賞典禄、あるいは「革命家」のボーナス(1)
西郷隆盛2000石(5億4千万円)、木戸孝允1800石(4億8千6百万円)、大村益次郎1500石(4億5百万円)、山県有朋600石(1億6千2百万円)*。
これは、新政府が維新への貢献度に応じて行った論功行賞のボーナスである、賞典禄の支給額の一例。一石=27万円で換算**。「革命家」は一度やったら止められませんな。
**磯田道史『武士の家計簿』新潮新書(2003年)、より。
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西郷隆盛2000石(5億4千万円)、木戸孝允1800石(4億8千6百万円)、大村益次郎1500石(4億5百万円)、山県有朋600石(1億6千2百万円)*。
これは、新政府が維新への貢献度に応じて行った論功行賞のボーナスである、賞典禄の支給額の一例。一石=27万円で換算**。「革命家」は一度やったら止められませんな。
**磯田道史『武士の家計簿』新潮新書(2003年)、より。
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日葡辞書では、確か、nifon、と表記されていたと思います。また、長谷川如是閑も、元来、ニホンの読み方が普通だったのに、軍部や右翼の連中がニホンでは威勢が悪いと、ニッポンと呼ぶようになったのだ、と憤っていたと思います。いまじゃ、NHKもニッポンですから、これは国語学的に考証して、正してもらいたいですね。
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ただ、蘇峰の弟の徳富蘆花というケースもありました。蘆花は晩年パレスティナ順礼の旅に出たりしていて彼へのキリスト教(ヘブライズム)の影響は蘇峰のように、伊達や酔狂では終わりませんでした。
近代日本の知識人の分裂した魂は、蘇峰と蘆花の兄弟に典型的に見ることができると思います。
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先の指摘箇所近くに、社会進化論の影響も論じられています。徳川末期には、蘭学書からの知識として石門心学者の著書に進化の観念がのべられているそうです。日本で進化論が欧米よりも受容されやすかった背景の一つに、ニホンザルが身近にいたこともあるらしい。(「初しぐれ猿も小蓑をほしげ也」芭蕉『猿蓑』)
それよりも、明治初期に流入したH.スペンサー流のものが重要でしょうが。
イエ社会の「立身出世主義」、社会の科学としての「社会進化論」は、日本伝来の「自然」観念と相互に微妙に媒介し合って、ともに非倫理的な、明治の「絶対主義的国家理性」(関曠野)、日本知識人の「便宜主義」(米原謙)、の創出に与っていた可能性が考えられます。
中国からのその地位の承認(近世まで)→欧米列強からのその地位の承認(明治以降)→国家そのものの立身出世→帝国主義競争への参入、
という連想もできそうです。
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米原謙『徳富蘇峰 -日本ナショナリズムの軌跡-』中公新書(2003年)
著者は明治日本から昭和日本への国家としての変貌と、蘇峰の生涯を重ね合わせることで、近代日本のナショナリズムの軌跡をたどった。確かにたどったのだが、何故あの輝かしき「青春の明治」が、1945年の日本の廃墟に至ってしまったのかは、少なくとも私にはこの書からその理由を詳らかにできなかった。
おそらく、文中にある(p.71)、陸羯南の「原理主義」と蘇峰の「便宜主義(オポチュニズム)」の対照性の指摘が、一つの鍵になると憶測するのだが、著者はその点を敷衍して論じてはいない。蘇峰の残した山のような著書に目を通し、それらと生涯を対応させるという作業だけでも、莫大な知的エネルギーの投入を免れないことは理解できる。どう変わったかは了解した。ただ、私が知りたかったのはその先であった。残念な書である。
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統帥権というとその後ろに「独立」という言葉がどうしても付いて回ります。しかし、明治憲法下で統帥権がどうなっているのか。憲法の条文からわかることは以下のことです。
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