坂本多加雄『日本は自らの来歴を語りうるか』筑摩書房 1994年
坂本多加雄 『日本は自らの来歴を語りうるか』筑摩書房(1994年)
今、読み止しの本を紹介するのもどうかと思うが、この本は優れている。中でも、
三. 中江兆民『三酔人経綸問答』再読―「理想主義」と「現実主義」のあいだ
は、傑作の部類にはいるのではないか。著者の所属大学の紀要から転載したものということで、詳細な註が省かれているのは惜しまれる。他の所収エッセイと趣が異なる論文なので、ま、仕方ないか。
兆民の『三酔人経綸問答』は、数多く論ぜられてきたであろう。そられをほとんど知らない私が言うのはおこがましいが、それでもたぶん五指に入る出来だと思う。
ただし、私の高評価が、坂本論文の内容への賛意を同時に意味するわけではないことは言うまでもない。*
*あくまでも、価値自由(Wertfrei)な立場からのものである。
下記も参照を乞う。
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コメント
加齢御飯さん 「スクリーンのなかの戦争」は読んでみます。で、ようやく、坂本氏の「来歴」が読了しました。今、読み通して、坂本氏が何ゆえ、「作る会」などに、引き込まれたのか、少し見えてきた気がします。近いうちに、もう一度、記事化します。
投稿: renqing | 2006年3月16日 (木) 07時52分
追伸です。文藝春秋新書から出ている坂本さんの『スクリーンのなかの戦争』もお読みください。素晴らしい本だと津もいっておりました。
投稿: 加齢御飯 | 2006年3月15日 (水) 21時58分
さらに改稿します。「多加雄ちん」の好きだった思想家は、福地桜痴、福沢諭吉、山路愛山、そして中江兆民です。左右というスペクトラムでは語りつくせないものがあり、つまり彼の志向していたものは、ブルジョア民主主義ということになります。阪本さんの思想は、リベラル右派というものであり、偏狭な超国家思想は共産主義とならんで、彼のもっとも忌み嫌ったものであると私は断言できます。それだけに晩年(?)の彼の「創る会」への接近はまことに不可解なものであります。そして彼がそこへ追い込まれて行った日本の言論の磁場の貧弱さということを思わずにはいられません。私は坂本さんの知力の素晴らしさを知るものの一人です。福田恒在以来の、右派の創造的論客たりえた彼のあまりにも早過る死を誰よりも悼む一人です。坂本さんの著作を好意的にとりあげていただいたことに、古くからの彼の友人の一人として心より御礼もうしあげます。
投稿: 加齢御飯 | 2006年3月15日 (水) 21時56分
長くなりましたので稿を改めます。坂本さんの修士論文は福地桜痴に関するものでした。桜痴の「斬進主義」=保守せんがために進歩するマンハイム的保守主義、を坂本さんは高く評価していました。博士論文ではさいしょ高山樗牛をとりあげるといって、1、2年その文献収集と読解に没頭していたのを目の当たりにしています。しかし彼はその博論の構想を放棄してしまった。なぜかと問うと、「高山は編狭な超国家主義者。そこからはいかなる未来もみえてはこない」。というものでした。
投稿: 加齢御飯 | 2006年3月15日 (水) 21時48分
この前お会いした時にお話したように私は若い頃、坂本多加雄さんに親しく接していただいておりました。まことによい人でしたし、圧倒的な勉強家でした。私がこれは自分が逆立ちしてもかなわないほど頭がよい人だと思ったのはまず坂本多加雄、そして関曠野です。妻も学習院の法学部で働いていた時期があります。事務助手(副手といっていた)をしていたのですが、坂本さんのおよそ学者らしからぬ気さくな人柄は他の副手の方々からも圧倒的な人気があり、「多加雄ちん」の名で親しまれていたようです。
投稿: 加齢御飯 | 2006年3月15日 (水) 21時42分