明治の立身出世主義の起源について
この問題について、一つの見通しをつけるのに良い本がある。
ただ、この本は、「受験競争を巡る近代日本社会史」的なもので、「日本における立身出世の観念史」という出来上がりにはなっていない。
「立身出世」なる言葉の概念史的分析は手薄で、どこの解説にもあるように、江戸期からのものだが、「立身」、「出世」と、ばらばらで使われることのほうが多く、前者は武士御用達で儒学から、後者は町人用で仏教から、という程度。
思想史的に興味深い点があるとすれば、アメリカの「成功主義」との比較が少しあること。アメリカの研究を引いて、そこには聖書からの影響は大きかったが、19世紀、米国に上陸した社会ダーウィニズムからの影響はほとんどなかった、としている。明治日本でも、社会ダーウィニズムは明治十年代に紹介され、三十年代に流行するが、「立身出世主義」とはあまり関係が無く、それ以前から人々が日常的にいだく社会観、フォーク・セオリーとしてそもそもあった、としている。ただ、それを「零落の危機」=「長者ニ三代ナシ」としているだけで、フォーク・セオリーとしての「立身出世主義」の歴史的形成については触れていない。
日本国語大辞典第二版(2001年)をみると、「立身」については、天保期の人情本の用例、「立身出世」については、宝暦期の歌舞伎の用例、が見えているのが目を引く程度である。問題は、「出世」で、仏語であることが始めにあり、その終りあたりに、⑦として、「仏語。禅宗寺院の住持となること。また、特に公家の奏達によって紫衣を賜わり、師号を受け、あるいは勅宣を蒙って官寺の住持になることをいう。立身出世の観念はここから生まれたもの。」とあっさり断言してる。
この文言だけでは、どうかと思うので、いずれ調べるつもり。
明治人の出世欲をドライブさせたのが、「学制」(明治5年)本文につけて出された「学制序文」である。
人能(よ)く其才のあるところに応じ、勉励して之に従事し。しかして後初で生を治め、産を興(おこ)し、業を昌にするを得ベし。されば学問は身を立るの財本ともいふべきものにして、人たるもの誰か学ばずして可ならんや。
とか、
自今以後、一般の人民華士族農工商及女子必ず邑(ゆう(むら))に不学の戸なく、家に不学の人なからしめん事を期す。
有難たそう。
ただ、江戸末期から明治初期にかけて、「紀律化」イデオロギーを推し進めた石門心学や二宮尊徳・大蔵永常・大原幽学、似た状況で「世直し」の観念をひろめた金光教、黒住教、丸山教、大本教などは、受け入れられた地域が、極度に荒廃した村々である、と指摘する、安丸良夫の研究を考慮に入れると、フォーク・セオリーとしての「立身出世主義」とは、上昇志向よりも、転落への危機感*、に基づいたものであったことも考えられる。
*弊記事「追悼 安丸良夫」を参照されたし。現在のブログ主はこの見方(徳川農村窮乏化論)に否定的。
〔補註〕下記もご参照願いたい。
明治の立身出世主義の起源について(2)
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コメント
賈雨村さん、どうも。
本のご紹介、ありがとうございます。ちょっと、あたってみます。m(_ _)m
投稿: renqing | 2006年11月29日 (水) 11時34分
お久しぶりです。毎回楽しんで拝見させていただいております。
『遅刻の誕生』橋本毅彦・栗山茂久
にある、"時は金なり"に関する論文も立身出世に関する面白い考察だと思っています。ご参考になれば幸いです。
(参考)
松岡正剛の千夜千冊 『遅刻の誕生』橋本毅彦・栗山茂久
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0594.html
投稿: 賈雨村 | 2006年11月29日 (水) 01時11分