« 明治「憲法」の起源(1) | トップページ | 明治「憲法」の起源(2) »

2006年4月24日 (月)

優れた「国家の品格」批判blog(4/26追加)

 以下に、藤原正彦著「国家の品格」を、強烈に、そして効果的に批判するblogを紹介しておこう。

「愛と苦悩の日記」書籍カテゴリー中の2006/04/下旬あたり
*このあたりに集中して掲載されている。リンクが切れていたので、訂正。(2007/01/08)

 その舌鋒の鋭さとパワーに敬服。私はさすがに、もうあの天才バカ本を扱う元気ありません。

 あ、そうそう。藤原氏の「惻隠の情」を援用した議論がおかしいことにつき1点だけ。

 そもそも、「惻隠の情」って、高校の漢文でやったはずだけど、「孟子」の公孫丑章句上に、「惻隠之心、仁之端也」ってあるやつが出典だ。つまり、 その淵源は中国古代思想。その上に、孟子の論理は、人間なら必ずや同じように持っているはずだ、という西洋の自然法思想と極めて近い、普遍性志向の思想。 つまり、人間は生まれながらにして「自由」であり、「平等」だ、っていうのと思考の志向は同じというわけである。

 それを、「日本の独自性が世界を救う」という文脈で使ってくれるわけだから、藤原某氏の教養の底の浅さがわかろうというものである。

追加(4/26)
 この記事にコメント、TB戴いた、sleepless_nightさんの 新田次郎によろしく/『国家の品格』への道 は、藤原某氏の著作が時系列で整理されていて、その変貌が手に取るようにわかります。こちらも優れた記事だと思います。ご参照あれ。

〔補註〕
この書に対する私の評も参照して戴ければ幸甚。
下記カテゴリー中に、本編として9回分、番外編として3回分掲載しています。
「国家の品格」関連カテゴリー

|

« 明治「憲法」の起源(1) | トップページ | 明治「憲法」の起源(2) »

中国」カテゴリの記事

古代」カテゴリの記事

「国家の品格」関連」カテゴリの記事

コメント

私も菜月さんのコメントは藤原氏を擁護しているのか、あるいは、言葉とは裏腹に批判しているのか要領を得ませんでした。
どうも、藤原氏を貶しているようにも読める。
ぜひ、この点、renqingさんの記事のどこの部分を、批判されてるのか明快にしていただきたいものです。興味深いもので。

投稿: 足踏堂 | 2006年5月26日 (金) 00時01分

>renqingさん、

 いやいや、次はきっと、「日本人は受身で優しすぎて、他人を攻撃したり迷惑を掛けたくないから自殺するのだ」とかくるんですよ、きっと(笑)。

投稿: まつもと | 2006年5月22日 (月) 05時09分

葉月さん コメントありがとうございます。
 さて、私は確かに藤原某氏の天才バカ本を批判しております。また、葉月さんはその同じ本を擁護しておられるようです。ただ、私には葉月さんがどのような観点で、私の批判を問題とし、それに対して、どう反論されているのか少々要領を得ませんでした。
 ということで、私は葉月さんへのレスを書きようがありません。ごめんなさい。
 日本人が情に厚いか、薄情かを考えるための材料として、日本の自殺についてあげておきます。この数年間平均して3万で、年間交通事故死の1万人の3倍です。この数字は、いかにも日本人の自殺者への冷たい視線を示していると私には思えます。
自殺率の国際比較
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/2770.html
「日本は欧米先進国と比較すると確かに世界1の自殺率となっている。さらに範囲を広げた国際比較では、図のように、日本は、リトアニア、ロシア、ウクライナ、ハンガリーなどに次ぐ世界第10位の自殺率の高さとなっている。このように国内の混乱が続く体制移行国に次いで高い自殺率ということから日本の自殺率はやはり異常な値であるといわざるを得ない。」(上記サイトより)

投稿: renqing | 2006年5月22日 (月) 03時06分

↓いまどき珍しい、ゲンナリするほどステレオタイプな日本人論。
 その大陸民族とやらの国で生活していると、とくに40代以下の日本人がいかに謝り方や公衆としての道義を知らないか痛感させられる。
 明らかに自分に非がある状況で非を認めることもせず凍り付き、電車の中で子どもをおぶってよろけながら立っている母親がいるのに、知らん顔をしたり寝たフリをしてやり過ごそうとする、若者のみならず中年男女の群れ。何が思いやりだ、といいたい。
 しかし考えるに、謝れない日本人は道義に欠けているのではなく、謝って弱みに付け込まれることや、ひょっとすると弱々しく反省する自分を恐れているのかもしれない。だとすると、その社会はいよいよ「優しさと思いやり」に欠けた弱肉強食の巷、ということになるのだが。

投稿: まつもと | 2006年5月21日 (日) 07時43分

わたしは藤原先生の著書を擁護します。藤原氏の本を批判する方々は、他者への思いやりの欠如とか情緒の欠如とかおっしゃいますが、何か勘違いしているのではありませんか。

旧ソ連圏・中国に住む大陸型民族は長年月の間、民族紛争でもまれてきました。その結果、攻撃的な体質が身についたといえます。例えば、机上にあった花瓶を落として壊した場合でも、「そんな所に置いとくほうが悪いじゃないか」と平然と言い放ちます。一言で言うと、紛争慣れしているとでも言ったらいいのでしょうか。

彼らは自己反省などめったにやりません。相手に反省させるのです。相手に反省させるように持って行くことが外交であると、そういうふうに考えます。受身ではないでしょう。

日本人の多くは民族紛争でもまれた経験がありません。本で読むかテレビで見ているだけです。これはどんな鋭い批評をする知識人も同じです。そして机上にあった花瓶を落として壊した場合、相手の気持ちを優しく思いやって素直に謝って反省します。反省するのはいいことだと心の底から信じているようです。

この相手を思いやる優しさが日本人の長所です。たしかに長所なのですが、紛争慣れした大陸型民族の目から見ると、どのように見えるのかが大問題です。「受身でナイーヴ」ですね。謝りさえすれば許してもらえると思い込んでいるわけですから。

とりあえず謝って反省しておけば相手はきっとわかってくれて、物事は丸く収まっていく。相手がわかってくれない場合は、こちらの謝り方、反省の仕方が足りないからだ。こういう島国の民族特有の受身の考え方は、日本の中でおやりになるのはかまわないのですが。紛争慣れした大陸型民族相手にそれをやっても通用しません。

投稿: 菜月 | 2006年5月20日 (土) 08時11分

またまた、おはよう御座います。
国家の品格、批判されてますか。私の「読まず」批評では、内田樹の朝日新聞批評を引用しましたが。書きましたように、タイトルからしてNo Thanksでした。

ところで、明治憲法、ですね。わたしも勉強したいと思っています。わたしの最近の記事にも書いているのですが、最近出された本で私の目に留まったのは下記です。

坂野潤治『明治デモクラシー』 買った
坂野潤治+田原総一朗『   』   立ち読みした。書名失念。
立花隆『天皇と東大』   立ち読みした

それに。。
古~い岩波新書『現代日本の思想』第四章 何冊ももっている。

坂野潤治の明治デモクラシ、はとても良い本に思いました。とくに北一輝ファンのわたしは涙の出るような。。

すると、当然、久野収の北一輝評価に行き着くわけです。

投稿: 古井戸 | 2006年5月 6日 (土) 07時36分

米八さん どうも。著者より以上に、編集者に責任がありますね。ぎりぎりのところでは、矜持を発揮してしかるべきだと思います。

投稿: renqing | 2006年5月 1日 (月) 07時57分

1ヶ月ほど前、NHKのクローズアップ現代で「今、新書が売れている」という題名で当然のごとくこの本が取り上げられていました。あの番組を見ると、この低質な本が出来上がったより重大な責任は藤原氏よりも出版社の編集者にあるのではないか、と確信しました。3T(テーマ、タイトル、タイミング)が全てで本の内容などはどうでもいいらしい。出版不況の折、背に腹は代えられず粗製乱造をするしかない現状がよくわかりました。

最近、ブックオフの100円コーナーで藤原氏の「天才の栄光と挫折」(新潮選書)を手に入れましたが、悪くない本でしたよ。ジャンルが違うと言えばそれまでですが、時に挿まれる機知やレトリックもなかなかで「国家の品格」と同じ著者とはとても思えない。ここでも良き書き手が「経済の論理」に犠牲になったというところでしょうか。

投稿: 美濃森米八 | 2006年4月27日 (木) 17時31分

sleepless_night さん
 コメント、TBありがとうございます。とにかく、どうしようもない本を出す出版社、編集者がいて、それを購入し、賞賛する人々がこの現代日本にいるという事実は、認めてかからないといけないのでしょう。ある意味、傷ついている人々が非常に多いのだろうと思います。

投稿: renqing | 2006年4月26日 (水) 13時01分

はじめまして。藤原正彦さんに関する記事をTBさせていただきました。 細木某の妄想を一千万人以上が視聴している国ですから、いまさらどんな馬鹿な話が読まれようが驚くべきことではないのかもしれませんが、まさか藤原さんのあの手の本を百万人が買い求め、絶賛する日がくるとは思いませんでした。結局、考えろと言われ続けた人々が、考えなくても良いと(数学者という論理に長けたと思われる人物に)、それらしい話を聞かされて喜んでしまったのかなと感じています。 新潮の編集者は何を考えていたのか。金に魂を売った。新田次郎さんが存命なら、こんなことにはならなかったでしょうに。

投稿: sleepless_night | 2006年4月25日 (火) 21時44分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 優れた「国家の品格」批判blog(4/26追加):

» 「国家の品格」論より羞恥心 [タカマサのきまぐれ時評]
■ひとつきほどまえ、数学者が専門外の言語教育論を展開する是非(=「しろうとの私見」以上の「知識人の権威」というあつかい、次元において)について、私見をのべておいた。■今回は、その続編。今度は、各方面で話題にされているらしい『国家の品格』〔新潮新書〕とい...... [続きを読む]

受信: 2006年4月24日 (月) 07時45分

» 新田次郎によろしく/『国家の品格』への道 [性・宗教・メディア・倫理]
はじめに)  以下、『若き数学者のアメリカ』(新潮社・81年)を(アメリカ)     『数学者の言葉では』(新潮社・84年)を(言葉では)     『数学者の休憩時間』(新潮社・94年)を(休憩時間)     『遥かなるケンブリッジ』(新潮社・95年)を(ケンブリッジ)     『父の威厳 数学者の意地』(新潮社・98年)を(威厳意地)とします。  ※はじめに、(7)(8)に目を通していただけると、(2)~(6)の意味が分かりやすいと思います。又、(言葉では)と(休憩時間)の間に... [続きを読む]

受信: 2006年4月25日 (火) 21時23分

« 明治「憲法」の起源(1) | トップページ | 明治「憲法」の起源(2) »