幕末・明治維新

2008年9月13日 (土)

「華夷」ではなく「夷華」

 変なタイトルで恐縮。

 ここ20年来、東アジア史の国際関係は、「華夷」型秩序というものを思考枠組みとして考察されるようになっている。

 「華」とは、伝統中国の文明様式総体のこと。考え方だけでなく、より具体的な、科挙、儒家式の冠婚葬祭までを含んだトータルな様式のことである。「~人」に関係なく、この文明様式を踏襲するものが「華」なわけだ。文明の規範モデルなのである。だから、この様式になじまないものは「夷」となる。

 しかし、この「華夷」観念、基本的に誰の眼差しかといえば、無論、「華」の立場からのものである。つまり、さまざまな「夷」に対して、「華」は事実的にも価値的にも、屹立する dominant な存在というものだろう。当然、この「華」なるものにとって、自己を相対化する契機としての「他者」というものの存在は原理的にあり得ない。複数の「夷」はあるけれど、これらはまったくもって「華」を脅かさないわけだ。

 では、「華夷」観念を受け入れた「夷」の立場からの「華夷」観念とはいったいどんな代物なのだろうか。

 それは、文明として事実的にも価値的にも、己と懸絶する模範となるモデルが、自己の外側にあるということだ。

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2008年6月23日 (月)

幕末の危機意識は誰のものか?

 「明治維新」イデオロギーを強く彩る「危機」意識。これは対外的な意識だけではなく、徳川社会そのものへの危機意識でもある。つまり、内と外の「危機」への認識である。

 例えば、開国を巡る「危機」を論じるのは、丸山真男「国民主義」論であり、橋川文三「ナショナリズム」論であった。

 近年の代表的論者は安丸良夫であり、彼の、『神々の明治維新』(1979)・Ⅰや、『近代天皇像の形成』(1992)・第四章「危機意識の構造」、などで、平田篤胤の国学や会沢正志斎の『新論』に注目し、説得的に論じている。

 そこで、平田や会沢の危機意識はよくわかるのだが、ではそれに共鳴したのは一体どのような人間集団だったのか、ということが、一つ引っかかる。

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2008年6月17日 (火)

安丸良夫『神々の明治維新 -神仏分離と廃仏毀釈- 』岩波新書(1979) (ver.2)

 著者は令名の高い思想史家である。特に、近世から近代にかけて、西暦で言えば、1800年代の日本についての考察で、ベーシックな業績を幾つも出している。

 本書は、その優れた書き手によって、いわゆる「廃仏毀釈」として高校日本史で教えられてきたものが、文明開化における単なるエピソードではなく、日本人の心性に甚大な痕跡を残したものであることを、史実に沿って叙述したものだ。「廃仏毀釈」についてその全体像をコンパクトにまとめたものは、本書が初めてだったように思うし、現在でもおそらく新書レベルでは唯一ではないか。「その時、いったい何がおきていたのか」を知るには、とりあえず、本書で十分だろう。また、明治維新、すなわち近代日本を再考するために、読んでおかねばならない一冊と言ってもよい。

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2008年2月28日 (木)

「石高制」ってなに?

古井戸さんのコメントがらみから。

>米自体が貨幣の役割

 はい、そうだと思います。そしてこれには重要な理論的問題が秘められています。

 かつて、カール・ポランニー(Karl Polanyi)は、貨幣を論じて、多目的貨幣 all purpose money と、特定目的貨幣 special purpose money という概念を提出*しました。

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武士と変動相場制(2)

古井戸さん、コメントありがとうございます。

>米自体が貨幣の役割

これは大事な論点なので、別記事にします。

>米で給料をもらう武士が相場、と睨めっこ、して何ができるのでしょうか?

これについては、私が語るより、参考文献から引用しましょう。

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2008年2月22日 (金)

武士と変動相場制

 「士族の商法」という言葉がある。たいていは揶揄として使われる。しかし、これは本当なのだろうか。

 徳川期、武士の禄は、米で支給された。その一方で、武士を取り囲む経済生活は、実質的に貨幣経済である。したがって、武士も支給された米を換金しなければならない。しかし、現代の米価と異なり、当時の米価は相場品である。その上、幣制が、金遣い、銀遣い、銭使いと複雑で、取引のオーダーによって、支払い貨幣は異なっていたのだ、金⇔銀⇔銭、にもそれぞれ相場がたち、日々変っていた。

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2007年12月16日 (日)

議論は「競技」である

 私の病臥中、二つのコメントを戴いていた。

足踏堂さんのコメント
「私は、この列島の人たちが議論において、感情を切り離せないでいるのを度々経験してきました。感情に引っ張られて、なにやらわからない「口喧嘩」のようなものになっていく。議論を詰めるということの大切さこそ、近代議会制の要諦だと思います。それなのに、この国のかたちをつくった薩摩なるところでは、「議を言うな」と言った物言いがなされていたようです。ちょっとそういう雰囲気残っていませんかね?」

まつもとさんのコメント
「さらに悪いことには、それが「議論」というものの範型として相続されているように思います。ネット右翼の(たぶん)若者の議論は、彼らの親たちの世代の戯画でもあるのではないでしょうか。」

 幾つか興味深い点を含んでいるので、記事として敷衍してみよう。topic は二つある。

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2007年11月13日 (火)

spontaneous generation ではなく、 historical generation としての liberal democracy(論理的時間と歴史的時間)

他所様のところへ書いたコメントの再述(すこし改変)と追記。

 禁欲的プロテスタンティズムは、共同体内-外の区別を破砕し、家族内-外、つまり、「身内の論理」をも無くした。これが、近代において、「個- 人」が共同体から析出されてくる、という意味でもあった。そして、その諸個人は、共同体の代わりに、自らを守るため、近代主権国家を「選択的」、つまり自らの意志によって構築する道(=社会契約)を選ばざるを得なくなる。

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2007年9月14日 (金)

大政委任論から近世国家神学への遡行

 あまり以前のように記事が書けないでいる。他方、書評を試みたいものは結構ある。

1)前田愛、幻景の明治、岩波現代文庫、2006年
2)小島毅、近代日本の陽明学、講談社選書メチエ369、2006年
3)小島毅、朱子学と陽明学、放送大学教育振興会、2004年
4)吉田公平、日本における陽明学、ぺりかん社、1999年(ただし、後半1/3未読状態)
5)上安祥子、近世における大政委任論の形成過程、鈴木正幸編『王と公』、1998年、所収
6)源了円、一語の辞典 義理、三省堂、1996年
7)鬼頭宏、文明としての江戸システム、講談社日本の歴史19、2002年
8)佐藤常雄+大石慎三郎、貧農史観を見直す、講談社現代新書、1995年
9)石井紫郎、近世の国制における「武家」と「武士」、岩波・日本思想大系27、1974年、所収
10)前田勉、兵学と朱子学・蘭学・国学、平凡社選書225、2006年
11)末木文美士、日本宗教史、岩波新書、2006年
12)子安宣邦、本居宣長とは誰か、平凡社新書、2005年

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2007年6月 8日 (金)

賞典禄、あるいは「革命家」のボーナス(2)

                                                                                                                                                                                                                                                                         
 

石高

 
 

宮、公家

 
 

薩摩

 
 

長州

 
 

土佐

 
 

佐賀

 
 

 
 

100000

 
 

 

 
 

島津久光・忠義

 
 

毛利敬親

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

40000

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

山内豊信

 
 

 

 
 

 

 
 

20000

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

鍋島直大

 
 

 

 
 

5000

 
 

三条実美   岩倉具視

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

2000

 
 

 

 
 

西郷隆盛

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

1800

 
 

 

 
 

大久保利通

 
 

木戸孝之広沢真臣

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

1500

 
 

嘉彰親王 中山忠能

 
 

 

 
 

大村益次郎

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

1200

 
 

熾仁親王

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

1000

 
 

 

 
 

吉井友実

 
 

 

 
 

板垣退助後藤象二郎

 
 

 

 
 

 

 
 

800

 
 

沢宣嘉

 
 

大山綱良

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

由利公正(福井)

 
 

700

 
 

 

 
 

黒田清隆

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

600

 
 

 

 
 

 

 
 

前原一誠山県有朋山田彰義 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

300

 
 

西園寺公望  四条隆うた  柳原前光

 
 

西郷従道

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

250

 
 

清水谷公考

 
 

 

 
 

桂太郎

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

200

 
 

 

 
 

桐野利秋

 
 

 

 
 

岩村高俊

 
 

 

 
 

船越衛(広島)

 
 

150

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

中牟田倉之助

 
 

 

 
 

曽我祐準(福岡) 

 
 

100

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

土方久元

 
 

江藤新平 島義勇

 
 

 

 
 

60

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

谷干城

 
 

 

 
 

 

 

 利用した秦氏の表を少し組み替えたのだが、意外なことに、この組み換え後の表から、ある種の規則性が伺われる。左上から右下へ、斜めの序列がありそうだ。ま、褒賞なので、不平が出ないように、何らかのルールがないと当然まずいのかもしれないが。この件、要検討とする。

出典 『明治史要』付表、東京大学出版会(1966年)
ただし、秦郁彦『統帥権と帝国陸海軍の時代』平凡社選書(2006年)、p.104より孫引き

*参照  賞典禄、あるいは「革命家」のボーナス(1)

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2007年6月 1日 (金)

「維新神話」とマルクス主義史学(4/結語)

 唯物史観は経済決定論である、という見方に対して、晩年のエンゲルスは、1890年にこう述べているという。

「唯物史観によれば、歴史において最終的に規定的な要因は現実生活の生産と再生産である。それ以上のことをマルクスも私も今までに主張したことはない。もし誰かがこれを歪曲して経済的要因が唯一の規定的なものであるとするならば、先の命題を中身のない、抽象的な馬鹿げた空文句に変えることになる。しかし上部構造のさまざまな諸要因・・・が、歴史的な諸闘争の経過に作用を及ぼし、多くの場合に著しくその形態を規定するのである。」(城塚登「唯物史観」、岩波哲学・思想事典1998

 このエンゲルスの言を検討してみよう。

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2007年5月31日 (木)

「維新神話」とマルクス主義史学(3.1、若干増訂)

 人間の「物質的生活の生産様式が、社会的・政治的・精神的な生活過程のあり方全体を制約している」(城塚登「唯物史観」、岩波哲学・思想事典(1998))。

 これが「唯物史観」ならば、究極的に歴史の動因は人間の自由な意思決定とそれに基づく行動選択とはならず、それ以外の何者かに突き動かされて人間たちは蠢き結果的に歴史を作っていくことになる。

 このような意志の自由が効かない歴史決定論は、未来、および過去の見方に対してどのような帰結をもたらすか。

1)未来
 既に未来への道筋が決まっているのであるから、(もしあるとすれば)その法則を知ることができれば、未来予測が可能となり、より効果的に今を生きることができるであろう。

2)過去
 過去は必然的に選ばれた事象であり、動かしがたいものとなる。つまり、過去の道程は唯一のものであらざるを得ない。なぜなら、それ以外の可能性がもしあったなら、その局面では複数の選択肢があったことになり、その時点での未来(今からすれば過去ではあるが)を人間の意志で選択できたことになる。つまり、歴史はその時点で決まっていなかったことになるからだ。

 マルクス主義史学者が、どれほど絶対主義革命(ないしブルジョア革命)としての明治維新が個人的には嫌いであっても、それを歴史研究の対象とする場合には、それが必然的におきた理由をひたすら「実証的」に調べ上げることとなり、「封建的」であった前政権の徳川氏がどうダメだったかを論証するほかなくなる。

 これがマルクス主義史学が「明治維新」を究極的には肯定せざるを得ない「必然性」である。

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2007年5月29日 (火)

「維新神話」とマルクス主義史学(2)

 

前回の引用文献中に、

**********************************************
 また、このような西南雄藩への関心が戦後も継続したいま一つの理由としては、マルクス主義史学本来のあり方もかかわりをもったといえるかもしれない。すなわち、基本的には発展史観(歴史過程を人間社会の絶えることのない発展の過程ととらえ、常に権力を掌握し時代をリードする側にスポットをあてる)の立場にたつマルクス主義史学本来の発想では、明治維新における敗者である幕府側や朝敵諸藩、あるいは中立的な立場を保った諸藩への関心は生まれにくく、勝者である西南雄藩、およびそれを母体とする維新官僚に関心が集中するのはどうしても避けがたかったからである。
**********************************************

という言があった。

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2007年5月23日 (水)

「維新神話」とマルクス主義史学(1)

以下引用。 家近良樹『孝明天皇と「一会桑」』文春新書 2002年 pp.21-22より。
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マルクス主義史観との関係
 第二次大戦後、王政復古史観に代わって、学界の主流に躍り出たマルクス主義史観においても、分析に対象が反幕勢力におかれた点では変わりがなかった。依然として、西南雄藩(なかでも長州藩)中心に幕末維新期が分析され、幕府や西南雄藩以外の諸藩は軽視ないしは無視された。ただ、王政復古史観とは、近代天皇制を拒否する点が大きく違っていた。
 たまたま、長州藩に関する膨大な史料が残されていたこともあって、同藩の改革を推進した政治勢力の階級基盤や政治・経済綱領といったものが分析され、同藩等での改革が維新政府の政策といかに結びついたかが問題とされ続けてきたのである。
 いささかしつこくなるが、戦後の学界をリードした研究者の見解を要約すると、おおよそ次のような共通認識を有していたといってよいのではなかろうか。
 幕府と西南雄藩の運命を大きく分けたのは、幕末期に実施した改革の成否であった。長州藩等は、内部に対立をはらみながらも、天保期以降の改革に成功をおさめ、「絶対主義(君主専制)への傾斜」を深めた。他方、幕府は改革に失敗し、絶対主義への転化の動きにおいて立ち遅れた。そして、天保期以降の藩政改革の実施によって、幕府に対する自立性を強めた長州藩等の西南雄藩は、やがて武力倒幕に立ちあがり、ついで、武力倒幕派もしくは彼らから脱皮成長した政治勢力(維新官僚)が、天皇を中心とする国家(近代天皇制)を樹立した。
 こうした図式にのっとる以上、戦後も長らくの間、研究者の関心が、依然として倒幕を達成した側の政治的主体に対して集中して向けられ、薩長等の武力倒幕派や維新官僚の分析が急がれることになったのは、自然なことであったといえる。
 また、このような西南雄藩への関心が戦後も継続したいま一つの理由としては、マルクス主義史学本来のあり方もかかわりをもったといえるかもしれない。すなわち、基本的には発展史観(歴史過程を人間社会の絶えることのない発展の過程ととらえ、常に権力を掌握し時代をリードする側にスポットをあてる)の立場にたつマルクス主義史学本来の発想では、明治維新における敗者である幕府側や朝敵諸藩、あるいは中立的な立場を保った諸藩への関心は生まれにくく、勝者である西南雄藩、およびそれを母体とする維新官僚に関心が集中するのはどうしても避けがたかったからである。
**********************************************

 上記に関する renqing のコメントは、次回に。

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2007年5月21日 (月)

自然法 natural law の日本語訳としての、「天地ノ公道」

蝋山 「・・・。それを歴史にさかのぼれば、十七世紀のイギリスの憲政が自立した、たとえば権利章典の出たころ、名誉革命のあったころの思想がずっと尾をひいていると思う。そういう意味において、日本は明治百年を経験して、自然法が日本的に評価されたのは、五ヶ条の御誓文だと思う。これは吉野(作造)先生から習ったけれども、自然法の思想を日本的に訳すと、天地の公道になるという。日本人が国際性のある思想をもたなければならない時代が来ているのではないか。・・・。」
「変動期のなかの政治思想」〈鼎談〉宮沢俊義、蝋山政道、辻清明
『世界の名著』第60巻 付録42、昭和44年12月5日 虎の門「福田家」にて

 ちなみに、「五ヶ條ノ御誓文」の全文を掲げると以下のようになる。法令全書明治元年第百五十六のもの。

引用開始 ****************************************************

御誓文

一廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スヘシ

一上下心ヲ一ニシテ盛ニ經綸ヲ行フヘシ

一官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス

一舊來ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ

一知識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ

我國未曾有ノ變革ヲ爲ントシ朕躬ヲ以テ衆ニ先ンシ天地神明ニ誓ヒ大ニ斯國是ヲ定メ萬民保全ノ道ヲ立ントス衆亦此趣旨ニ基キ協心努力セヨ
年號月日 御 諱

勅意宏遠誠ニ以テ感銘ニ不堪今日ノ急務永世ノ基礎此他ニ出テカラス臣等謹テ 叡旨ヲ奉載シ死ヲ誓ヒ黽勉從事冀クハ以テ 宸襟ヲ安シ奉ラン
慶應四年戊辰三月
    總裁     名印
公卿     各名印
緒侯

引用おわり **************************************************

 引用の、Wikipedia によると、第4条の元来の木戸案では、「旧来の陋習を破り宇内の通義に従ふへし」となっていた由。すると、

「宇内の通義」 → 「天地ノ公道」

となったわけだ。宇内は、「天下、世界」の意で、通義は、recht(法、権利)、ないし、right(権利)の訳だから、木戸案を直訳すると、旧来の遅れた悪い習慣を破棄し、世界の法(権利)にしたがうべし、というもの。前半は、徳川将軍批判だから政治的意図丸見えなのでどうかと思うが、後半は素直に解釈すれば、国際法、ないし自然法に従え、となろう。これなら後半だけは悪くはない。ただ、天皇が神前で発する誓詞に、翻訳語が入るのは好ましからず、とかなんとかと言うことで、多分、「天地ノ公道」に差し替えられたのだろうな。まあ、「宇内の通義」よりは、「天地ノ公道」のほうが、江戸人には通りが良かったろうと思われる。で、この言い換えも悪くはないと思う。

 ただ、総じて言えば、「舊來ノ陋習」が徳川政権にすべて押し付けられ、「天地ノ公道」がすべて新政府という名の明治軍事クーデタ独裁政権に回収されてしまっているので、最終的な効果は、薩長のプロパガンダと堕していることだけが問題か。

〔註〕原本。明治元年3月13日(旧暦)、明治天皇の勅命によって有栖川宮幟仁親王が揮毫したもの。

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2007年5月14日 (月)

Meiji Constitution の賞味期限

 簡略に、Meiji Constitution の命脈が、80年間(1868-1945)で尽きた理由を述べてみよう。

1)近代主権国家を作れなかったこと。
 薩長クーデタ集団は、結果的に分権的な「幕藩体制」を武力で清算した。しかし、兆民の「多頭一身の怪物」、丸山の「無責任の体系」、ウォルフレンの「権力構造の謎」、といわれ続けてるように、中央(=東京)集権にも関わらず、その中央部で、最終的に統治に関する権力と責任が一人の人間ないし一つのポストに集約されていなかったこと。これは、民主政とか君主政、などとは別次元の事であることに注意。妙な表現だが、いわば「アナーキーな権力」、であったことになろう。

2)「(合理的)法の支配」がないこと。

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2007年5月 6日 (日)

小島毅 『靖国史観 - 幕末維新という深淵 -』ちくま新書(2007年)

 読了することはスンナリいったが、どう書いたものか、随分呻吟してしまった。評することが意外に難しい本だ。今も迷いながら書いている。

 著者には、二つのプロテストがある。一つは、「明治維新」は名分の立たない、不当な権力奪取である、ということ。二つ目は、その不義の歴史的事件を、一世紀以上もの間、正当であるとする歴史叙述がまかり通って来たこと。この二つである。

 その二つの問題を一身に体現している存在が、靖国神社ということになる。そこで著者は、靖国神社誕生の歴史的経緯、特にその思想史的経緯を、三つのキーワード、「国体」、「英霊」、「維新」、の概念史(Begriffsgeschichte)的考察を通じて、腑分けし、明らかにしていく。

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