藤原正彦 『国家の品格』 新潮新書 2005年(7)
この本は端的に評して、トンデモ本である。ゆえに粗を指摘すればきりがない。それも人間や歴史、西洋、日本(人)についての事実認識に関して、読者に一通りでないひどい誤解を与える。それは思想信条以前の学知レベルでの話である。その意味で、この書の編集者の知的レベルは無限に低く、その罪は果てしなく重い。
執筆者がアホなのは仕方がない。それを篩(ふるい)にかけるのが編集者の職業人としての責任・矜持(=プロフェッショナリズム)であり、編集者魂(=エディターシップ)だろう。現在の日本の知的世界が衰弱しているとするならば、その責めの多くはこの手の低脳編集者が負わねばなるまい。blogの世界が繁盛するのも故なしとしない。blogによっては、そのクォリティーの高さに瞠目すべきものが少なくないからだ。
しかし、ある国の知的世界の質は、そこに飛び交う言説の質に依存し、その言説の質を決定付けるものは、残念ながら、ネット・インテリではなく、公 論に資する印刷物(新聞、雑誌、書籍)なのだと思う。なぜなら、それらは執筆者の単なるモノローグではなく、必ず執筆者と編集者という複数の人間の共同作 業の成果だからである。人間が二人以上集まれば、そこに公が可能的に発生し、お互いに責任が生じうる。編集を経て生まれた著作物は、たとえ一人の読者がい ずとも、一つの作品に対して二人の人間(=執筆者+編集者)が共同して責任を負う公的なものだと思うのだ。それだけに、この低脳編集者が日本の公論の知的 レベルを確実に一つ下げたという意味で、その責任は極めて重い。
最後に、藤原氏のエリート論に触れて終わろうと思ったのだが、前置きが長引いたので、次回に。
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コメント
賈雨村さん
コメントありがとうございます。早速、阿部重夫氏のblog見に行ってまいりました。知人が編集担当ということで、まだ若干の遠慮が垣間見えますが、正当なものでしょう。参考になりました。自分だけでは知りえない知的連鎖を、不特定多数の方々の中の、たまたま当blogに関心を持たれた賈雨村さんにご教示いただける。ネットのありがた味を感じました。今後もコメントなど戴けますと嬉しいです。
投稿: renqing | 2006年5月29日 (月) 12時22分
初めてのコメントです。ここに僅かですが編集者に関する話が出ていました。
http://facta.co.jp/blog/archives/20060329000114.html
投稿: 賈雨村 | 2006年5月29日 (月) 06時43分
ここ数日のrenqingさんの記事は、佐高信でも読んでるかのような印象です(笑)。いいですねぇ。
今回はなんか、佐野眞一『だれが「本」を殺すのか』を思い出しましたよ。
しかし、矜持。プロフェッショナリズム。ですね。
投稿: 足踏堂 | 2006年2月17日 (金) 17時24分