政治

2017年5月19日 (金)

鎌倉時代に「鎌倉《幕府》」は存在しない

 「江戸《幕府》」や「徳川《幕府》」なる語彙が当事者たちの自称ではないことは勿論、当時の第三者からの呼称でもなく、徳川19世紀中頃における政治的意図が込められたものであったことは、弊blogでも幾度か記事化した。すると当然、「鎌倉《幕府》」なる語彙を使った鎌倉時代人たちも皆無であろうと容易に推測できる。以下はそれに関連する evidence の二例。

続きを読む "鎌倉時代に「鎌倉《幕府》」は存在しない"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月22日 (木)

自分の人生に自分が関わること(3)

本記事(1)への貴重なコメントがあり、ご教示を頂いた。深謝。
そのうえ、関連する事柄も思い出したので、記事とする。

続きを読む "自分の人生に自分が関わること(3)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月 7日 (水)

自分の人生に自分が関わること(2)

現代資本主義は、次々とサイズの膨張を求める。
「規模の経済」「労働生産性の向上」「新しい市場」「技術革新(Innovation)」「経済成長」。それと相即するメンタリティーが「数字のロマンティシズム(Zahlenromantik)」(Max Weber)だ。

続きを読む "自分の人生に自分が関わること(2)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月 6日 (火)

自分の人生に自分が関わること(1)

去る12月4日(日)、イタリアにおいて、首相の権限強化を目指す憲法改正をめぐって、国民投票が行われ、政府案は否決され、翌月曜日レンツィ首相は辞意を表明した。

この機運をリードしたのが、イタリア五つ星運動だが、国内外の大手メディアではネガティブな報道が目立ち、いま一つその内実がわからない。そこで、当方が閲覧しているMLにて恰好の動画を教えて頂いたので早速ご紹介。

続きを読む "自分の人生に自分が関わること(1)"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2014年3月28日 (金)

ローマ支配から離脱するヴェネツィア

某MLでご教示頂いた。水の都ベニス(Venezia)が、ローマの頚木(イタリア共和国)からの独立を問う住民投票で、89%の賛成を集めた、とのこと。下記。

89% of Veneto residents vote for independence from Rome ― RT News

続きを読む "ローマ支配から離脱するヴェネツィア"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年8月19日 (木)

佐藤誠三郎「幕末における政治的対立の特質」(1976)

佐藤誠三郎「幕末における政治的対立の特質」(1976)

■内容目次

1.はじめに
2.対外的一体感の高揚と対立の激化
3.再統一への模索

■課題と応答(p.60)

続きを読む "佐藤誠三郎「幕末における政治的対立の特質」(1976)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年8月18日 (水)

佐藤誠三郎「近代化の分岐 ― 李朝朝鮮と徳川日本」(1980)

佐藤誠三郎「近代化の分岐 ― 李朝朝鮮と徳川日本」(1980)

■内容目次

1.朝鮮と日本を比較する意味
2.朝鮮と日本の類似点
3.西洋列強への対応
4.分岐の諸要因
5.ギャップの拡大

■著者の執筆動機

続きを読む "佐藤誠三郎「近代化の分岐 ― 李朝朝鮮と徳川日本」(1980)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月 3日 (木)

20090830総選挙、雑感

 政権交代が実現した。1994年に小選挙区比例代表並立制が導入されてから初めてだ。この制度、趣旨としては二大政党制による政権交替をめざしたものなのだから、今回ようやくそれが機能し出したことになる。導入から15年かかったが、マクロの制度がワーキングするということは、こういった長期で効果が現われてくるものだといえる。

 9月16日にも「鳩山内閣」が誕生する。この日は、21世紀にこの列島に生きる我々にとって、良かれ悪しかれ、「権力の交替」を実感する日となるだろう。

 一つ気になるのは、「国家戦略局」か。近代国家においては、最大の責任を持つものが最大の権力を持つ。とすれば、現憲法下では、内閣が政府権力の中枢でなければならない。それからすれば、またぞろ、自民時代の、国会の屋上屋を重ねる審議会政治の二の舞にならないのか。

続きを読む "20090830総選挙、雑感"

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2009年7月29日 (水)

列島の過去と未来の選択可能性

 これから一ヶ月後に4年ぶりの総選挙がある。その結果が21世紀の列島を生きる我々に何をもたらすのかは、まだ見定めがたい。しかし、たとえその結果がいかなるものであろうと、我々が己の信じる「善き政治」を実現してくれる可能性の高い候補者に、一枚の紙片をもって託すこと、それが今を生きる我々の未来創造行為の一つであることは確かだと思う。
 私はこの一年有半、徳川期から明治期前半に関する歴史書を少しずつ読んできた。それらから、民の、意外なほどの強靭な政治意思と知力を教えられた。そして思うのである。徳川公儀体制は、その列島内での平和団体構築(=自力救済の禁止による徳川の平和)のためのものであった以上、西欧主権国家という未知との遭遇に関しては、歴史からの退場を余儀なくされざるを得なかったのだと。しかし、その一方で、現にある列島史の一齣としての明治期は、その時、幾つかあったかもしれない歴史シナリオの中で実現した one of them に過ぎないのだと。つまり、今ある我々の「近現代」も、幾つかあった可能性の中の一つであると理解することは可能なのだと。
 では、はたして我々が別の世界を作り出すことは可能なのだろうか。これには是と答えよう。なにしろ、過去に生起した事柄には指一本触れることはできないが、我々が未来に向けてなにかを選択するということそのものが、新たな過去を作り出していることに他ならないからである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年7月 2日 (木)

江戸のクラスアクション(集団訴訟)(2)

 先日の記事、徳川19世紀の二つのボーダーレス化において、「文政六年一千七ヶ村国訴」について触れた。同時期の別の事例を知ったので、江戸がいかに訴訟社会であったかを知る手がかりとして紹介しておこう。

①1778(安永7)年、甲府町方大工は、冥加金を出さない在方大工(つまり村在住の大工)が、安い賃金で府内の大工仕事を請負うため渡世に困るので、在方大工の府中入り込みを禁止してほしいと甲府勤番に訴えた。

②1779(安永8)年、在方総代の下山定右衛門以下三人が、町方に①の対抗訴訟を起こす
→ 在方勝訴。

続きを読む "江戸のクラスアクション(集団訴訟)(2)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

Adam Smith | Aristotle | Bertrand Russell | Carl Schmitt | Collingwood | David Hume | Football | Immanuel Kant | Isaiah Berlin | John Stuart Mill | Jules-Henri Poincare | Katherine Mansfield | Max Weber | pops | Shinji Kagawa | sports | Stephen Toulmin | Strange Fruit | Thomas Hobbes | 「国家の品格」関連 | お知らせ | ももいろクローバーZ | アニメ・コミック | イスラム | タミフル(インフルエンザ) | ネオコン(Neocon) | ハンセン病 | パソコン・インターネット | フェミニズム・ジェンダー | 三島由紀夫 | 中世 | 中国 | 中野三敏 | 仏教 | 佐藤誠三郎 | 備忘録 | 古代 | 和辻哲郎 | 国制史 | 坂本多加雄 | 坂野潤治 | 夏目漱石 | 大正 | 大震災 | 天皇 | 学習理論 | 安丸良夫 | 宮沢賢治 | 尾藤正英 | 山田大記 | 山県有朋 | 川北稔 | 幕末・明治維新 | 徳川史 | 思想史 | 憲法 | 戦争 | 政治 | 政治哲学・政治理論 | 文化史 | 文学 | 斉藤和義 | 日本 | 日米安保 | 日記・コラム・つぶやき | 明治 | 映画・テレビ | 昭和 | 書評・紹介 | 朝鮮 | 本居宣長 | 村上淳一 | 東アジア | 梅棹忠夫 | 森 恵 | 歴史 | 歴史と人口 | 法哲学・法理論 | 渡辺浩 | 環境問題 | 知識理論 | 石井紫郎 | 石川淳 | 社会契約論 | 社会科学方法論 | 科学哲学/科学史 | 米国 | 経済 | 統帥権 | 美空ひばり | 羽入辰郎 | 自然科学 | 複雑系 | 西洋 | 言葉 | 読書論 | 資本主義 | 赤松小三郎 | 近現代 | 速水融 | 進化論 | 金融 | 金言 | 関曠野 | 靖国神社 | 麻生太郎