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2006年2月

2006年2月28日 (火)

あなたがステーキを1kg食べることの意味

「 日記はこれから書かれるところです。」さんが、このことの意味を問うている。
し・し・し

 簡便なデータとしては以下のサイトを見ていただきたい。
ベジタリアン・ネットワーク「食糧問題

 あと、なぜか、去年11月から更新が途絶えているが、下記のサイトも参考になる。
肉食再考委員会」さん
(FAOの関連サイトもたどれます。)

 知らずに他者を餓えさせて、そのうえ、出っ張った下腹を凹(へこ)ますために、エクササイズする、なんて、さしずめ《現代の怪談》と言うべし。

〔閑話休題〕

 で、最近、某数学者のがらみのことを大量に書き続けていたので、少し頭が混乱、というか、脳細胞のネットワークに支障をきたしているのではないか、という幻覚、いやもとい、自覚を感じたりしていて、(自覚を感じる、と書くのも相当重症か?)、大脳ネットワークのダウンに少し慄(おのの)いていたりする。

 こういうときは、ヘンなことを思い出すもので、「菜食主義社会主義者」という言葉を思い出した。この《主義者》は、サイバネティックスの創始者N.ウィーナー(Norbert Wiener)のお父ちゃんだ。ハーバード大学のスラブ語講師で、イディッシュ語の研究者、その名を、Leo Wienerという。彼は、ユダヤ系ポーランド人の移民一代目なので、倅(せがれ)のような米国語読みしない。だから、レオ・ヴィネル、と読む。

 ま、それだけのことなんだが、この「菜食主義社会主義者」、英語名なら、vegetarian socialist だろう。東欧にそんな主義があるのか、前から知りたかったのだが、まだその機会に恵まれない。ただ、スラブ世界には、フランスの初期社会主義者シャルル・フーリエの流れを汲む社会主義が流布していたので、その関連かもしれない。あのドストエフスキーだって、若かりし頃は立派なフーリエ主義者だ。

 思考がランダム・ウォークしつつあるので、このへんで。

*参照(「菜食主義社会主義者」なる言葉はこの本で知った。)
『フォン・ノイマンとウィーナー 2人の天才の生涯』
Steve J.Heims著, 高井信勝訳, 工学社(1985)

**告白します。私は本日、この記事を書いたことをすっかり忘れてしまい、松屋で豚丼とあろうことか、とん汁まで食べてしまいました。口舌の輩として、ご批判を甘受いたします。m(_ _)m

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藤原正彦 『国家の品格』 新潮新書 2005年(番外編/最終回)

 いわゆる「産業革命」(この語も、歴史学の上ではだいぶ怪しくなってきたが)で、高校世界史あたりに出てくる、ニューコメン(蒸気機関)、ワット(蒸気機関)、トレビシック(蒸気機関車)、スティーブンソン(蒸気機関車)、等は、職人、もしくは、技師であって、科学者ではない。そもそも、イギリス(他の西洋諸国も含めて)の大学は、牧師、法律家といった、社会統治に関わる専門家を養成するためにできているのであって、イギリスに工学部(らしき)ものが出現したのは19C.も終わりである。それも、明治のお雇いイギリス人ダイヤーが大陸諸国のような先進的工学教育を目指して設立した工学寮(後の東大工学部)の成功を、ダイヤーが母国に戻って喧伝してからなのだ。ひょっとすると、工学部の起源は日本かもしれない。たぶん、ドイツが先だと思うが。

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2006年2月27日 (月)

中高生が考えた新事業 発表会

 というニュースが、NHKで流れた。下記↓

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2006年2月26日 (日)

ご迷惑(2)

 証券取引法違反(容疑)をしても「ご迷惑」と大新聞社社長が記者会見で頭を下げる。その一方で、イラクにボランティアに行って人質になってしまった人たち(の家族)も「迷惑」をかけたといって「世間」に頭を下げさせられた。

 いったい、この二つを同列に論じられるのか。前者は違法行為、犯罪であるり、3年以下の懲役若しくは300万円以下の罰金(又は併科)だ。ましてや、経済専門紙の日経だろう。そのやったことの重み、社会的影響力は計り知れない。後者は、違法行為でさえない。外務省は彼らに旅券を交付し、彼を日本国民として保護する義務を有するのだ。

 「ご迷惑」。 この言葉が公けの場で使われるとき、そこに坐るものが、社会的強者なら、その犯した違法行為、犯罪、をごまかそうとしている可能性が高く、社会的弱者なら、違法行為でもないことをあたかも罪であるかのように、言わされている可能性が高い。

 「迷惑」と声高にいいたがる人物には気をつけたほうがよい。極めて政治性の強い言葉である。

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2006年2月25日 (土)

天下の悪法、「電気用品安全法」に反対する

 この記事は、私のミッドナイト定期配信(笑い=_=v)とは別の、エクストロオーディナリィ記事です。miyau さんの記事に刺激されて、私も微力ながら話題を盛り上げようかと。

 この法律の実態は、中古電気製品の流通を根絶やしにし、消費者が新品の電気製品を買うようにして、家電、電機メーカーの売り上げを増やしてやろうという、環境に厳しい、資源浪費を助長して喜ぶ、経済産業省の有り難い企みです。

 まずは、坂本龍一、高中正義、松武秀樹、椎名和夫、たちが反対署名を集めているので、下記の日本シンセサイザー・プログラマー協会のサイトに飛んで、概要をご覧の上、署名にご協力ください。

電気用品安全法(PSE法)に対する署名

 もう少し情報収集をされたい方は、下記のサイトへ飛んで、ご自分で考えてみてください。

1)「気刊くろみつタイムス」さんの記事

悪法 電気用品安全法

悪法 電気用品安全法 その2

悪法 電気用品安全法 その3

2)「そぞろ日記」さんの記事

PSE法に見る「新自由主義の影」-PSE法に対する署名にご協力お願いいたします

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ご迷惑

 日経広告局の社員が、株のインサイダー取引をして、杉田亮毅(りょうき)社長が2/24の記者会見で、「信頼を損いご迷惑をおかけしたことを深くおわびしたい」と陳謝した。
 まだ、容疑の段階らしいので、違法行為の存在は確定していないが、社内調査も並行してやっているので、ま、間違いのない事実なのだろう。

 そこで、この「ご迷惑」である。新潮国語辞典 現代語・古語(昭和57年新装改訂版)によれば、《迷惑》とは、

1)どうしてよいか迷うこと。
2)困ること。困惑すること。

とある。うーん、違法行為嫌疑の記者会見なのに、謝ってないじゃん。いったい、誰を迷わせ、困らせたのだろう。

 ということろで、次回に。

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2006年2月24日 (金)

大人の分類(2)

 名付けて、「大人マトリクス」、を作ってみた。

       |             善             |              悪
--------------------------------------------
       |                             |           姉歯
  賢  |     普通の大人        |    ホリエモン
       |                             |      etc.
       |                             |
--------------------------------------------
       |                             |
  愚  |      危険な大人       |   付ける薬なし
       |                             |
       |                             |

 ここで、悪、とは、善悪の分別ができるのに、あえて悪を選ぶこと。そうでなければ善。
また、賢、とは、善悪の分別が自分でできるか、少なくとも、他人の意見を参考にしたり、調べたりしたうえで、自分で善悪の分別をつけ、その結果に責任を負えること。だから、善悪の区別が付けられないとか、ことの善し悪しを、自分でよく考えたり、調べたりしないで、簡単に他人の意見に流されて決め付けてしまう者が「愚かもの」と言う。

 まともな大人、つまり、普通の大人は、賢善ディメンションにいるはずだ。何も難しいことではない。こういう大人が多ければ、まともな社会といえる。

 愚善ディメンションは危険だ。付和雷同社会で、簡単にマスコミや政治家の口舌にうかうかと乗ってしまう。しっかりした大人になるための教育が意図的にサボタージュされているとこういう社会になってしまう。

 賢悪ディメンションは、いわずと知れた、姉歯のような連中。悪いこと分かっていて、やっている。

 愚悪ディメンションは、社会の中で元来、確率的には多くないはず。そんなのが多数者だったら、その社会はつぶれているか、地上から消し去ったほうがよい。

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2006年2月23日 (木)

大人の分類

 官立大学教授である某数学者が(少し引っ張りすぎ?)、人間を二つにカテゴリーに分けていた。エリートと庶民(=国民)である。すでに記事に書いたように、この分類は成り立たない。しかし、別の立て方ならありそうだ。少し試みよう。

 やってみるのは、大人の分類である。最近、姉歯やらホリエモンやらの、トンデモ大人がやたらと目立つので、それをしっかり見つめている子供たちは、「なんだ、大人っていい加減じゃん。」と思うだろう。その通り。大人にも、善い大人と悪い大人がいる。だから、子供たちが迷わないように、ここは一番、その分類表を作ってみようと思ったわけだ。カテゴリは2種類×2種類で、四つの次元(dimension)に分類してみる。

 カテゴリーは、善と悪、賢と愚、である。

 ということで、表を作ろうとしたところで、時間切れとなったので、次回に。

※参照 大人の分類(2): 本に溺れたい

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2006年2月22日 (水)

平原綾香の歌う「桜坂」

 少し前になるが、某国営放送で平原綾香のワンマンショーが深夜あった。他人の曲をいろいろカバーしていたが、いいような、そうでもないような、判断に苦しむ歌い手、という印象を再び深くした。

 ただ、その中で、一つ、福山雅治の「桜坂」のカバーしたものは、よかった。もう一度聞いてみたい気にさせる(曲がよかっただけ?)。他の歌は、あまりパッとしない感じだ。売れている歌手なのだろうが。

 原因は、どの曲を歌っても、一本調子なところにありそうだ。「月のワルツ」でブレイクした諫山実生と比べてみればよく分かる。某国営放送の《みんなの歌》のDVDに同時に収録されている、諫山の歌う「恋花火」は、「月のワルツ」の歌いっぷりと全く異なり、これが同一人物とはにわかに信じられない。私なら、歌い手としての天分は諌山に軍配を挙げる。

 もっとも、現代のテクノロジーは、腕っこきのレコーディング・エンジニアを、錬金術師の域にまで押し上げる力を与えるようなので、ライブで聴いてみないと本当のところはわからないが。その点、平原綾香にはフェアではないかもしれない。

 何を歌っても一本調子の彼女が売れるのは、クラッシックの替え歌を歌ったこと、現役音大生で音楽一家といったような経歴ゆえだろう。つまり、snobbishな支持。某数学者の天才バカ本が売れるのと似ているかも知れない。それにしても、自分のとこのオリンピックテーマ曲を歌ってるからって、某国営放送も大掛かりな提灯番組をつくるものだ。ご苦労さん、といいたいが、受信料の無駄遣いっていう気もする。

 最近の記事で疲れたので、気分転換。お後がよろしいようで。m(_ _)m

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2006年2月21日 (火)

藤原正彦 『国家の品格』 新潮新書 2005年(番外編2)

 番外編に番号がつくというのも、いささか矛盾を感じるが、ま、それはそれ。本日も時間が全く無いので、簡単に図式化する。

  魔術・錬金術 → 数学・物理学・化学  例 I.ニュートン(物理学者&錬金術師)

  芸術・建築 → 技術・工学  例 ダ・ヴィンチ(絵描き&建築家)

 この全く起源を異にする流れが合流する画期は、19世紀後半に天才科学者マクスウェルが天才職人ファラデーの仕事を総括し《電磁気学Treatise on Electricity and Magnetism》(1873)を著したこと、および、ドイツがイギリスに追いつくために、研究所システムを創出し、そのなかで、鉄鋼業の炉心温度測定のためのスペクトル分析から前期量子論が偶然にも誕生したことだった。(続く)

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2006年2月20日 (月)

藤原正彦 『国家の品格』 新潮新書 2005年(番外編)

 うーむ、いい加減、この本から離れたかった。しかし、短時間に記事を書く必要から、すぐに思いつく事が、この本への文句しかなかった。我ながら情けない。(-_-;

p.16「 このように十世紀間という長期にわたり非常に遅れていたヨーロッパで、まずルネッサンス、続いて宗教改革、ガリレイやニュートンなどによる科学革命が起こり、理性が解放されるようになって、ヨーロッパは初めて論理や近代的合理精神というものを手にした。これによって産業革命が起こり、その後の世界は欧米にやられてしまったのです。」

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2006年2月19日 (日)

藤原正彦 『国家の品格』 新潮新書 2005年(9/最終回)

 藤原氏は、人間は二種類いる*、と信じているらしい。引いてみよう。

p.83**
「・・・。過去はもちろん、現在においても未来においても、国民は常に、世界中で未熟である。したがって、『成熟した判断が出来る国民』という民主主義の前提は、永遠に成り立たない。民主主義にはどうしても大きな修正を加える必要があります。」

p.83
「・・・。真のエリートというものが、民主主義であれ何であれ、国家には絶対必要ということです。この人たちが、暴走の危険を原理的にはらむ民主主義を抑制するのです。」

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2006年2月18日 (土)

藤原正彦 『国家の品格』 新潮新書 2005年(8)

 本来は、別の記事として書くべきであるが、先の関曠野からの引用が多少中途半端な面もあるので、もう一つ引用することをお許し願いたい。

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2006年2月17日 (金)

藤原正彦 『国家の品格』 新潮新書 2005年(7)

 この本は端的に評して、トンデモ本である。ゆえに粗を指摘すればきりがない。それも人間や歴史、西洋、日本(人)についての事実認識に関して、読者に一通りでないひどい誤解を与える。それは思想信条以前の学知レベルでの話である。その意味で、この書の編集者の知的レベルは無限に低く、その罪は果てしなく重い。

 執筆者がアホなのは仕方がない。それを篩(ふるい)にかけるのが編集者の職業人としての責任・矜持(=プロフェッショナリズム)であり、編集者魂(=エディターシップ)だろう。現在の日本の知的世界が衰弱しているとするならば、その責めの多くはこの手の低脳編集者が負わねばなるまい。blogの世界が繁盛するのも故なしとしない。blogによっては、そのクォリティーの高さに瞠目すべきものが少なくないからだ。

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2006年2月16日 (木)

藤原正彦 『国家の品格』 新潮新書 2005年(6)

 ロックの言明で重要な部分は、人間の諸権利が自然法の下にあるという点の他に、もう1点ある。

‘as they think fit’

「自分の考え一つでよしとしたところにしたがって」

という部分である。

 他の著者から一文を引用しよう。

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2006年2月15日 (水)

論理と因果(5・おまけ)

 おまけ。というよりは、言い訳。

 前回(4)で挙げた因果関係の例はあまり適切ではなかった。生物の機能を因果論的に説明しようとすると、どうしても、《進化》という思考枠組みを介在させることが必要となる。そして、 ここでいう《進化》とは以下のようなことである。

「1世代を超える時間的なスケジュールでの生物の(遺伝的な変化を伴う)形質の時間的変化」*

をいい、特に、<適応的進化 adaptive evolution> は、

「遺伝的変異に選択が作用して形質の時間的変化がおこるもの」*

である。

 《原因→結果》連関、《目的→手段》連関とが、《進化》とどのような関係にあるかは、科学論、ないし科学哲学での面倒な議論に行ってしまうので、またの機会に試みることにする。悪しからず。

*岩波理化学辞典 第5版、1998年、「進化」の項。

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2006年2月14日 (火)

論理と因果(4・結語)

 一つの例を出して、このシリーズを終わろう。

 健康ブーム(ある意味、病的か?)のおかげで、日本伝来の食文化、食材が見直されている。その中にワカメやコンブなど海藻類があるのをご存知であろう。

 で、そのヌルヌル状物質が考察の対象である。このヌルヌルが体に良いらしいとテレビ等で評判なわけだ。このヌルヌルの正体は、アルギン酸、フコイダン、という名の、水溶性食物繊維=粘質多糖類、ということらしい。

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2006年2月13日 (月)

法について少し

 以前から気になっていて、うまくまとまらないことがある。

 「法」と「相互性 reciprocity」の関係だ。

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2006年2月12日 (日)

藤原正彦 『国家の品格』 新潮新書 2005年(5)

p.69 藤原氏のJ.ロックからの引用文
「人間は生まれながらにして完全な自由をもつ。人間はすべて平等であり、他の誰からも制約をうけない」

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2006年2月11日 (土)

藤原正彦 『国家の品格』 新潮新書 2005年(4)

 J.ロックについては、極めて杜撰(ずさん)な、引用でもない紹介でもない、書き方をしているので、これには要注意。

 まずは、藤原氏の文章から。

p.69
 ロックというのは、大物中の大物思想家です。・・・。著書中に「人間は生まれながらにして完全な自由をもつ。人間はすべて平等であり、他の誰からも制約をうけない」とも記しました。

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2006年2月10日 (金)

藤原正彦 『国家の品格』 新潮新書 2005年(3)

 もうそろそろ、この作業を終わりにしたいのだが、あと2回だけ試みる。

 藤原氏は第三章「自由、平等、民主主義を疑う」と書いている。

 彼のいの一番で疑っている《自由》に関する記述を見てみよう。

p.67
 権力を批判する自由さえ完全に確保されれば、他は制限されていい。そもそも、嫌な奴をぶん殴ったりする自由もないし、道端で立ち小便する自由もない。私には諸般の事情から愛人と夢のような暮らしをする自由すらない。ほとんどの自由は廃棄するまでもなくあらかじめないか、著しく制限されているのです。欧米が作り上げた「フィクション」に過ぎません。

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2006年2月 9日 (木)

論理と因果(3)

 前回、関数(=写像)とは、

「二つの集合 X,Y があって,X のどの要素 x にも,Y の要素 y がちょうど一つ対応しているとき,この対応を X から Y への関数,または写像」

である、という定義を引用しました。

 一方、因果、ないし、因果関係を私なりに整理するとこうです。

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2006年2月 8日 (水)

論理と因果(2)

 藤原氏の文章を読んで前頭葉にストレスが蓄積したので、気分転換に少し書きます。

《関数とは何か》

「二つの集合 X,Y があって,X のどの要素 x にも,Y の要素 y がちょうど一つ対応しているとき,この対応を X から Y への関数,または写像といい,記号 f などを用いて,f:X→Y と書いたり,y=f(x)と書いたりする。」*

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2006年2月 7日 (火)

藤原正彦 『国家の品格』 新潮新書 2005年(2)

 事実誤認を一つ。

p.57
 例えば、「人を殺してはいけない」というのも、完全に真っ白ではありません。そもそも、死刑という制度があって、合法的殺人が認められている。

 この記述は正確ではない。下記のサイトをご覧戴きたい。現在、196の国家がある中で、死刑存置国は、76カ国、法律上・事実上の死刑廃止国の合計、120カ国である。先進工業国で、死刑存置国は、日本、米国、韓国だけであり、そのうち韓国も国会で死刑廃止法が3回も上程され、死刑執行も10年近く執行していないので、近いうちに廃止国になるだろう。つまり、ブッシュ氏と小泉氏だけが、こまわり君よろしく(ウーン、古い)、「死刑!」で頑張っているわけだ。

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2006年2月 6日 (月)

藤原正彦 『国家の品格』 新潮新書 2005年(1)

 この本を読了し、率直な感想は、「疲れた」である。*

 私は本を読むことが好きである。それは私の人生において大切な行為であり、一日の三分の一以上の時間を仕事に投ずる身としては、読書の時間はとても貴重なものとなる。また、以前から、著者の『若き数学者のアメリカ』や『数学者の言葉では』、『遥かなるケンブリッジ』にも親しんでい、その軽妙、洒脱な語り口も好きだった。簡単に言えば、旧いファンだったと言える。

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2006年2月 4日 (土)

言葉のない遺言*

 無言館、 それをあなたはご存知だろうか。

 大東亜戦争で没した画学生たちの遺作を収蔵している美術館のことである。

 その展覧会が全国巡回中で、明日(2/5)の尾道市立美術館で終了となる。もし、近くに住まわれているなら是非一度はご覧になるべきだと信じる。私はと言えば、NHKの番組で涙を流しただけだ。機会をつくり、信州上田の本館へ伺いたいと思っている。下記サイトもご覧戴きたい。

1)無言館のこと

2)ARCHITECTURAL MAP 無言館

3)無言館(戦没画学生慰霊美術館)

*アンデルセン童話の「絵のない絵本」を真似てみました。アンデルセンも昨年生誕200年。別に記事を書くつもり。毎晩、できるだけ0:15に掲載することにしていますが、この記事は急ぐ必要もあり、今(12:50)掲載します。そのため、今晩の記事更新の代わりとさせて下さい。悪しからず。明晩、藤原正彦『国家の品格』2005年の、ちゃんとした書評を掲載します。乞うご期待。

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他山の石

 文部科学省の《小学校で英語》というのはどうも支離滅裂、イミフメーだ。↓

平成18年度 小学校英語活動地域サポート事業の募集について

 「他山の石」「世間ずれ」も、意味を逆転させて使う世代が増えているのを見て、日本人の日本語能力に危機感を覚えないのだろうか。↓

平成16年度「国語に関する世論調査」の結果について

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2006年2月 3日 (金)

《社会》の発端

 新明正道 『社会学の発端』 有恒社 昭和22年(1947)、より

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2006年2月 2日 (木)

論理と因果(1)

 今、ちょっとした話題の本を読みかけている。某(元?)数学者の本だ。

 しかし、何かおかしい。彼は数学者なので論理の専門家だ。で、その彼自身が、論理だけでは世界は破綻する、という。ま、それはそれでもよい。ただ、彼が非難してやまない「論理」には、どうも異なるものが混在しているようだ。

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2006年2月 1日 (水)

後鑑(のちかがみ)

 標題は、1853年(嘉永6)に江戸<幕府>が修史事業の一環として完成させた室町<幕府>に関する記録。編者は、奥儒者成島良譲(筑山)。〈某将軍記〉と題する足利将軍の事跡を収める本編347巻と同記の付録20巻。

 明治<軍事クーデタ>が15年後の1868年である。同じ嘉永6年にはペリー艦隊も浦賀に出現する。日本史上における開国を巡るてんやわんやはここから始まるのであるが、その年に室町<幕府>史の編纂事業が完成するとはなんと言う皮肉。というより、徳川氏の天下の動揺にようやく気づきだした要人たちが、水戸学の大日本史編纂を横目で見ながら、自らの正当性の論拠のために編纂に乗り出したというべきなのだろう。まだそのくらいの余裕はあったということだ。

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