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2005年10月 3日 (月)

《おかま》と鎌倉景政

 徳川時代、男色を売る茶屋があった。《陰間茶屋》といい、男娼を《陰間》といった。この名称の起源について、手元の『広辞苑』第二版(1971第五刷)に妙な記述がある。

 《陰間》は景政の当て字、景政は鎌倉権五郎景政(かまくらごんごろうかげまさ)だというのだ。そのうえ、景政は片目だったので、《めかけ》(いわゆる、おめかけさん=二号さん)の意味にも、《陰間》は使われ、本来は男女に通用、とある。

 右眼を矢に打ち抜かれながらも、その敵を射殺(いころ)し、それを抜こうとした同僚の三浦為次が矢を抜くために景政の顔を足で踏もうとすると,武士の顔を土足にかけるとはなんだ,とこれを謝らせたという、勇猛果敢な武将、鎌倉景政。八幡太郎義家に仕え、大暴れした兵(つわもの、っていうかかなりの程度、野蛮人)が、なんでゲイの売春夫の代名詞になるのか。そのうえ、「おめかけさん」にまでなってしまうとは・・・。

 奥羽地方には、目を負傷した景政が、戦場からの帰りその傷を治した泉だという、〈片目清水〉の伝説を伝えるところが多く、景政を神様とする信仰もある。当然、鎌倉市にも神社が存在する。柳田國男も、『日本の昔話』等で《片目の魚》の伝承などを紹介している。伝承レベルでは、ある種の霊力・聖性さえ帯びている、景政。

 上記の記述に文献的根拠があるなら、はっきりとはわからなくとも、当然、《おかま》の語源に鎌倉景政が関連することも十分推測される。

このへんの話題について、ご存知の方は、ぜひご教示願いたい。

〔註〕下記記事も参照を請う。
プラトニック・ラブ

〔参照〕《おかま》と鎌倉景政 (続)

 

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