天皇の菩提寺(2)
この天皇家の菩提寺、泉涌寺(せんにゆうじ)には、霊明殿という建物がある。そこには、なんと、天智天皇の位牌があるという。これには、くりびつ・てんぎょう!(ガラパゴスさんとこのネタを拝借しました。^-^v)
これはありえなーい。
なぜなら、「位牌」という道具は、鎌倉期に禅僧が日本に持ち込んだ儒教アイテムだからだ*。その頃、入宋したものの中に、泉涌寺中興の祖、俊巣(しゆんじよう)もいる。
儒教では、中国の後漢時代からその葬礼に用いられる神主(しんしゅ。死者の官位・姓名を書く霊牌。)というものがあった。それが、入宋した禅僧によって、先進国の先進思想の、最先端アイテムとして日本に持ち込まれ、たまたま、日本伝来の先祖供養儀礼における霊の依代(よりしろ)として、選択的親和性(M.ウェーバー)を示したのが、位牌である。もともと死者の官位を書くので、「位」牌と呼ばれるわけだ。つまり、仏教とは別起源。従って、↓のように、日本のピューリタニズム=浄土真宗は位牌を門徒に使わせず、過去帳を使わせる。
Q:なぜ、お寺では、「位牌」ではなく、「過去帳」をすすめられるのですか?
天智は671年に死んでいる。少なくともその時、位牌などはない。また、泉涌寺が禁裏の菩提寺になった経緯をみると、
俊巣滅後の1242年(仁治3)に没した四条天皇は,生前から俊巣の生れ変りと世に伝えられ,大葬も泉涌寺で執行され,遺骸は,表面に不可棄法師と刻された俊巣の石造卵塔墓のかたわらに葬られた。この由縁を契機に,こののち幕末まで多くの天皇・女院の陵墓が,泉涌寺の後にある俊巣と四条天皇の妓所に接して営まれた。いわゆる天皇家の月輪(つきのわ)陵である。
平凡社世界大百科事典「泉涌寺」の項、藤井学 筆
とのことであるから、俊巣が天智の「位牌」を作ったとは考えにくい。おそらく、明治政府がでっち上げたものと思われる。無論、確証はないが。
無理が通れば道理が引っ込む、嘘が通れば、真(まこと)が姿を隠す、よい例だろう。
*加地伸行『儒教とは何か』中公新書(1990年) で指摘されて、近頃では常識に属するか。
この書を読むにあたっては、amazonレビュー中の、「あべまりあ」氏のものを読まれておくことは役に立つかも知れない。本書で展開されている仏教・キリスト教との比較宗教論には、私が以前に長いレビューを書いた「天下の愚書」との親近性を感じるのだ。
〔参照〕
天皇家の菩提寺
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コメント
まつもとさん
お伊勢さんと武家、禁裏の関係は興味深いので軽く調べました。近日中に記事にしてみます。その前に、関曠野が指摘したホッブズと明治国家主義の類似性に関して、水戸学とホッブズがその人民観において基本的に同型ということがわかったので、そのことを書かなくてはいけないな、とか思うのですが。身辺少々忙しくなりつつあるので、困ります。どうしよう。
投稿: renqing | 2006年12月18日 (月) 05時49分
>つまり、まつもとさんが指摘するように、禁裏さまのお家の宗教は仏教なんですよ、たぶん。
そう、だからこそ東本願寺をはじめ仏教諸派の親玉が、皇族の親戚で占められてきたんだと思うんですよ。じつは明治以前の禁裏家は伊勢神宮にも冷淡だったらしく、皇女を斎王として送り込みはしても禁裏本人は明治まで参拝していないし、室町〜江戸時代の500年以上、祭を執り行ってないそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E7%8E%8B
むしろ伊勢は「武士たちの神社」だったようです。伊勢参りが公認されていた理由も、それではないでしょうか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E7%A5%9E%E5%AE%AE#.E4.B8.AD.E4.B8.96
現在も泉涌寺には、宮内庁京都事務所が代理参拝しているそうです。皇室と泉涌寺の関係についてはこちらを参照。
http://www.mitera.org/HTML/ROYAL/INDEX%7E1.HTM
投稿: まつもと | 2006年12月17日 (日) 20時56分
まつもとさん、どうも。
>しかし、なんで天智天皇陵もあるのに位牌も作ったんだ?これは、仏教こそが天皇家の正統な宗教である、とかつては考えられていたことを物語るものではないでしょうか。
>それにしても、昭和天皇の位牌もあるなんて、知ってる人は少ないでしょうね。そのお金は宮内庁から出てるのかな?
そうそう。昭和天皇も、武蔵野陵(むさしののみささぎ、いわゆる多摩御陵)と位牌(尊牌)があることになる。庶民なら、位牌とお墓があることは別におかしくない。しかし、天皇の葬送は神式でやった。それにも関わらず、儒葬に起源を持つ禅宗がらみの位牌を作る。天照大神の子孫だというのに。なんだ、この分裂症気味の事態は? もし、筋が通らないから、歴代天皇の位牌をすべて破棄することにしたら、昭和天皇だって断固拒絶したでしょう。
つまり、まつもとさんが指摘するように、禁裏さまのお家の宗教は仏教なんですよ、たぶん。明治の権力亡者どもは、禁裏の家の「信教の自由」を圧殺し、精神的に多大なる苦痛をもたらしていたんです。
これで、岩倉による孝明天皇謀殺が歴史的事実なら、禁裏の家にとって、《明治維新》は悲劇そのものとしかいえないですね。
投稿: renqing | 2006年12月17日 (日) 17時10分
↓しかし、少なくとも鎌倉時代以降のものであることは間違いない訳ですよね。500年以上も後の。これは捏造と呼んで差し支えないでしょう。
http://inoues.net/tenno/tenchitenno.html
しかし、なんで天智天皇陵もあるのに位牌も作ったんだ?これは、仏教こそが天皇家の正統な宗教である、とかつては考えられていたことを物語るものではないでしょうか。少なくとも、泉涌寺に葬られた後堀河院以降は。
それにしても、昭和天皇の位牌もあるなんて、知ってる人は少ないでしょうね。そのお金は宮内庁から出てるのかな?
投稿: まつもと | 2006年12月17日 (日) 04時28分
まつもとさん、どうも。
>位牌は必ず死の直後に作らないといけない、という規則もない
確かに。
>霊明殿の再建は1884年だそうですから、その時に作ったんでしょう。
そうですね、多分。ヘンですが、火事場泥棒みたいにもんですね。
投稿: renqing | 2006年12月17日 (日) 03時41分
あ、しかしですね、位牌は必ず死の直後に作らないといけない、という規則もないわけですよね。霊明殿の再建は1884年だそうですから、その時に作ったんでしょう。日本書紀だって8世紀の作だし、大化の改新が脚光を浴びたのも明治(あ、たぶんこの時に中大兄の存在証明のために作ったんだ!)この位のタイムラグは付きものかと。もちろん言い様によっては(というか立派に)捏造ですが。どこかのお寺の宝物にあったという「徳川家康公の5歳の時の頭の骨」よりはましか。
投稿: まつもと | 2006年12月16日 (土) 09時05分