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2007年1月 4日 (木)

モーツァルト vs. 美空ひばり

 テレビ朝日で、毎週日曜日の午前中に「題名のない音楽会」という長寿番組がある。故作曲家黛敏郎が長く司会を務めていた。これに、元気な頃の美空ひばりが出演し、オペラのアリアを歌ったことがある。この放送を自宅で収録したビデオを「自分の宝物の一つだ」と公言していたのが黛の盟友で、指揮者の故岩城宏之だった。100個もの楽器で演奏される複雑なオーケストラの中で、主旋律を奏でるピッコロをその耳で聞き分け、しっかりメロディに乗って歌う美空ひばりに感嘆して、岩城は黛にこう語ったという。

「クラシック音楽の世界で、天才といえばただ1人、モーツァルトしかいない事になっているんだが、僕は美空ひばりをそこに加えたい。」

 他にも、岩城にはこんな発言がある。

「世界で偉大な歌手を上げるとすれば、フィッシャー=ディースカウと美空ひばりである。」

「音程の正確さと歌のうまさではあらゆるジャンルで美空ひばりは世界でベスト3に入る。」

 岩城の歌手美空ひばりへの入れ込みよう、その評価の高さが偲ばれる。ま、これには多少割引すべき点がないとは言えない。岩城は1932年生まれ、美空ひばりは1937年生まれの5歳違いで同世代に属する。岩城が指揮デビューしたの翌年の1957年に、美空ひばりは紅白歌合戦に、何人ものベテラン歌手を抑えて弱冠二十歳にして紅組トリを務めあげ、既に日本歌謡界で最も重要な歌手であることを示していた。まだ修行中の岩城が、当時最高のアイドルであり、完成された歌手としての美空ひばりの才能に、音楽家としてある種の心地よい敗北感を持たされたとしても仕方あるまい。

 ただ、それを割り引いても、国際的にも評価の高い優れた日本人クラッシック音楽家からも、こういった最高の言葉を引き出す美空ひばりの歌手としての才能は、日本のポピュラーミュージックシーンで不世出のものと断言してよいだろう。

 実は、私もよくあるようにガキの頃は、クラシックやポピュラーでも洋楽は素晴しく、ドメスティックなものは価値が下がる、と愚かな偏見に凝り固まっていた。バカ丸出し。しかし、先の岩城の逸話を知り、確かに自分の耳で確かめてみんことには何も分からん、と、一時期、美空ひばりの主演する時代劇ミュージカル映画を何本かビデオで立て続けに見たことがある。そして、私の想像をはるかに超え、邦楽、洋楽を問わず、あらゆるポピュラージャンルの音楽を、やすやすと自由自在に歌い、踊るティーンエージャーの娘が疑いようもなくそこに存在した。モーツァルトと比肩できるかどうか、モーツァルトなんてあまり聞いたこともないのだからわかりようもないが、これを天才と言わずに何を天才というべきだろう、というのが私の正直な感想である。

 最近でも、ビールのCMに、「いやに いい歌が流れるなぁ。いったい誰だぁ?」と調べてみれば、美空ひばりだった。前半部を聞いたときは、いったい誰か想像がつかず、後半部を聞いて、ひばりかな?、と疑って調べた次第。↓がそう。

美空ひばりが歌う、キリンビール「キリンブラウマイスター」のCM曲は?(掲載日:2006/11/28)

 己を highbrow と自己規定する御仁に評判が悪い点では、米国におけるエルビス・プレスリーと似た状況があるような気もするので、別の機会に、ひばり vs. エルビスも、論じてみよう。

〔註〕下記も参照されたし。
モーツァルト vs. 美空ひばり
モーツァルト vs. 美空ひばり(2)
モーツァルト vs. 美空ひばり(3)

エルビスの歌う、未練恋歌

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コメント

かぐら川さん、興味深いコメントありがとうございます。これに対する反応は、新記事としました。よろしくー。

投稿: renqing | 2007年1月12日 (金) 04時32分

数十年前のある日、演奏会前の楽屋を訪れ「弟子にしてください」と頼み込んだ〔自称:岩城先生の弟子〕たる私にとって、師匠ののたまうことに、異議?はありません。
(なぜか「安達幸之助」を検索していたら、renqingさんのブログに出会ってしまいました。)

話はちがいますが、クラシックの世界には、かつて「通俗曲」「通俗名曲」という言葉があって、なつかしく思います。「通俗」で何が悪い!、と言いたいのですが、ちょっとこの用語法の歴史も調べたうえで(「通俗名画」はないだろうな?)、多少この言葉遣いに文句もつけたいという気はします。
(日本の音楽界は、軍楽隊というメディアによって西洋音楽を吸収した時代の「しっぽ」が、この「通俗曲」という言葉に残っていることを忘れて、「精神性」に走ってはいけないと考えるのです。)

さらに話は脱線しますが、ある人と話をしていて、なにかの拍子に「スッペの序曲集CDを5枚も持ってますよ」と自慢したら、「いいですね、その話ゆっくりしましょう」と、いっぺんに場がなごんだことでした。もちろんこの人が、バッハのチェロ組曲を愛するクラシック通であることは知っていただけに、うれしい幸福な気持ちになりました。
スッペ(1819.04.18--1895.05.21)は、「軽騎兵」序曲やさらに時代を遡れば浅草オペラの「恋はやさし野辺の花よ」など、通俗名曲作りのチャンピオンのような人ですが、私など横文字が自由に読めるなら、この人の足跡を正確に調べて本をつくりたいと思うくらい好
きな作曲家です。
(参考)
http://www.operetta.jp/suppe.html
http://www.naxos.com/composerinfo/1013.htm

投稿: かぐら川 | 2007年1月11日 (木) 22時52分

猫屋さん、どーも。
 ジャズ、ソウル、に詳しい知人に昔聞いた話。
 1950年代くらいまで、南部の黒人たちには音楽著作権の知識がなかった。だから、東海岸や西海岸の業界に属する、音楽ディレクターやプロデューサーなんかが、南部あたりを新人発掘などで回っていて、たまたま、場末のクラブや、道ばたで、奏でられていた「これは!」というメロディの音楽著作権を、二束三文でその場で現金で買い取る契約をし、アレンジを根本的に加えて、全く別の曲に仕立て上げてヒットしたような曲が、かつてゴマンとあった、というのです。そういう点からも、現在、エルビスなどは、黒人音楽を盗んだ、と評されることもあるらしい。
 ただ、その一方で、日本の女性作家、誰だったか、倉橋由美子だったか、大庭みな子だったかが、NY(東海岸)の知的なサークルのパーティで、エルビスが好きだ、と言うと、露骨に蔑みの視線にあった、とかいう話をずいぶん前の日経日曜文化欄で読んだ記憶があります。その作家はその場で、エルビスの「泣き」の魅力を言って反論したらしいですが。エルビスは、恋人を失って、本当に悲しい、と歌うんだと。「Always on My Mind」などを、切々と聞かせられるのは、やはりエルビスの歌手としての素晴しさだと私は思います。
 

投稿: renqing | 2007年1月 9日 (火) 01時37分

むむ、これは面白い話です。
アタクシもエルビスもひばりもかなりクサイなあ、と思って育ったわけなんだけど、実際エルビスはレイ・チャールズとかの後、ブルース・ジャズのブラック音楽を初めて(エロっぽく)歌った白人歌手であって、その後のビートルズやストーンズとかにバトンを渡したんだと思います。
キャリア確立後の演歌の女王美空ひばりではなく、大戦直後の「自由」つまり米ポピュラー文化が世界に広まった時点での、笠置シズコやひばりの、ハングリーさを裏にひめた明るさってか、力ってありますよね、確かに。

投稿: 猫屋 | 2007年1月 6日 (土) 23時34分

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