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2005年11月 6日 (日)

「良き古き法」gutes altes Recht

 現代社会は、整備された合理的な法秩序なしでは、一日たりとも動いていけない。当然、19世紀後半からこの方、懸命に近代化を突き進んできた日本社会もその例外ではない。

 では、近代日本が受け入れた西欧の「法」とは、一体全体どのようなものなのか。その本質の一端を示す例をあげてみよう。「法」がなぜ、治者と被治者の上位にあるとみなせるのか、そこが大きなポイントだ。以下、《》内はすべて引用。

《市民共同体と都市領主の対決、市民共同体内部における抗争、そのほか中世に見られる無数のこの種の闘争は、近代的意味における反乱または革命であったのではなく、真の法ないし、法と信じたものをめざす闘争であり、不法に対する抵抗であった。》
オットー・ブルンナー『ヨーロッパ-その歴史と精神』岩波書店1974、p.103

《・・・、法が原理的に支配者と被支配者の上にあり、「神と法」、具体的な法と同じものである「正義」、を引き合いに出すことができる、という一つの観念を前提としている。》同上、p.104

《人々は伝統、すなわち伝わってきたものそれ自体、をよりどころとしたのではなくて、たとえば、「良き古き法」に依拠したのであり、これを「悪い慣習」と区別していた。古きものなるがゆえに良きものとされたわけではなく、良きものと見られるがゆえに古きものとされたのである。》同上、p.104

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