまま素直に受け入れられない部分がある。

 それはなぜか。二つの理由が考えられるだろう。

1)古代ギリシア・ローマは、すでに文明として滅んでいること。それに対して、現在地球上で、古代文明の後裔で唯一、中国は健在であること。

2)言語的に、古代ギリシア・ローマは印欧語族に属すが、中国語と日本語はその言語系統を別にすること。

 というところで、次回に。

ヨーロッパの歴史 (Histoire de l'Europe)
欧州共通教科書
フレデリック・ドルーシュ総合編集
木村尚三郎監修、花上克己訳
東京書籍(1994年)

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2007年7月17日 (火)

中国人は「漢文」を読めるか(2)

F.Nakajimaさん、まつもとさん、どうも。

 F.Nakajimaさんが引いてくれたサイトでもわかりますように、現代中国語を解するだけでは、「漢文」を読解するのは困難だと思われます。

 かつて旧知の中国人留学生に、「中国人は漢文がダイレクトに読めていいねぇ。」と言ったら、「中国人が皆、古文(つまり、四書五経や唐宋八家文のような古典)を読めるわけながい。」と、笑われてしまったことがあります。「古文の原テキストは、句読点もなにもない、ただ漢字だけが延々と書かれているもの(白文)で、文をどこで切るかで、意味が全く逆になったりする。これを読むために、古来、多くの学者が解読を試みてきた(これを経学 ケイガク という)のだから、何の古典教養もない人間が、中国人というだけで読めるわけがない。日本には訓読法があるので、日本語訳と解釈を同時に処理できるから、初心者には逆にハードルは低いかもしれないが。」というのですな。

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2007年7月15日 (日)

中国人は「漢文」を読めるか(1)

 知人から概略、以下のような質問を受けた。

質問1.現代中国人は、いわゆる日本人が高校で習うような「漢文」を、中国語として無理なく読めるのか。

質問2.高校漢文などで習う「漢文訓読法」は、外国語の古典として「漢文」を読む際には意味があるのか。

 これについて、「漢文訓読法」にも、外国語としての「中国語」にも素人の私が答えるのは赤面の至りだが、その周辺のことで見聞したことがないこともないので、少し書いてみることにする。明らかな間違いや誤解もあるかと思うので、気が付かれたら、コメント戴ければ、幸いである。

1)いかな生粋の中国人でも、古典語としての中国語を学習、訓練していなければ、いわゆる「漢文」、つまり古典文語としての中国語は理解できない。

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2007年7月 1日 (日)

追いかけて、「桐一葉」

 碧梧桐から、「桐一葉」が気になりまして、ついつい調べちゃいました(-_-;。以下はその成果*。

 関連する出典を、時代順に箇条書きしました。

1)『淮南子』(紀元前2世紀)、「巻十六 説山訓」

見一葉落
而知歳之將暮
睹瓶中之冰
而知天下之寒
以近論遠

一葉落つるを見て、
歳の将(まさ)に暮れんとするを知り、
瓶中(へいちゅう)の氷を賭(み)て
天下の寒きを知る。
近きを以て遠きを論ずるなり。

淮南子(中文)

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2007年6月30日 (土)

海ゆかば(2)

**************
 また、三田演説会で福沢が「今は競争世界なり、ゆえ理非にも何にも構うことはない」、「遠慮に及ばぬ、〔支那の土地を〕サッサと取って」しまえ、と公言したことを『演説集誌』第二号で知った吉岡弘毅は、次のように批判した(『六合雑誌』1882年8月30日)。

 これ堂々たる我日本帝国をして強盗国に変ぜしめんと謀る者なり。是(かく)の如き不義不正なる外交政略は、決して我帝国の実利を増加する者にあらず。ただに実利を増加せざるのみならず、いたずらに怨を四隣に結び、憎を万国に受け、不可救(すくうべからざる)の災禍を招来に遺さんこと必せり。

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2007年5月 5日 (土)

井上勝生 『幕末・維新』シリーズ日本近現代史(1) 岩波新書(2006年)

 本書の内容は多岐にわたる。したがって、本書執筆における著者の意図とその成果にのみ注目して論じることにする。

1)維新史は書き改められたか

 本書「はじめに」pp.iv-v において著者はこう記している。

「「極東」の東端という、地勢上、有利な位置にある日本においては、発展した伝統社会のもとで、開国が受け入れられ、ゆっくりと定着し、そうして日本の自立が守られた、というのが本書の一貫した立場である。」p.iv

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2007年4月29日 (日)

「普遍」を「特殊」に引きずりおろす方法

 「普遍」を「特殊」に引きずりおろすには、二つの方法がある。

1) その「普遍」を一つの「特殊」として含むような、新たな「普遍」を導入する。

2) その「普遍」を、イデオロギー批判なり、イデオロギー暴露によって、「ほらね、俺たちと同じ穴の狢じゃない!」として、「特殊」カテゴリーに編入してしまう。

 日本思想史のお家芸は、2)だ。その代表選手が、本居宣長の漢意(からごころ)批判。しかし、これだと、結局、「特殊」同士が自己主張(意地の張り合い)をしているだけで、なんら、新たな議論のステージに立てない。だから第三者の「特殊」などがそこに登場すると、単なる「特殊」の団子状態で、議論の収拾がつかず、実力行使により雌雄を決する、という陥穽にはまり込むこととなる。明治コンスティチューションがその誕生から77年後、幻の大東亜共栄圏として散華してしまったのはその必然的帰結とみなすことが可能だ。

 以上の議論は近日中に、一つの書評の一部として組み込み、記事化する予定。

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2007年3月20日 (火)

海ゆかば(1)

    海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
    山行かば 草生(くさむ)す屍
    大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ
    かへりみはせじ
    (長閑(のど)には死なじ)

  詞は万葉集巻十八「賀陸奥国出金詔書歌」(国歌大観番号4094番。新編国歌大観番号4119番。大伴家持作)から。

 1937年に作曲された信時潔の作品である。ただし、注目すべきは、彼の実父、大阪北教会の牧師であった吉岡弘毅のこと。この続きは、次回へ。

 一度、聞いて見たい方は、↓へ。 

軍艦、海ゆかば、昭和維新の歌

下記も参照されたし。

海ゆかば(2)

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2007年1月19日 (金)

教育改革国民会議**委員はこう発言する、子どもを厳しく「飼い馴らす」必要がある、と

  私は、ひょっとすると大ニッポン国首相アベ・シンゾーって、本当に頭が悪いのかもしれない、と小心な一愛国者として密かに心配していた。

 で、ひょんな検索から、下記の「きっこのブログ」さんの一記事を眼にし、この憂鬱な思いを深くする羽目になってしまった。

アベ内閣の教育改革」by きっこのブログ

 それは、教育改革国民会議**での、一人一人が取り組む人間性教育の具体策(委員発言の概要) *に記載されて、全世界からアクセス可能な状態にあった。

 その一覧表の、行政の部に、こうある。

「子どもを厳しく「飼い馴らす」必要があることを国民にアピールして覚悟してもらう」

 フム、きっこさんが言われるように、この発言自体もかなりクレージーだが、そういう発言を堂々と世界中見せているという神経もクレージーの二乗レベルと思われる。

 大ニッポン国民の一人として、これ以上わが宰相を諸外国から軽視されたくないが、如何せんこれでは、金正日を非難できんだろう、アベちゃん。

*他にも、「大人自身が反省する」、「親が人生の目的を持つ」から、「名刺に信念を書くなど、大人一人一人が座右の銘、信念を明示する」まで、ほとほと口アングリのオンパレードだ。ご自分の眼(まなこ)で確かめられよ。

**旧題には、この教育改革国民会議がアベ・シンゾー氏が選んだと書いたが、間違いだった。下記のコメントにあるように、先々代のモリ・ヨシロウ氏時代の代物だった。ただ、まあ、未だに首相官邸サイトに掲載しているところを見ると、アベ氏も気に入っている? ちなみに、教育再生会議のサイトは下記。

教育再生会議

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2006年12月25日 (月)

teaching と communicating は異なる

 teaching と communicating は異なる。安倍教育改革なるものが目指すというのはあくまで前者。これには、始めから、「教える」立場の人間と、「教わる」立場の人間が前提とされている。ここに対等な人間関係の入り込む余地はない。しかし、子供たちが大人に求めているものは後者だ。なぜなら、communicatingは相互に敬意を払う人間関係にしか成立しないから。そもそも、これがなければ他者の人権など理解出来まい。

 孔子も言っている。

子曰。不曰如之何。如之何者。吾末如之何也已矣。
 子(し)曰(いわ)く、これをいかん、これをいかんと曰わざる者は、
 われこれをいかんともする末(な)きのみ。
『論語』巻第八 衛霊公第十五(Web漢文大系)

 ここに表明されている思想は、teaching としての《教育》の原理的不可能性であり、communicating としての《教育》の原理的可能性なのである。

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2006年6月 2日 (金)

近代日本の知識人について(2)

 では、現代の知識人たちはどうか。

 現代の審議会政治に大量に大学教授が駆り出される理由は、事務局(という官僚の出先機関)によって決定済みの答申内容を、教授たちの権威でそれをあたかも学的に正しいかのように、お墨付きをつけるためであるというのは、周知の事実です。

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2006年6月 1日 (木)

近代日本の知識人について(1)

 明治以降の近代日本知識人の祖形は、徳川期の儒者ではないでしょうか。こう言うためには、一つの事実を念のため確認しておく必要があります。それは、徳川期を通じて儒者の社会的地位が、高いものではなかったことです。

 徳川期イエ社会は基本的に身分社会であり、その裏面として清朝にも李朝朝鮮にもあった科挙制度がありませんでした。イエにはそれ特有の能力主義に基づく垂直的社会流動性の機能はあり、それを利用して卑賤の身から大身に変貌する例もありました。しかし、それはいわば抜け道、便法であって、身分(生まれ)による貴賎という強固な正当性の観念がいささかも揺らぐものではありませんでした。

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2006年5月 8日 (月)

福沢諭吉の光と影(2)*

 事の成り行きで、平山洋『福澤諭吉の真実』文春新書(2004)は、一応、読まにゃマズイかなと思い、なんとか読了した。

 感想を述べよう。

1)文献学的に、これまでに特に問題とされていなかった(?)「時事新報」社説に、正面から資料批判のメスを入れたことは特筆評価できる。誰も気乗りしない作業に先鞭をつけたのは立派だと思う。

2)上記の知見を踏まえ、既存の三種類、福澤諭吉全集成立のプロセスにも資料批判を加えて、著者の新仮説を提示したことは、思想史研究の大前提である文献批判に大いに貢献しよう。

3)ただし、この書が、福澤諭吉思想の新境地を切り開き、従来にない新しい福澤像を提示し得ているか、疑問なしとしない。

4)著者の貢献は、新しい(真実の?)福澤像の再構成のための前提作業の部分である。著者は、自らの業績を踏まえて、少なくとも、著者のいう、カテゴリーⅠの無署名「時事新報」社説と、福澤筆が明らかな文献に基づき、自説を説得的に展開する必要があろう。まだ、決着はつけられていない、と考える。**

5)ただ、著者の指摘する、1892年以降の「時事新報」における石河幹明筆社説に対する、福澤の黙認は、福澤の言論人、思想家としての矜持や志節について、いささかの懸念を呼び起こす。

6)なぜなら、福澤はその『福翁自伝』で、
「新聞紙の発売数が多かろうと少なかろうと他人の世話になろうと思わず、この事を起すも自力なれば倒すも自力なり、仮令い失敗して廃刊しても一身一家の生計を変ずるに非ず、又自分の不名誉とも思わず、起すと同時に倒すの覚悟を以て、世間の風潮に頓着なしに今日までも首尾能く遣て来た、云々」
p.389 慶應義塾大学出版会版著作集第12巻(2003年)
と、発言している。これを信ずるなら、己の信条、思想と根本的に異なる主筆の馘首・交代を、出来の悪い倅の社長就任と交換条件にするというのは、日本近代史上、最大の思想家福澤をしてあまりにもその像を矮小化するものではないか、と思える。いったい、そんな事があり得るのか? 福澤も単なる人の親に過ぎないのだろうか。

 以上が、私のざっとした、読後感である。福澤の真筆社説「脱亜論」については、もうエネルギーが残ってないので、後日、別記事を書くつもり。

*本日は、《明治「憲法」の起源(3)》を記事化する予定だったのですが、土曜日に書いた記事のからみで、急遽、その続きを書くことにしました。この記事を読みに来て戴いた方、どうも、すみません。m(_ _)m

**福澤の明治前期国体論への貢献に関して、下記を参照。
日本における文明開化論――福沢諭吉と中江兆民を中心に
米原 謙(大阪大学)2003.3.29 ソウル

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2006年5月 6日 (土)

福沢諭吉の光と影

 恥ずかしながら、初めて福沢の(筆と推定される)「脱亜論」を全文通して読んだ。字数にして2200字弱(ぺら11枚)である。日刊紙の社説だから当然といえば当然ではある。

 しかし、この「脱亜論」、有名になったのはなんと1960年前後のことだという*。ということは、1885(明治18)年3月16日『時事新報』にこの社説が掲載されたとき、ショッキングとか、スキャンダルとは、読者も、論敵も受け取らなかったと推測できる。つまり、立論としても有り得べきもので、かつ福沢もしくは福沢一派の『時事新報』の論としても、意外とは受け止められていない可能性が高い。

 素直にその内容を読めば以下のようなことか。

 支那、朝鮮は、西洋文明の優秀さを分かろうともしない、恃むに足らない石頭連中だから、そいつらと事を一緒になそうなどと考えていては却って自らが西洋に侮られ、その軍門に下る危険性がある。それよりは、日本は言ってみればアジアの中の西洋なのだから、西洋と同じ文明の立場から、支那朝鮮に臨むべきだ。

 これを、アジア蔑視+ミニ帝国主義、と読めないならば、相当な福沢シンパか、福沢が批判するような「固陋」(文中より)なんだろう。

 で、一昨年出版され、blogあたりでは今も息長く話題にされている下記の書がある。

福沢諭吉の真実    文春新書
平山 洋
新書: 244 p ; サイズ(cm): 18
文藝春秋 ; ISBN: 4166603949 ; (2004/08)

 正直言って、この書をまだ読んでない。ただその論旨は、アマゾン等の要約を見ると、現行の福沢全集には、福沢の真筆でない『時事新報』の論説が相当数入っていて、福沢の侵略主義的イメージは、ある種の資料操作によって捏造されたものである。その真犯人は、当時、『東京朝日新聞』の池辺三山、『国民新聞』の徳富蘇峰とともに、「三名主筆」と称せられた、『時事新報』の石河幹明、である。その操作をなくして評価すれば、福沢にはアジアへの侮蔑やら植民地主義肯定といった面はなくなる、ということのようだ。

 この書に関して、ネットで見かけた興味深い記事があった。参考までに紹介しておこう。私の立場は、読んでないので評価のしようもない。読むまで保留とさせて戴く。

古井戸さんという方のblog「試稿錯誤」の中の、関連記事10点。それにしても、カテゴリー化してくれればいいのなぁ(あまり他人のことは言えませんが)。

1)福沢諭吉の真実: 平山洋さんからのコメントとわたしの回答
2)福沢諭吉の真実 その2 平山洋さんの回答 と 質疑
3)福沢諭吉の真実、再読。
4)福沢諭吉の真実 その3 平山さんのコメントに対するコメント
5)脱亜論、について
6)福沢諭吉の真実、その4 時事新報社説とはなにか 
7)平山さんへの回答、質問
8)脱亜論    アジアは<アジア的>か by 植村邦彦
9)コメント回答、時事新報社説というもの、および 坂野潤治による脱亜論の読み方
10)諭吉と長沼事件  明治14年政変など

*平凡社世界大百科事典「脱亜論」(植手通有 筆)の項、参照。

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2006年2月19日 (日)

藤原正彦 『国家の品格』 新潮新書 2005年(9/最終回)

 藤原氏は、人間は二種類いる*、と信じているらしい。引いてみよう。

p.83**
「・・・。過去はもちろん、現在においても未来においても、国民は常に、世界中で未熟である。したがって、『成熟した判断が出来る国民』という民主主義の前提は、永遠に成り立たない。民主主義にはどうしても大きな修正を加える必要があります。」

p.83
「・・・。真のエリートというものが、民主主義であれ何であれ、国家には絶対必要ということです。この人たちが、暴走の危険を原理的にはらむ民主主義を抑制するのです。」

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2006年1月29日 (日)

「藩」が公式に使われたのは明治初期の2年間のみ

 渡辺浩『東アジアの王権と思想』東京大学出版会1997年
より。

p.8
 周知のように、「藩」の語は、江戸時代においては公式の用語ではなく、明治二年(1869)の「版籍奉還」からその二年後の「廃藩置県」までの間、公式の名称であったにすぎない。一般化したのは、十八世紀半ば以降である。

p.9
 だとすれば、江戸時代中期以降ならともかく、その初期について「何々藩」などというのは、誤解を招きやすい時代錯誤的表現だということになる。
 本書では、「藩」の語は、その点を注意して用いることにする。また、「幕藩体制」の語は、「幕」も「藩」も問題含みである以上、用いないことにする。
 江戸時代の政治体制は、端的に「徳川政治体制」と呼ぶ。

この項、続く予定(これは頑張ります -_-;)。

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2006年1月19日 (木)

小さな発見

 あまり関係がなさそうな二つの本に、共通する人の名前がありました。本読みにとっての大事な楽しみの一つです。大げさでなく、醍醐味、です。

マイケル・イグナティエフ『アイザイア・バーリン』石塚 雅彦 (翻訳), 藤田 雄二 (翻訳)、みすず書房(2004年)

藤田 雄二『アジアにおける文明の対抗―攘夷論と守旧論に関する日本、朝鮮、中国の比較研究』御茶の水書房 (2001年)

 後者は地味な本ですが、日本では珍しく知的に痛快な本。これを論評するには中途半端では難しい。腹くくったときに書きます。

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2005年11月27日 (日)

朝鮮人を甘やかすな

 11月17日に、国連総会第3委員会は、北朝鮮による「外国人拉致」などの人権侵害を非難した決議案を賛成多数で採択した。共同提案者はEU加盟国や日米など計45カ国である。このとき、六ヶ国協議に直面している中国、韓国は投票を棄権した。

 私の記憶に間違いがなければ、この日の夜、フジテレビの23:30から放送している「LIVE2005 ニュースJAPAN」なる番組で、キャスターの松方某が、棄権した中国、韓国を指して、

「北朝鮮を甘やかす中国、韓国」

と発言していた。

 この、曲がりなりにも独立した主権国家を「甘やかす」と言い放つ感覚をどう表現したらよいか私は困っていた。そこに、天佑というべきか:-)、同じようなことを高言している人物について、某MLで知る機会があった。

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2005年8月23日 (火)

天下を保つ匹夫(顧炎武)

是故知保天下。然後知保其國。
  「是の故に天下を保つを知って、然る後その国を保つを知る。」
保天下者。其君其臣。肉食者謀之。
  「国を保つ者は、其の君其の臣。肉食者之を謀る。」
保天下者。匹夫之賤。與有責焉耳〈上はム、下は矢の字〉。
  「天下を保つ者は、匹夫の賤、与かって責め有るのみ。」  

《だから、天下を保持することを知ってこそ、その国を保持することを知る。国を保持するのは、その君主とその家臣のごとき上流階級が考えることである。天下を保持するのは、一人一人の人民が関与して責任を持たねばならないことなのである。》

顧炎武(1613-1682)『日知録』、
中国文明選、顧炎武集、朝日新聞社(1974)、p.381-388

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2005年8月12日 (金)

東アジアにおける法理念

 以下の記述は中国法史の泰斗のものです。日本でも状況は同じでしょう。秩序=法とは人民が創り上げ、改訂していくものであり、それは可能であり、かつ近代社会(=対等な個人が暮らす社会)においては唯一正当なものであること。これが市民改憲を進める原理です。一人ずつでも説得していければ、必ずや日本社会を変えることは可能です、時間はかかっても。

************************************************************
 法は君主が世を治める道具であり、君主はこれを定め、官僚はこれを守り、人民は受動的にその拘束と保護を受けるだけのものであった。そこからは法が共同体の共有物として権力以上の権威をもつものだという観念は生じ得なかった。
 ・・・(中略)
 「法」と西洋の lex, Gesetz などの語は相通ずる。しかし jus, Recht などの語義、すなわち訴訟を通じて発見される正しさという観念は中国には馴染みがなく、法の字からそれを連想することは困難であった。今世紀の初頭以来、法の近代化の過程で当然変化が生じているが、 Recht の観念に馴染みにくいことは今なお影を落としているのかも知れない。
************************************************************
(滋賀秀三著、[項目「法、中国」]岩波哲学・思想事典1998年)

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2005年8月 7日 (日)

李鴻章の激怒

 明治7年(1874年)5月明治政府は、徳川期日本二百余年間絶えてなかった海外派兵を、台湾に行った。台湾出兵(かつての「台湾征討」)である。しかし、明治政府はその三年前、明治4年(1871年)10月に、清国とのあいだに日清修好条規に締結しており、明治6年(1873年)4月には批准交換、条規は発効していた。その第一条には領土相互不可侵が約されていたが、その舌の根も乾かないうちに早速、その締結国(の事実上の一部領土)に軍事力を向けたわけである。

 これで、その条規成立の清国側立役者、李鴻章は激怒した。出兵事件の最中、赴任した駐清日本公使柳原前光が旧知の李鴻章を表敬訪問した際、李鴻章はテーブルを叩いて激昂している。(毛利敏彦著『台湾出兵―大日本帝国の開幕劇』中公新書1996年 p.173)

 "日本は二百余年もの長期にわたってわが国と条約関係がなかったにもかかわらず、一兵もわが領域を犯したことはなかったのに、いま初めて条約を結んだところ、たちまちわが国に軍事行動をしかけてきたが、これは許せない不信行為であるし、余は皇帝ならびに人民にたいしてまったく面目がたたない。"(同上)

 李の怒りは当然である。日本人は、ロシア(旧ソ連)が条約を守らない札付き国家だ、大東亜戦争末期のソ連参戦を見よ、と言うことを常とする。上記を見れば、それが、目くそ鼻くその類、笑止千万の恥知らずな口吻であることがわかる。

 明治エタティストたちが、「法」(条約、国際法を含む)を建前、お飾りとしか考えない、「力」の信奉者であり、骨がらみの国家理性信者、マキャベリストであることはこの一事でも明々白々である。換言すれば、明治エタティストの世界観は、近代版「国盗り物語」といえよう。その根は深い。

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