homo homini lupus.「人間は人間にとって狼である」(ver.1.2)
homo homini lupus. (ただし、動詞 est は普通、省略されている。)
Man is a wolf to man.
「人間は人間にとって狼である」
表題の言葉は、Hobbes の言として人口に膾炙している。
それで、本当に Hobbes がそう書いているのか確認してみることにした。とりあえずは、下記で調べた。
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homo homini lupus. (ただし、動詞 est は普通、省略されている。)
Man is a wolf to man.
「人間は人間にとって狼である」
表題の言葉は、Hobbes の言として人口に膾炙している。
それで、本当に Hobbes がそう書いているのか確認してみることにした。とりあえずは、下記で調べた。
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大道安次郎「近代自然法」、新版 社会思想史事典 新明正道編著 創元社(1961年)、pp.114-115、より
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自然状態(State of nature, natural state)
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世界の大思想9 ホッブズ リヴァイアサン(国家論)水田洋・田中浩訳
河出書房新社、1980年(新装版第3版)、p.85上段、より
第十三章人類の至福と悲惨にかんするかれらの自然状態について
「こうして次のことが明らかとなる。すなわち、人びとは、すべての人を威圧しておく共通の力をもたずに生活しているあいだは、かれらは戦争と呼ばれる状態にあるのであり、そして、かかる戦争は、各人の各人にたいする戦争なのである。」
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他所様のところへ書いたコメントの再述(すこし改変)と追記。
禁欲的プロテスタンティズムは、共同体内-外の区別を破砕し、家族内-外、つまり、「身内の論理」をも無くした。これが、近代において、「個- 人」が共同体から析出されてくる、という意味でもあった。そして、その諸個人は、共同体の代わりに、自らを守るため、近代主権国家を「選択的」、つまり自らの意志によって構築する道(=社会契約)を選ばざるを得なくなる。
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一定の見方からのものであり、言葉遣いに少々首を傾げたくなる部分も散見されるが、本書の前半三分の二ぐらいまで、つまりホッブズまでは、それなりに文献を押さえ議論されていて参考にはなった。
しかし、ロック以降結語までの部分は、書き飛ばした観があり、どうもいただけない。気持はわからんでもないが。少なくとも、著者が「自らの主張を自分から疑ってみよう」(本書p.217)としているようには思えなかった。
また、本書全体の論調からして、政治的にも知的にも、著者が、現代においては、所詮、己も民衆(デーモス)の一人に過ぎない、という冷めた認識を持たれていないように見受けられるのは、知的(理性的?)読者をして著者の知的成熟度に一抹の不安を感じさせるに十分なものがあると思われる。
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「・・・、保守派には明治以来それなりに一貫した教育観があること、しかもそれは土着的・伝統的どころか近代ヨーロッパの国家主義の論理に見事に一致している」p.25
関曠野「保守派の教育観を読みとく」『クレスコ』(大月書店)2006年9月号
「・・・、教育勅語とは何であったかを説明するのは、皇国史観ではなくてこのホッブズの教育論である。」p.25、同上
「そして勅語の意義は特定の思想を吹き込むことにはなく、儀式の魔術的効果によって臣民を思考停止の状態に置き、権利、義務、正義といった権力の正統性の評価にかかわる観念を理解できない人間にしてしまうことにあった。」p.26、同上
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今、手元に、『リヴァイアサン』が見当たらないので、二次文献でご勘弁。
p.8
「社会契約説」にみられる、もう一つの重要な原理は、専制権力に反対する権力制限的な思考である。人間がその生命・自由・財産を享受しようとするならば、当然、暴力的・権力的な支配に反対せざるをえないであろう。こうした専制政治を排除する最良の方法は、統治機関が民衆全体の意思にもとづいて選出されることにある。ホッブズの主権者は、全構成員の自発的な同意契約によって設立された全構成員の代表人格とされ、この主権者が立法者なのである。そこで、主権者の命令とはすなわち法律であり、ホッブズが主権者の命令に服せよ、という意味は、全構成員の意思や利益を代表する主権者の制定した法律に服するということであり、そのことは、とりもなおさず、契約当事者たる個々人が自分自身の意思に服することに等しい。ここから、ホッブズは、主権者の命令に服することのなかに、人間の自由の保障をみいだしていたことがわかる。ところで、この主権者は、自己保存という人間の自然権を保障するために必要なルール=戒律である自然法(理性によって発見され、その第一の基本的自然法は平和の確保にある)の要請にもとづいて設立されたために、主権者の行為には、自然権や自然法に違反しない範囲内でその制約がつけられている。したがって、ホッブズは、主権者の命令=法律であれば、その内容は問わないとするヴァイマル共和国期の最も代表的な保守主義者であるシュミット流の悪しき法実証主義者、法万能主義者ではない。実定法の背後に、その良否を審判する、より高次の法=規範である自然法がひかえているという権力制限的思考によって、ホッブズは、中世以来のイギリスに伝統的な「法の支配」観念を正しく継承していたものといえよう。
田中浩「序章-近代政治原理としての『社会契約説』」、より
飯坂良明、田中浩、藤原保信 編 『社会契約説』 新評論 1977、所収
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ロックの言明で重要な部分は、人間の諸権利が自然法の下にあるという点の他に、もう1点ある。
‘as they think fit’
「自分の考え一つでよしとしたところにしたがって」
という部分である。
他の著者から一文を引用しよう。
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以下、
F.ヴェントゥーリ『啓蒙のユートピアと改革』みすず書房1981年
よりの引用。
p.156
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・・「社会主義者」という言葉は、最初はラテン語で、それから急速にイタリア語で世紀半ば(18世紀のこと:引用者注)頃に、はじめて使われた。それは、プッフェンドルフやカンバーランドに由来する自然法の流れを示すために、ドイツ人のベネディクト派のアンセルム・デジンクによって、はじめて使われたように思われる。この流れは人間の社会的本能を意味するソキアリタスを、あらゆる自然法の真の基礎にすえたのである。このカトリックの論争家によれば、これらの思想家、これらの「社会主義者」は結局、あらゆる宗教的要素を自分たちの社会観から一掃し、あらゆる人間の行為をもっぱら社会という観点から考察し、啓示、宗教、教会を無視してしまっていた。彼はこれによって、「社会主義者」が「自然主義者」あるいはホッブズ主義者にさえ、類似すると信じていた。・・・
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下記も参照を請う。
18世紀の「社会主義者」(2)
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