坂本多加雄

2009年12月19日 (土)

《祀る神》vs.《祀られる神》(2)

五ヶ條ノ御誓文 - Wikisourceを一瞥して欲しい。

 さて、この誓文だが、発布の形式に注目してみると以下のことが言えるだろう。

 天皇が「天神地祇」を祭り、「天地神明」に誓文の内容を誓う形式(木戸の案)である。ところがもともとの福岡孝弟(たかちか)の案では、諸侯が天皇の前で誓う方式だった。しかし、福岡案では、天皇が政治的君主であること(天皇親政)は内外に示すことはできるが、天皇が国家的祭祀の主体であること(天皇親祭)が表明できない。つまり、実施されたこの形式で、「祭政一致」、すなわち、天皇が「天祭」を通して窺った「天意」に即して、国民の公議を取ることが可能となる(坂本多加雄 )。

 ただし、それだけではない。和辻哲郎の記紀神話分析 によれば、神々を三つに分類することが可能であり、それは、《祀る神》、《祀られる神》、《祀り祀られる神》である。この三つの神々の中で、《祀り祀 られる神》が最も尊貴といえる。なぜ、《祀り祀られる神》がその地位が高いか。それは、「神命の通路」だからである。 この視点からみれば、天皇を表象するために、天皇にこの《祀り祀られる神》の地位を与えることが最も合理的と言えるわけだ。

※参照
《祀る神》vs.《祀られる神》

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2006年11月23日 (木)

「御一新」 その隠されたモダニティ(2)

「・・・、保守派には明治以来それなりに一貫した教育観があること、しかもそれは土着的・伝統的どころか近代ヨーロッパの国家主義の論理に見事に一致している」p.25

関曠野「保守派の教育観を読みとく」『クレスコ』(大月書店)2006年9月号

「・・・、教育勅語とは何であったかを説明するのは、皇国史観ではなくてこのホッブズの教育論である。」p.25、同上

「そして勅語の意義は特定の思想を吹き込むことにはなく、儀式の魔術的効果によって臣民を思考停止の状態に置き、権利、義務、正義といった権力の正統性の評価にかかわる観念を理解できない人間にしてしまうことにあった。」p.26、同上

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2006年11月22日 (水)

「御一新」 その隠されたモダニティ(1)

 まずは、以下の二つの引用を対照して、その奇妙な並行現象に注目していただきたい。

「おそらく、国学や水戸学的言説で満たされていた当時の思想空間において、「神武創業」は、抜本的革新を志向する文脈に登場してくる必然性を持った観念だったのであり、しかもそれは、王政復古の大号令の一節、「旧来驕惰の汚習を洗い」にもうかがわれるように、長い年月の間に積もり重なった汚濁を排除して、「純粋の始原」の回復をめざすところの、その意味で、日本における「原理主義」とでも呼ぶうるような志向をともなっていたのである。」p.47

坂本多加雄『明治国家の建設 1871~1890』〈日本の近代 2〉、中央公論社1999年

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2006年11月18日 (土)

政治的な対立は、「なに」を実現するかということにとどまらず、まさしく、「だれ」が実現するかをめぐって生じるものだ

表題は、

坂本多加雄『明治国家の建設 1871~1890』〈日本の近代 2〉、中央公論社1999年
p.25 

より。

読了後、感想を掲載する予定。

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2006年3月11日 (土)

坂本多加雄『日本は自らの来歴を語りうるか』筑摩書房 1994年

 今、読み止しの本を紹介するのもどうかと思うが、この本は優れている。中でも、

三. 中江兆民『三酔人経綸問答』再読―「理想主義」と「現実主義」のあいだ

は、傑作の部類にはいるのではないか。著者の所属大学の紀要から転載したものということで、詳細な註が省かれているのは惜しまれる。他の所収エッセイと趣が異なる論文なので、ま、仕方ないか。

 兆民の『三酔人経綸問答』は、数多く論ぜられてきたであろう。そられをほとんど知らない私が言うのはおこがましいが、それでもたぶん五指に入る出来だと思う。

 ただし、私の高評価が、坂本論文の内容への賛意を同時に意味するわけではないことは言うまでもない。*

*あくまでも、価値自由(Wertfrei)な立場からのものである。

下記も参照を乞う。

シャツの第二ボタン

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2006年3月 3日 (金)

シャツの第二ボタン

「えーっと、なんだな、女房ってぇのは、シャツの第二ボタンみたいなもんだな。」

「そりゃぁ、どうしてだい。」

「あっても無くても、同じ。」

 この、志ん生の小話なら、フェミコードには抵触しない?、だろう。

 私のは、《米国にとって、シャツの第一ボタンは China であって、Japan ではない》っていう小話。

「『脱亜論』の根底にあったのが、『文明化』していないにもかかわらず、依然として『大国』であるがゆえに、西洋においても、場合によっては日本以上に配慮が加えられる清国という存在であったとすれば、こうした状況は、実は形を変えながらも今日の欧米と中国、日本の三者の関係に置き換えて考えることができるであろう。天安門事件によって、現在、一時的に冷却期に入っているとはいえ、もともと欧米には中国への過大評価という傾向がある。今日の日本は明治期とは異なり、経済的には自他ともに認める『大国』であり、欧米における中国と日本との比較のイメージが日本人に意識される度合いは低いようである。しかしながら、例えば、アメリカが、ことパワーポリティクスのレベルにおいては中国に少なからぬ重点を置いて常時行動はしていることは、日本の頭ごなしになされたかつてのキッシンジャー外交による米中関係改善にも明らかである。」

坂本多加雄 『日本は自らの来歴を語りうるか』筑摩書房(1994年)*、p.58

 ここには、今の国権派が認めたくないであろう事実でもしっかりとらえ、理由を明らかにしようという明晰な知性がある。それにしても《大国》へのこだわ振りは少々奇異だ。この坂本氏にして対外コンプレックスを引きずっているのか。

*この本は近代日本政治思想史のものとしても、いわゆる保守系論客のものとしても優れている。そして面白い。良きインテリジェンスと対話する楽しみを与えてくれる。某数学者とはエラい違いだ。論者は《作る会》にも積極的に関わっていただけに、その早すぎる死は、保守派、国権派にとってだけでなく、市民派にとっても極めて痛い。なぜなら、公論が磨かれるためには、異なる立場の優れた討論者を必要とするからである。再論の予定。

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