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2006年1月

2006年1月31日 (火)

バーカー『近代自然法をめぐる二つの概念』(2)

前回の記事で、標題の元本が下記だと記しておいた。よく考えるとそれも不十分なので追記する。

Natural Law and the Theory of Society, 1500 to 1800
Otto Gierke, Ernst Troeltsch, Ernest Barker
Lawbook Exchange Ltd
ISBN: 1584771496
(2002/01/01)
423 p

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2006年1月30日 (月)

善意ある隣人として

 先の日曜の深夜、某国営放送ラジオの書籍紹介コーナーで、下記の作品が紹介されていた。

 小山清 「落穂拾ひ」

 小説やドラマというほどの筋はなく、著者の日常に現れる人々と、著者との情景を、他者に踏み込むでもなく、関わらないのでもない、淡い水のように描いたものとのこと。

 「BOOK」データベース に、

「明治の匂いの消えのこる浅草界隈に生い育ち、片隅に生きる人々の小さな人生に澄んだ眼ざしを注ぎ、純粋無比の作品を遺して短かい生涯を終えた作家・小山清―不偶の中で呻きながらも文学を信じて心あたたまる作品を書きつづけた小説家の稀有な文業」

とあった。私は、図書館で下記のもので読んでみるつもり。

『小山清全集』
単行本: 659 p
筑摩書房
ISBN: 4480703918
増補新装版 版 (1999/11)

文庫としては、

日日の麺麭(パン)・風貌―小山清作品集
講談社文芸文庫
小山 清 (著)
4061984233

がある。

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2006年1月29日 (日)

「藩」が公式に使われたのは明治初期の2年間のみ

 渡辺浩『東アジアの王権と思想』東京大学出版会1997年
より。

p.8
 周知のように、「藩」の語は、江戸時代においては公式の用語ではなく、明治二年(1869)の「版籍奉還」からその二年後の「廃藩置県」までの間、公式の名称であったにすぎない。一般化したのは、十八世紀半ば以降である。

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2006年1月28日 (土)

なぜ、天皇制は続いてきたか?

関曠野 訳者解説  ヒレア・ベロック『奴隷の国家』太田出版 2000年

p.252
「なぜ東国の武家は、たんに皇族と血のつながりがある貴種という理由だけで、源頼朝を武家の棟梁の座に据えたのか、なぜ徳川幕府すら、ついに皇室を廃絶しなかったのか、結局これは、所有には国家が承認した権利としての公法的な支えが必要なことを武家が意識していたことを示すものといえよう。」

p.252
「もともと武家は、律令国家の体制から完全に自立した存在ではなく、権門勢家の下僕としてその胎内で成長し、貴族の権力を簒奪しつつのし上がってきた階級だった。征夷大将軍という武家の最高の地位もタテマエ上は天皇から叙任されたものだった。そして彼らの公的な地位と同じく、彼らの所有の公的性格も律令国家の遺制に由来しているのである。だから武家は、彼らの所有が力と駆け引きの偶然的な産物にすぎず所有の正当化には公法的な基盤が必要なことを意識しているかぎり、天皇制を廃絶することはできなかった。彼らには、それに代わる国家体制を創出する能力がなかった。それゆえに天皇制の存続は、日本が結局中国文明の娘文明でしかなくいつまでたっても中国の影響力から自立できないことを意味する。」

p.253
「こうして日本史における私有財産の問題に関しては、以下のことが結論できる。(一)私有財産の公法上の不可侵な権利としての正当性は確立されなかった。(二)天皇制は公法の不在を埋め合わせるその代用品として存続してきた。(三)武家に支配された日本では公と私が分裂しており、私的所有を正当化するためには武家は公けには私的なるものを否定しなければならない。」

この項、続く予定(たぶん)。

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2006年1月27日 (金)

強力無比なAND検索

 前々回、少し、検索の事について触れました。ほとんど周知の事のようにも思ったのですが、多少参考にしていただける部分とも思い直し、記事化しました。今回もその流れです。

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2006年1月26日 (木)

金色夜叉、青の時代、ホリエモン

 私は三題話が好きである。

 さて、ホリエモンは、間貫一*か、川崎誠**か。膨大な資産を既に海外へ送金済みという噂も聞くので、両者より、徹底して喰えない野郎だね。その悪党ぶりは賞賛に値する。

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2006年1月25日 (水)

リンク切れでもあきらめるな

 私のblogでもそうですが、ニュース等を題材にして記事を書く場合、たいてい元記事のリンクをつけます。で、新聞社のものであれば一ヶ月くらいでリンクが切れてしまいます。こういった報道機関の記事へのリンク切れはファイルそのものを削除しているのが普通なので、二度と同じものを閲覧することができません。

 でも、そこで諦める必要はありません。そのリンクの切れてしまった記事等の標題が、判明していればなんとかなります。それを、google 等の、フレーズ検索のできる検索エンジンで検索を実行します。すると、あら不思議、すでにネットの世界ではないはずの目的のファイルが引っかかってくるのです。でも、普通通り見に行こうとすると、もうない。そこで、改めて検索結果画面に戻って見て下さい。当該のファイルの表示の下に、小さく、「キャッシュ」というのがあればOKです。その「キャッシュ」をクリックすればよいのです。それが「ないはず」のあなたが探しているファイルです。その文書を自分で確かめて、必要だと思えば、ファイルとして保存すればよいわけです。

 念のため。google でのフレーズ検索の仕方です。キーボード最上部の数字キーの列の恐らく、左から二つ目に、「 " 」というのがあるはずです。呼び名は「ダブルクォーテーション」ですが、目的の、記事の標題や、一つの語句をこれではさみ、「 "あいうえお"」とやって検索すればよろしい。こうすると、そのフレーズぴったりの文書をネット上から検索してくれるはずです。あと、いろいろテクニックはありますが、それはまたの機会に。

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2006年1月24日 (火)

共和制の理解のために

 ヨーロッパにおける共和制を知るための古典として、知人に教えてもらった本に下記がある。まだ未読だが、アクセス可能な方はご一読あれ。内容をご教示戴ければ幸甚。

The republican tradition in Europe,
Fisher, Herbert Albert Laurens.
London,Methuen
1911

 

 なお、

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2006年1月23日 (月)

靖国神社関連の当blog記事

 ソート機能で取り出してみました。ご参考まで。

信条倫理と交渉カード(あるいは、下種の勘ぐり)     2006.01.07

大日本国憲法第20条
     2005.12.07

歴史認識のちがい     2005.11.24

靖国神社「遊就館」についての麻生外務大臣の発言
     2005.11.23

日本国憲法(1946年)は、本当に憲法なのだろうか?
    2005.11.15

アンティゴネ     2005.11.10

9/29東京高裁、靖国判決コメント(2)     2005.11.05

9/29、東京高裁、靖国判決     2005.11.03

大阪高裁、靖国違憲判決をめぐる所感と文句(2)     2005.11.02

生者が死者と向き合うとき
     2005.10.26

「大村益次郎像」(靖国神社)建立に奔走した旧加賀藩士     2005.10.23

靖国神社問題を理解するために
     2005.10.21

靖国神社の例大祭     2005.10.18

靖国神社、お金、票     2005.09.23

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当blog記事の検索方法

 このblogの記事も、244本を数えるまでになりました。

 そこで、閲覧して戴いている方々に、記事の検索、ないしソート機能を提供することにしました。

 すべての記事に、ある程度細かいカテゴリーを付すこととします。右サイドバーより、閲覧されたいカテゴリーをクリックして戴ければ、そのカテゴリー記事のみを時系列で表示します。現在、作業中で、終了しているのは、「靖国神社」だけです。なんと、このカテゴリーだけでも、関連記事が14本もありました。(-_-; 試しに、使ってみて下さい。順次、カテゴリーを再付加し、2,3日中には終了したいと考えています。

 私の記事は、出来る限り、リソース、ないし、資料、を同時に掲載する方針ですので、読まれた方は、必要や興味に応じて、より深い情報探索が出来るはずです。道具的に利用して戴ければ幸いです。

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2006年1月22日 (日)

徳川家康は《幕府》を開いていない

 渡辺浩『東アジアの王権と思想』東京大学出版会1997年、より。

p.3
 現在のように、「幕府」という語が一般化したきっかけは、明らかに、後期水戸学にある。・・・。とりわけ、〔藤田:引用者注〕東湖の『弘道館記述義』(弘化四・1847年、再稿完成)が、江戸時代末期に、「尊皇攘夷」の語とともに「幕府」という名称が流行語となる直接の原因になったと思われる。
 では、何故、後期水戸学者はこの語を用いたのだろうか。「正名論」の示すように、徳川政権があくまで京都から任命された「将軍」の政府であることを強調するためである。そして、正統性根拠を(一般に「皇国」の自己意識が強まる中で)明確化し、体制を再強化するためである。「幕府」とはそれを意図した、正に為にする政治用語だった。

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2006年1月21日 (土)

「資本主義」なる言葉(2)

前回の記事で、ブローデルが依拠した文献について書誌情報がありませんでしたので、遅ればせながらここで記しておきます。

Deschepper,Edwin.
L'histoire du mot capital et de ses derives.
Philologie Romane, Faculte de Philosophie et Lettres. Bruxelles, Universite Libre de Bruxelles.
1964.

「資本主義」なる言葉(3)

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2006年1月19日 (木)

18世紀の「社会主義者」(2)

デジンクは実際には、シャーフツベリについて、また社会の大義に対するかれの熱狂について、なにも知らなかったが、かれの「社会主義者」という言葉は、ま さにあの思想潮流、つまり現世的道徳的概念に転化してイギリスの哲学者と理神論者にその表現を見い出した思想潮流を示していた。その同じ言葉は、ラテン語 からイタリア語へ変わり、ベッカーリアに関して、1765年に、はじめて使われた。それはもはや単に、社交性を人間のなかのひとつの構成的かつ根源的要素 と考える人のことをいうのではなかった。それは当然のこととして、自由・平等な人間の社会を欲し、ルソーから示唆をうけていた著作家を意味するようになっ た。
F.ヴェントゥーリ『啓蒙のユートピアと改革』みすず書房1981年 、p.157

 今回と前回の記事の中で、ベッカーリアに関することは、ヴェントゥーリ自身の研究に基づきますが、「社会主義者」をラテン語にまで遡及し発見したのは、下記書籍の業績です。

Muller, Hans.
Ursprung und Geschichte des Wortes Sozialismus und seiner Verwandten.
Hannover, J. H. W. Dietz Nachf.
1967.

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小さな発見

 あまり関係がなさそうな二つの本に、共通する人の名前がありました。本読みにとっての大事な楽しみの一つです。大げさでなく、醍醐味、です。

マイケル・イグナティエフ『アイザイア・バーリン』石塚 雅彦 (翻訳), 藤田 雄二 (翻訳)、みすず書房(2004年)

藤田 雄二『アジアにおける文明の対抗―攘夷論と守旧論に関する日本、朝鮮、中国の比較研究』御茶の水書房 (2001年)

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 後者は地味な本ですが、日本では珍しく知的に痛快な本。これを論評するには中途半端では難しい。腹くくったときに書きます。

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2006年1月18日 (水)

18世紀の「社会主義者」(1)

・・・「社会主義者」という言葉は、最初はラテン語で、それから急速にイタリア語で世紀半ば(18世紀のこと:引用者 注)頃に、はじめて使われた。それは、プッフェンドルフやカンバーランドに由来する自然法の流れを示すために、ドイツ人のベネディクト派のアンセルム・デ ジンクによって、はじめて使われ たように思われる。この流れは人間の社会的本能を意味するソキアリタスを、あらゆる自然法の真の基礎にすえたのである。このカトリックの論争家によれば、 これらの思想家、これらの「社会主義者」は結局、あらゆる宗教的要素を自分たちの社会観から一掃し、あらゆる人間の行為をもっぱら社会という観点から考察 し、啓示、宗教、教会を無視してしまっていた。彼はこれによって、「社会主義者」が「自然主義者」あるいはホッブズ主義者にさえ、類似すると信じてい た。・・・
F.ヴェントゥーリ『啓蒙のユートピアと改革』みすず書房1981年 、p.156

下記も参照を請う。
18世紀の「社会主義者」(2)

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2006年1月17日 (火)

明治天皇の戦争責任

 標題をもう少し詳しく言い直せば、「明治天皇の戦争に対する責任」である。それはまた、明治憲法下にあった大正天皇、1947年5月2日までの昭和天皇も同様だ。以下、軍を、明治憲法体制の一環として位置づけた、類希な研究書から引用しよう。

三浦裕史『軍制講義案』信山社1996年 p.36

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2006年1月16日 (月)

クレズマーとシャガール

 これも某MLで教えて戴きました。

 クレズマーとユダヤ系ロシア人画家シャガールは深い因縁があるようです。

 下記は、そのシャガールにちなんだクレズマーのバンドです。演奏のさわりが聞けます。右のボタンを押し、音が出てくるまで少し待っててください。

Chagall Klezmer Band

 あと、シャガールが描いたクレズマー楽師の絵がモスクワにトレチャコフ美術館に所蔵されているようですね。↓

Klezmerfest: The Klezmer Conservatory Band

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2006年1月15日 (日)

Finnegan's Wake(アイルランドの陽気な酔っ払い歌)

 またしても、某MLで教えていただきました。

 James Joyce (1882-1941)の、Finnegan's Wake、ですが、この題名は、アイルランドに伝わる陽気な酔っ払い歌にちなんだものなんだそうです。百読は一聴に如かず。まずは、試聴してみてください。

Brobdingnagian Bards

上記サイトの、

Tolkien (The Hobbit and The Lord of the Rings)
The Orange and The Green
Old Dun Cow
Exclamations

の次に、

Finnegan's Wake

があります。まさに、
A hilarious Irish drinking song(陽気なアイルランドの酔っ払いの歌)、
ですね。思わず笑ってしまいます。

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2006年1月14日 (土)

「クレズマー」、東欧のユダヤ人放浪楽士の音楽

 某MLでご教示戴きました。百読は一聴に如かず。まずは、耳を傾けてみて下さい。ポータルから、DEUTSCH か、ENGLISH をクリックし、少し待っていると聞こえます。

MAJIMAZ

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2006年1月13日 (金)

江戸時代の「ロミオとジュリエット」(1)

 人形浄瑠璃というのは、今では古典芸能に祭り上げられているので、かつての大衆性は望むべくもない。かくいう私も、某国営放送教育チャンネルでかいま見るだけだ。

 と暢気に語っている状況ではないので、標題のものを紹介して、詳細は次回へ(たぶん)。

妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)

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2006年1月12日 (木)

南佳孝はかっこいい(2)

 早速、続きを。南佳孝はコンセプトを明確にしたアルバムもあります。彼は映画好き。監督もやりたい(やった?)らしい。ということで、お気に入りの映画をテーマにしたオムニバス・アルバムが下記。お奨めは、「避暑地の出来事」。よかった頃のハリウッドの、甘く、そして痛い、青春ドラマの空気が横溢しています。CDは廃盤ですが、ネットから、曲ごとに購入できます。

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2006年1月11日 (水)

「夜明け前」の星竹 (幕末明治50年間の日記が語るもの)

 以下は、東京、あきる野市のHPで掲載されていた、極めて興味深い記事です。既にHPがリニューアルされており、現在、読めなくなってしまいました。まことに惜しいので、私が保存していたファイルから、再び世に出すことにしました。当然、著作権の問題があります。もし、著者の方がご覧になり、削除を要請されるようなら致します。ただ、このまま埋もれさせるにはとても残念な、資料的価値の高い報告ですので、多くの方の目に触れる可能性のあるネット上で、掲示させて戴ける事を願います。

※当該記事が、あきる野市の、下記HPにPDFファイルで貼り付けてありました。(20180225
あきる野市教育委員会発行 郷土あれこれPDF | あきる野市

「夜明け前」の星竹 (日記が語る昔の暮らし)
五日市古文書研究会代表 石井道郎

はじめに

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2006年1月10日 (火)

南佳孝はかっこいい(1)*

 南佳孝はかっこいい。クールだ。おしゃれ。私自身、かっこよくも、クールでも、おしゃれでもないので、ないものにあこがれるわけね。

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2006年1月 9日 (月)

トレンチコート、ラグラン袖、戦争〔20190304追記〕

 戦争とファッションは因縁が深い。

 まずはトレンチコート trench coat 。trench とは戦場における塹壕のこと。

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2006年1月 7日 (土)

厚生労働省は二度赤ちゃんを殺す

再び、「ハンセン病療養所における胎児等標本に関する要望書」に賛同のお願いです。

 標題の賛同申し込み期限は、本日(1月7日)です。まだご存じない方、また、迷われている方、是非ご検討の上、ご賛同戴きたくお願い申し上げます。

要望書の賛同のご連絡ならびにお問い合わせは下記事務局へ。
メール: sandosha@hotmail.co.jp
TEL:   080-3130-8028

要望書は下記です。
-----------------------------------------------
2005年12月20日

厚生労働大臣 川崎二郎様
ハンセン病問題に関する検証会議・座長 金平輝子様

ハンセン病問題研究会
世話人代表 村岡潔
連絡先
京都市北区紫野北花ノ坊町96
佛教大学社会福祉学部村岡研究室気付

ハンセン病療養所における胎児等標本に関する要望書

 本年1月、「ハンセン病問題に関する検証会議」(金平輝子 座長)は、全国の
国立ハンセン病療養所など計6施設で、114体(邑久光明園49体、多磨 全
生園35体、星塚敬愛園17体、駿河療養所10体、松丘保養園1体、国立 感
染症研究所ハンセン病研究センター2体)の胎児標本、そして2000体 を超
える病理標本、さらに多くの手術摘出材料が放置・残さ れていたことをまとめ
た「胎児等標本調査結果報告書」を厚 生労働省に提出しました。
 114体のホルマリン漬けにされた新生児や胎児らは、90年にわ たる「ハ
ンセン病者」への強制隔離・絶滅政策という人間の尊厳を根底から奪う極限の
差別への証言者です。
新生児や胎児らが、どのような経過で「生まれる」ことを拒まれたの か、その
事実をつまびらかにし検証すること、そして、責任の所在を明らかにし国公立療
養所内で行われていた組織犯罪の全容を解明すること、さらに、このような理
不尽な人権侵害を二度と起こさぬよう具体的方策を講じることは、国や療養 所
関係者のみならず、私たちすべてにとっての責務と考えま す。
 しかしながら、発表された「調査結果報告書」を見る限り、最も被 害を受け
た当事者(とりわけ女性)の声が反映されておらず、調査・検証作業は全く不十
分です。「胎児等標本調査結 果報告書」とは別の「ハンセン病問題に関する被
害実態調査報告書」(95頁)には、1942年に療養所に入所した女性 の声で 「堕
胎されて30年後、医局に行くとホルマリン漬けの我が子と、知り合いの子供の2
体が目に入る。後でそ の知り合いの人にもホルマリン漬けの子供が医局 にあっ
たことを話し、2人で泣いた」と聞き取り調査で報告されています。
 にもかかわらず、厚生労働省は「今年度中に焼却、埋葬・供養など を行うと
した案を各施設に通知した。検証会議が求めていた検視の申し出はしない」(朝
日新聞、05年 11月 28日付け)と報道されています。そして、この厚労省案を受
けて「敬愛園が来年1月をめどに慰霊式典を計画している」「慰霊碑 は 建立し
ない」「半数以上の親を園側は把握しているが、精神的ショックに配慮し個別に
告知しない」(南日本新 聞、05年 12 月11日付け)とあります。
 実態解明も不十分なまま、当事者本人に通知せず、「供養」の名の もとに焼
却することは、隔離政策・強制堕胎の事実を再び暗闇へと葬り去ることに他な
りません。

それゆえ、私たちは、以下の点を強く要望します。

1.療養所での新生児殺し・強制堕胎の実態を詳細に解明すること

 報告書によれば、発見された114体の胎児標本のうち、29体は 妊娠8ヶ
月(32週)を過ぎていることから、生きて生まれた赤ちゃんが療養所職員らの
手によって殺害された可能性が高いと示唆されています。事実、多くの入所者
の証言がこれを裏付けています。また、32週未満の胎児についても、 直接あ
るいは間接的な強制による中絶により抹殺されたので す。 
 療養所内での中絶や出産と、その後の処置について、入所者やその 家族に加
えて、退所者、医師・看護師はじめ退職者を含む療養所職員への詳細な聞き取り
調査を行うこと。そして、これ ら証言とつき合わせながら、個人・親が特定 さ
れる胎児標本はもとより、不明な標本についても、その一体一体について、 誰
の子どもか、どのような経過で中絶や殺害が行われた のか、それに関わったの
は誰か、摘出後(殺害後)標本とされた経過を明らかにする作業を早急に開 始
することを求めま す。

2.調査時点で胎児標本の存在しなかった、あるいは既に「処分」し たとされ
ている療養所についても、詳細な実態を解明すること

 全国13の国立ハンセン病療養所のうち、調査時点で胎児標本の存 在が判明
したのは5ヶ所ですが、報告書にも記載されているように、全国すべての療養
所で同様の標本作製が行われていたと考えられます。そのため、既に「処分」
したという長島愛生園などすべての療養所を対象に、再度、入所者やその家
族、退所者、療養所関係者 (退職者を含む) すべてに聞 き取り調査を行い、強
制堕胎および新生児殺しの実態を明ら かにし、標本を作製し放置していた事実
を解明すること。また、既に「処分」されたとする胎児標本に関して、その経
過 についても詳細に調査・検証をすることを求めます。

3.胎児標本の医学研究への利用、外部研究機関への持ち出し等の実 態を明ら
かにすること

 報告書では断片的に言及されているに過ぎませんが、多くの胎児標 本が研究
材料とされたり、療養所外に持ち出されたりしたものと考えられます。作製し
た胎児標本を医学研究に用いたことを示す医学論文を詳細に調査し、研究材料
としての利用実態を明らかにすること。同時に、療養所に関係した大学、研 究
機関およびその関係者らに対する徹底した聞き取り調査を 行い、胎児標本の外
部研究機関への持ち出しおよび持ち出された胎児標本の現存の可否や処分の実
態について明らかにす ることを求めます。

4.病理標本や手術摘出材料の医学研究への利用、外部研究機関への 持ち出し
等の実態を明らかにすること

 入所者の死後解剖によって残された多数の病理標本や手術摘出材料 について
も、退職者を含む療養所職員全員、および関連する大学・研究機関の関係者全
てに聞き取り調査を行い、研究材料としての利用の実態、療養所外部への標本
持ち出しの実態、持ち出された標本の存在の可否や処分方法について詳細に 調
査・検証することを要望します。

5.不妊手術・断種について

 強制的中絶、新生児殺しと深く関係するものとして、入所者に対す る強制不
妊手術・断種がありますが、これらの実態についてさらに徹底的な調査・検証を
求めます。特に、「ハンセン病問題に関する被害実態調査報告書」の「国立療
養所入所者調査」の6.優生政策の項の6-4「未感染児童」の断種の項 に、
療養所の保育所に入所していた子どもが療養所から出る ときに断種や不妊手術
をされた可能性があるとの記述がありますが、これについて、さらに調査を徹
底し、実態を解明す ることを求めます。

6.国の責任で「実態解明・真相究明のための委員会」を組織すること

 これらの調査・検証を国の責任で継続して行うために、入所者やそ の関係
者、市民(特に女性を含む)を交えた新たな「実態解明・真相究明のための委員
会」を発足させること を求めます。そして、明らかになった事実を広く全市民
に報 告することを要求します。

以上
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以下のblog記事もご参照戴ければ幸甚です。

「ハンセン病療養所における胎児等標本に関する要望書」に賛同のお願い

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信条倫理と交渉カード(あるいは、下種の勘ぐり)

 またしても、激高老人氏の文にわが意を得たので、その驥尾(きび)に付して一言。

八つ当たりテレビ・ウォッチング

 そう、激高老人氏も指摘するように、小泉氏は厚顔である。彼の中の自己像は、小泉純一郎という「男」は、信念の政治家、孤立無援でも信条を全うしようとする古武士(信長?)のような政治家、なのだろう。だから、彼、小泉氏の行動を批判する手合いは、すべて何事か政治的意図を秘した下心のある(=交渉カードに使おうとする)発言なのだ、と彼は受け取るわけである。

 しかし、老人氏が言われるように、自分以外のものの発言は、信念のない、自己を有利にしようとする政治的発言にきまっている、という予断には、さすがに二の句が告げない。普通、私はこの手の人物を評するに、こう表現することを常とする。《厚顔無知》と。

※実は、この記事に引っ掛けて、M.Weberの『職業としての政治』(信条倫理と責任倫理)に持っていこうと思ったのだが、草葉の陰の直情径行気味のマクシミリアンを怒らせて、化けて出てこられても私はドイツ語がわからないので、止めた。次の機会をうかがうこととする。

※参照を請う

1)靖国神社問題を理解するために
2)アンティゴネ
3)靖国神社「遊就館」についての麻生外務大臣の発言
4)マックス・ヴェーバー『職業としての政治』(1919)(1)
5)マックス・ヴェーバー『職業としての政治』(1919)(2)

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2006年1月 6日 (金)

《日英同盟廃棄》の道を行く「日米安保条約」

日英同盟廃棄の歴史的過程と、現在の過程はそっくり。

1.英vs.露の緊張化→極東における英国の代理人としての日本→日英同盟の成立
  ↓
2.第一次大戦による国際関係の激変→中国を巡る日露の接近、英米の緊密化
  ↓
3.日英同盟の英側メリットの極小化→日英同盟破棄

 2の部分が、冷戦終結と軌を一にします。とすれば、3が出てくるっていう寸法です。

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2006年1月 5日 (木)

米国が日米安保条約を破棄する日

まず、下記記事の下線部(引用者による)に注目。

【コラム】日本よアジアに帰れ(中央日報オピニオン)
〔引用開始〕
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   ベテラン外交官出身である日本首席代表は韓国と中国が日本の安保理進出
 をいくら反対しても日本は予定通り安保理常任理事国になると言い切った。                       ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
ココ↑ 
アフリカ多数国家と米国の支持を信じたようだ。脱亜にとどまっても、世界の指導国になることができるという態度だった。
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〔引用終了〕

さて、引用の下線部をよく覚えておきましょう。

 で、結局どうなったか。日本がドイツ、インド、ブラジルと組んで提出した安保理拡大の「枠組み決議案」(G4案)に反対が強く、採決を見送ってしまったのです。

 小泉氏および外務省の最大の誤算は、あの米国が反対に回ったことです。何のことはない、米中の国連大使が共闘してG4案を潰した。口(くち)アングリ状態。

 ある意味で、日本頭越しのニクソン訪中に匹敵する、戦後日本外交の最大の失態です。にもかかわらず、この問題で政府首脳、外務官僚で責任をとったものは皆無。

 野党も頭が悪過ぎるのか、衆院選という格好の舞台で責任を追及するわけでもない。新聞・マスコミもてんから触れない。なんなんだぁ、と叫びたくなりますね。

 このことから帰結されるのは、日米安全保障条約が米国側から破棄される蓋然性は決して低くない、ということです。困ったことに、米国の国家理性は「日本国」ほどには、まだとち狂ってない。東アジアにおけるパートナーは中国のほうが長期的に米国の利益であると判断し、中国とのアライアンスを求め、中国がその見返りに、日米安保破棄を要求したら、《米国から》破棄の通告をしてくるでしょう。

 逆に、そういう自らに不都合なものでも、可能性としての外交シナリオを考えるのがエリートの強靭な知性です。ま、小泉氏もその取り巻き官僚も、柔(やわ)な知能しか持ち合わせがないようなので、見たくない想定から逃げるでしょうが。哀れなのは、その程度の手合いをエリートとして崇め奉らされているニッポン人です。悲しい。

*以下も、参照戴ければ幸甚。

1)〈反米愛国〉か〈親米売国〉か

2)日米安保=日英同盟?

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2006年1月 4日 (水)

~~につける薬に、終わりはないね

 いちいち、つまらぬ記事を書きたくはないのだが、いちいち気に障るんだなぁ、これが。そしてまた、その提灯を持つから、マスコミが。こんなごみネタ無視すればいいじゃない。大事なことを腰すえて取材してくれよぉ、ホントに。

戦いに終わりないね-首相 演劇「信長」を鑑賞
「小泉純一郎首相は2日、東京・銀座の新橋演舞場で歌舞伎俳優市川海老蔵さん主演の演劇「信長」を鑑賞した。記者団から「織田信長の人生を見て今後の政局運営に何かいいヒントはあったか」と問われると、首相は「戦いに終わりないね。いつの時代も何かと人は戦っていかなきゃならない宿命だと思います」と強調。年頭に当たり、小泉改革総仕上げへ決意を新たにしたようだった。
 信長に関する歴史本を愛読し、周囲からも信長に擬せられることの多いだけに、首相は興味津々の様子。信長役の海老蔵さんが「おれが織田家をぶっ壊してやる」とせりふを発した場面では、首相の十八番の「自民党をぶっ壊す」発言と重なり合ったのか、客席がどっと沸いた。」
(共同通信) - 1月2日19時7分更新

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2006年1月 3日 (火)

明治エリートの起源

 明治期の爆発的な西洋文明導入が誰によって担われたか。それは無論、海外への留学生たちである。彼らの実態は、旧幕時代、徳川幕府、諸藩競って送り出した海外留学生だ。その数、152人。

続きを読む "明治エリートの起源"

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《弁護士》として逮捕された西村議員

 弁護士による、あるblog記事に重要な指摘がありましたので、問題点を共有したいと考え、重複を恐れず、記事化します。

その記事とは下記です。

西村議員に対する組織犯罪処罰法適用の狙いは何か?

 上記記事の主旨はこうです。

西村議員が逮捕された。それはあたかも、よくある国会議員の政治スキャンダルのように見える。しかし、そこには隠された意図がある。それを理解するには、本事件の違法立件に使われた法律をみなければならない。それは、二種類ある。

1)弁護士法違反
2)組織犯罪処罰法違反(犯罪収益等収受罪)

問題は、2)である。これで重要なことは、弁護士に対して組織的犯罪処罰法を適用して検挙したのは、初めてケースだということ。そして、特に「犯罪収益等」が重要。

ある収益が犯罪によって得たものかどうかを判断するための前提を、前提犯罪という。

そして、その前提犯罪に関して、これを懲役4年以上の犯罪の全てに拡張する法案が国会で継続審議中であり、それこそが、例の《共謀罪》新設を含む「犯罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案」である。

この改正が恐ろしい点は三つ。

①「犯罪収益」が極めて広い前提犯罪から生じること。

②ということは、「犯罪収益」の認定もだだっ広くなり、かつ、「朱に交われば赤くなる」で、その超広義の「犯罪収益」が少しでも混じった「混和財産」から、それと知って、弁護士報酬を受け取っちゃったら、「犯罪収益等収受罪」が成立してしまうこと。

③ということは、犯罪被疑者から依頼されて弁護をしようという私選弁護人はいなくなってしまう、ということ。現に、同様の法律のある米国でも、被訴追の危険から、麻薬密売人の弁護人が不足し、被疑者の弁護を受ける権利が侵害されている。

そして、結論は
弁護士であっても、決して、犯罪収益等収受罪適用の例外にはしないという大阪地検特捜部の宣言に他ならない」
である。

 つまり、お上に楯突く《弁護士潰し》*の前触れと考えられる、ということです。

*西村議員逮捕の本命は弁護士潰し、か~“国策説”百花繚乱の渦に飛び込んでみる
より。

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