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2005年8月14日 (日)

岡義武『山県有朋 -明治日本の象徴-』岩波新書1958(1)

山県有朋: 明治日本の象徴 (岩波文庫)

 この書を読んで印象深いことは二つ。

  一つが、政治的決定における統一性の無さ。元老、陸海軍、衆議院、貴族院、各国務大臣、総理大臣、等が入り乱れて、「力」の群雄割拠であり、決定の時期、問題の性質における各勢力のバランスの応じて、成り行きで、決定事項が結果的に出てくる。

 最終的な決定権者が見当たらず、決定結果に対して誰が最終責任を負うのか不明。これは丸山真男のいう「無限責任の無責任」という類のことではなくて、近代主権国家として政治的意思統一ができないという非常に単純で恐ろしい状況と言える。

 群雄割拠、かつ縦割りの原因は、陸軍なら陸軍、内務省なら内務省がそれぞれ、「イエ」になっているからである。そのため、イエのボーダーを越える公法的権威が必要だが、それが期待される天皇は、明治憲法上、その無答責と国務大臣の輔弼のために不可能だった。

 結果的に明治クーデタの当事者たち(=元勲)が代替していたが、彼らが去りかつ日英同盟という、つっかえ棒が外れてし
まう昭和初年には、国家中枢においてアナーキーな状況が生まれるに至る。

もう一つは、山県の政治家としてのあまりの運のよさ。彼は、明治クーデタへの貢献度から言えば、常に二番手以下にすぎない。本書中にもその例証として、長州系列の賞典禄の額を取り上げている。木戸孝允1800石、大村益次郎1500石に対して山県600石と指摘されている。

 彼は自分が軍人(特に陸軍軍人)でこそ生きていける、立身出世できると自己限定していた。そして、誠に好都合なことに、明治初年のうちに、長州閥の軍事の第一人者大村益次郎は暗殺され、先輩格の前原一誠は萩の乱で処刑死となり、あっという間にクーデタ政権における長州軍閥の長となった。明治六年政変で陸軍大将西郷隆盛が下野し、同十年には西南戦争で西郷が自害すると、陸軍内における薩派を圧倒し、完全に陸軍を掌握、ほぼ統帥部の全権を握った。また、政治的にも、長州派の木戸が明治10年に死に、薩派の巨魁大久保が明治11年に暗殺され、策士岩倉具視も明治15年に没する。

 西郷、大久保亡き後の薩派は、長州派、文の伊藤博文、武の山県に政治的に歯が立たず、ほぼ長州派が藩閥政権を主導することになる。しかし、その伊藤も明治42年にはハルピン駅頭で安重根に暗殺され、ついに文字通りのサバイバルレースに生き残った山県が唯一の拒否権をもつ元老として君臨するに至る。

 山県有朋の生涯と明治政治史を鳥瞰するのに分量、内容から見て最良の書である。ただし分析は含まれていない。

※別に論じたものもあるので、ご参照戴ければ幸甚。
岡義武『山県有朋 -明治日本の象徴-』岩波新書1958(2)

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コメント

山県に関しては、貴重な内部情報がちらほら、「原敬日記」に散在しています。原敬研究者はゴマンといるでしょうから、その辺から切り開いてもらいたいものですね。ただ、それには、学者としての良心と勇気が必要でしょう。

投稿: renqing | 2006年1月23日 (月) 06時57分

 明治日本の大物たちの中で、その悪事の大きさにも関わらず(大きさが故に?)研究や分析が少ないのが山県有朋と徳富蘇峰ではないかと思います。たぶん、きちんと研究すると、彼らの、今に伝わる負の遺産の大きさ、いかに現代日本が彼らから引きずっているものが大きいか、が暴露されてしまうからではないでしょうか。

 それにしても「国民新聞」なんて喜んで発行している連中がいることを思うと、きちんとした批判的研究は必要なんでしょうけどね。

投稿: 松本和志 | 2006年1月22日 (日) 06時51分

>以前の職場にその子孫がいましたが、当時は問題意識がなく、いろいろうかがうチャンスはもう来ないと思います。

そうですか。山県は、母を早く失い、自分の子どもたちや妻に先立たれて、栄達を得ながらも、孤独な生涯を送ったと思っていました。先のご一族が、未公開の手記等を持ってらして、公文書館あたりに寄贈してくれるとよいのですが。

投稿: renqing | 2005年10月 4日 (火) 06時49分

takeyan さん、コメントありがとうございます。

> ところで、半藤一利が山縣を取り上げたノンフィクションがアマゾンではずっと品切れなんですが、なぜでしょう。

例の「拒否できない日本」 関岡英之(文春新書)のこともあるので、bk1でも調べましたが、やはり品切れのようですよ。アマゾンの作為ということではなさそうです。:-)

投稿: renqing | 2005年10月 4日 (火) 04時10分

本郷の研究者とは同根というか、同じ穴の狢なんじゃないですか。それも、もっと元祖、あるいは本家の。
責任を取らずに権力を非公式に行使するという、日本的な権力行使のあり方を近代の政治土壌で再構築した男が山縣。以前の職場にその子孫がいましたが、当時は問題意識がなく、いろいろうかがうチャンスはもう来ないと思います。
本書、時間を見て読みたいと思います。
ところで、半藤一利が山縣を取り上げたノンフィクションがアマゾンではずっと品切れなんですが、なぜでしょう。

投稿: takeyan | 2005年10月 3日 (月) 08時25分

まいどー、アベール師 さん。
そうですか、お近くに山県の記念館があるのですか。山県有朋の影の権力独占は、近代日本の政治権力のあり方そのものです。統治に最終的責任は負おうとはせず、veto(拒否権)だけは使う。最悪の権力のあり方、恣意的権力行使です。それも元老という憲法外機関であるがゆえにその力を振るえました。彼が、陸軍と内務省を握っていたことが、近代日本を陰鬱にさせます。彼こそは、近代日本におけるダースベイダーです。本郷の研究者たちjこそ、このダースベイダー研究をして欲しいですね。

投稿: renqing | 2005年8月15日 (月) 01時59分

栃木の矢板市に山県有朋記念館があり、
こじんまりしているのですが、伊東忠太
設計の元山県の自宅を移築したもので
なかなか興味深い内容でした。吉田松陰
門下の中では、一見最もぱっとしない人
物ですが、意外に緻密な頭脳の持ち主で
侮れないという感じです。自由民権運動
の弾圧者として悪名高き権力主義者です
が、ウォルフレンも書いているように
研究する値打ちは十分あるようです。

投稿: 聖者アベール師 | 2005年8月14日 (日) 23時21分

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