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2019年1月 8日 (火)

北昤吉著 『哲学行脚』 大正15(1926)年 新潮社刊 (現在、翻刻中)

こちらは明治、大正という時代の可能性を示す書籍の第一弾です。

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■北昤吉(きた れいきち)と本書

 二・二六事件で刑死した国家社会主義者北一輝には二歳離れた弟がいました。それが本書の著者、大正・昭和期に活躍した哲学者、政治家北昤吉です。

 北家は佐渡島の名主で、その長男が北輝次郎(北一輝)、次男が北昤吉です。佐渡の漁師町の家訓に従い、兄弟で同じ船には乗らず、奔放な兄と異なり、昤吉は堅実にアカデミシャンの道を歩みます。

 第一次世界大戦の末年に欧州留学の機会を得、母校早稲田の哲学講師を辞めて、四年半の欧州留学に旅立ちます。その哲学紀行の顛末が本書です。米国で一年間、そして英国、フランス、イタリア、と哲学巡礼しながら、ドイツの首都ベルリン、そして目的のハイデルベルクに落ち着きます。 

 本書の白眉は、ベルクソン、クローチェ等との会見記、そしてリッケルトを中心とする新カント派西南学派の哲学者たちとの交流です。著者は英語、ドイツ語の語学力を当地で磨きながら、その大人風の豪胆さを発揮して、米国、欧州で大哲学者の名に臆することなく、自らの意見を遠慮なくぶつけ、彼らの本音を引き出します。

例えば、ベルグソンが熱弁を振るっています。

「・・・。説明の爲に事実をまげるのが哲學の能事ではない。概念も重要だが、これは事実を明らかにする方便としてゞある。概念は事実に取りかはる権利は持つてゐない。私は實在を取り出して、これ御覧なさいといふ丈である。」(本文20‐21頁)

リアリスト(realist 実在論者)の面目躍如というところでしょうか。

 また、リッケルトとの対話では、大戦で戦死した愛弟子のエミール・ラスクに触れて、法哲学者ラートブルッフへ与えたラスクの影響の具体的様子を生々しく伝えています。

「ラートブルヒはラスクがクーノフィッシャーの祝賀論文集に寄せた法律哲学の論文に大に影響されたものです。外にカウフマン教授もラスクに影響されたが、此頃は我々より離れつゝある様です。」(本文40頁)

 ハイデッガーの『存在と時間』の脚注における、ラスクへのさり気ない高評価を弊ブログ記事でも既に取り上げましたが、少なくともラスクを「ああ、新カント派ね。」という一言で片づけるのは後世の人間の知的怠慢という気がします。

 その一方で、著者北昤吉は、米欧の婦人たちとも自ら交流し、その知己を通じて、米国の東部エスタブリッシュメント、欧州の上層社会に、日本男子としては珍しく柔軟に入り込み、観察します。この点もこの紀行文の大きな魅力となっています。戦間期の欧州思想史、社会史、政治史に関心のある方なら、本書の各所に知的発見をされるでしょう。


お詫び
 2020年現在、画像ファイル版をテキストファイル版翻刻する作業を実施しております。改訂作業が完了次第、本サイトにご案内し、弊サイトから、PDFファイルとして直接販売する予定です。

 ※下記の弊記事も御参照頂ければ幸甚です。

戦間期の留学熱

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