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2005年9月 9日 (金)

中里介山、出生地のなぞ(2)

 要は、自由民権運動が盛んだった多摩地区を帝都に組み込むことで、明治クーデタ政権の膝下におき、コントロールしやすくするためでしょう。憲法発布後、ようやく下火になってきた民権運動のすきを狙ったものだと思います。

 多摩地区一帯は、徳川19世紀には、多摩の豊かな木材資源を多摩川で流し、川崎までおろすなどして経済的に豊かで、神奈川と深く結びついた土地柄でした。

 実際、相模湖町などは今も神奈川県ですが、そこの住人が神奈川に行くには、JR等で東京都八王子市に出てから南下して神奈川県に入ることになります。そりゃぁ、そうです、八王子だって明治26年まで、神奈川県だったんですから。

 ここら辺の歴史的経緯に関しては私の推測の域をでないので、おいおい物的証拠をつかみたいと考えています。

中里介山、出生地のなぞ(1)

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