知識再生堂(Renqing-Reprint)、発刊の辞

 二十一世紀も二十年近くが過ぎました。ここまでくると、二十世紀を振り返ることも多少はできると思います。

 つい最近まで、二十世紀とは「現代」のことでした。一方、二十一世紀以降に生まれた日本人は、2018年現在、1800万人います。日本の総人口が1億2600万人ですから、それは14%を占め、これらの少女少年たちにとって、二十世紀とは「過去」と言うだけでく、「前世紀」のことになります。反対から見れば、86%の日本人にとって二十世紀とは今なお「現代」といってよいでしょう。

 では、現代としての二十世紀は、いつ始まったのでしょうか。近年の歴史学の流れでは、第一次世界大戦が一つの画期と見なされています。それは第一次世界大戦を境として人類社会に大きな変化、それも不可逆な変化が始まったことを示唆します。

弊ブログ記事、1945年の意味を参照。

 歴史が変わるということは、「当たりまえ」が変化してしまうことだと考えます。すると、二十世紀人の「当りまえ」は第一次世界大戦以前には通用しないと思ったほうがよさそうです。そして、歴史が大きく変わったということは、その前に幾つかの岐路があったと考えたいと思います。しかし、「現代」人である私たちは現に今ある「現代」しか知りません。つまり、「現代」人には、常識の通じない未知の世界が「現代」以前なのです。知識再生堂(Renqing-Reprint)は、このあり得たかもしれない、《もう一つの現代》を探りたいと考えます。

 そのためにどうするか。これまで「現代」人に見向きもされなかった本、今となっては忘れ去られた「現代」以前の書籍の再生を目指そうと思います。そこに「現代」史の岐路を示す鍵を探りたい。これが知識再生堂(Renqing-Reprint)の大志です。

 具体的には戦間期以前の書籍の復刊です。日本の文脈であれば、明治大正知性史( Intellectual History in the Meiji and Taisho Era)、日本以外であれば、1920年代以前から1870年代かけて発行された知性史関連の本です。未知や未発の「当りまえ」を探るのに知性史を中心に挑んでみます。

 そして、媒体は紙ではなく、電子ファイル(PDF)とします。その消極的な理由は、少部数である点等の経済的な面です。積極的な面は、テキスト認識の処理を施すことで、1)キーワード検索が可能(ただし書体等の事情で完璧ではない)になる、2)PDFファイルの「しおり」機能を付加すると、目次上のランダムアクセスができる、3)リンクを埋め込むことでインターネットという知識庫を参照できる、等です。

 読者の皆様が、現代史を再考し、二十一世紀を構想する縁となれば幸いです。
平成三十年六月一日
店主兼編集発行人 上田悟司


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