隣人の権利は、“あなた”の権利そのものだ
戦乱のアフガニスタンから逃れてきた青年が、難民申請しているにも関わらず、法務省は認定せず、不法滞在として拘束と仮釈放を繰り返している事件がある。このことは、すでに、このblogでも、幾度か取り上げた、
現在、係争中だが、その東京高裁での裁判が来る4月12日(水)にあり、結審が出る可能性がある。もしご関心があれば下記のリンクから詳細をご覧戴きたい。
また、同じゴールを目指しつつ、微妙にそのアプローチの異なる*、知的朋友、「 日記はこれから書かれるところです。」さんの下記記事も参照されたい。
自らの意思ではないが、縁あって、この世に生を享けた我々。その我々の人間としての権利の問題に、日本人も、“国民”も、外国人も、その区別があるわけがない。すべて、隣人の問題なのだ。そして、隣人の問題とは、あなたや私の問題なのである。
*どうも察するに、氏は Kantian らしい**。私は、Kant も、Kantian、Neo-Kantian にも、実は文句がある。氏の折伏をめざすことで、renqing理論を鍛えようかと密かに(バレてるって)目論んでいる。おいおい記事化しよう(したい、できたらいいなぁ)。
**ま、これも私の当て推量に過ぎないが。
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コメント
私はrenqingさんの方が、よりカント主義者だと思ってましたが(笑)
投稿: 足踏堂 | 2006年3月17日 (金) 01時16分