江戸の文芸ジャーナリズム
江戸期も天明年間(1781-1788)から文化文政期(1804-1829)になると、学芸において一つの爛熟期を迎える。その代表格が、大田南畝 (1749-1823、 四方赤良、蜀山人)だろう。南畝は庶民文芸、狂歌作者として著名だが、歴とした幕臣でもある。ただ、その教養、人徳で身分の区別なく慕われた。彼は、天明期、《菊寿草》、《岡目八目》で新興の黄表紙の作品批評などをしていて、この頃の文芸ジャーナリズムの興隆に大きい影響を与えている。
その一方で、同じ頃の化政期に、漢詩の詩壇ジャーナリズムというのも成立していた。菊池寛の祖先、菊池五山 (1769-1855)の活躍による。ま、祖先といっても、血はつながっていない。菊池寛の親父さんか、祖父の代に途絶した菊池家に夫婦養子で入り、再興しているからである。
ということで、あまり知りもしないことを書くと、某数学者のようにすぐ馬脚が現れるので、ご関心の向きは下記の書をご覧あれ。
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コメント
ぴこりんさん、ども。
>丸谷才一氏が「思考のレッスン」で「日本は江戸のレトリックを捨てて」云々と書いていました。
>この当時のノリを今でも持っていれば、きっと英国みたいになったのになあ、と変な想像をしてます。
文化文政期までに蓄積されていた「文化資本」は、天保生まれの一群の人々に受肉されました。しかし、その江戸期に生まれ、明治期に青壮年となった《明治の江戸人》たちの才智は、明治インチキ革命を正当化するための、「文明開化」という名の壮大な「デコレーション」に蕩尽されてしまったのです。そこで発生した文化的断絶の最たるものは、近代の政治批判に最も肝要でもある、知的なユーモアとペーソスだと思います。
投稿: renqing | 2006年4月 8日 (土) 04時28分
そうそう、この辺りのことは、江戸時代にうとい(というか、17C以降の日本にあまり興味がない)私もかなり関心があるのですが、まだきちんと本を読んでいません。
丸谷才一氏が「思考のレッスン」で「日本は江戸のレトリックを捨てて」云々と書いていました。
この当時のノリを今でも持っていれば、きっと英国みたいになったのになあ、と変な想像をしてます。
投稿: ぴこりん | 2006年4月 8日 (土) 00時25分