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2005年10月 9日 (日)

石川淳「江戸人の發想法について」(1943年)

「けだし、江戸人にあつては、思想を分析する思弁よりも、それを俗化する操作のはうが速かつたからである。」

「このやつしといふ操作を、文学上一般に何と呼べきか。これを俳諧化と呼ぶことの不当ならざるべきことを思ふ。」

「俗化といふことばの正当な意味を於いて、江戸俳諧の俗化とは、流行が芭蕉の発句から其角の発句に移ったといふことではなくて、性質が猿蓑から万載狂歌集に変わつたといふことである。これが俳諧の論理である。」

といった具合で、石川淳が言いたいのは、天明狂歌のこと。そして、古今集の《やつし》が万載狂歌集。また、天明狂詩は唐詩選の《やつし》。

 ちなみに、中国では伝統的に、唐詩選より唐詩三百首が尊重される。そのすれ違いの理由を知りたいと思うのだが・・・。

 この《やつし》は、《ミメーシス》と関連がありそう。そういえば、日本の文明が、大陸文明の《やつし》そのものかも。

参考
1)石川淳「江戸人の發想法について」
石川淳『文学大概』中公文庫(1976) p.74-85 所収。
ちくま日本文学全集 (011)石川 淳、1991年 、p.404-420

 

2)《ミメーシス》について
関曠野『民族とは何か』講談社現代新書(2001) 第八章ロゴスとミメーシス
E.アウエルバッハ『ミメーシス』ちくま学芸文庫(1994)〈上〉

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