オーギュスト・ウンコ(Auguste Unco)
当blogにコメント寄せて戴いたり、TBをつけて戴いている方々は、品と趣味のよい方がほとんどだ。ただ、その中にいくらか、つい怒りや疲れで、品をなくしてしまう人たちがいないではない。下記↓。類は友を呼ぶ、との格言もあるので、当blog作成者にもその臭いが漂うぞ、と指摘されれば否定できないことは、素直に私も認めるところだ。
で、私もそのウンコ流れのひそみに倣ってみたわけ。
私に言わせると、コントの社会学はウンコである。
例えば、コントのPhilosophie Positive(実証哲学)、すなわち positivisme(実証主義) は、全く実証的ではなく、17世紀自然哲学者(例、Newton)たちがもたらしたと彼が理解したところの自然科学の手法、つまり、法則論的対象理解を、 機械的に社会にも適用しただけにすぎない。また、彼の〈三段階の法則 loi destrois etats〉も、実証主義信仰と同様に、その師サン・シモン(Claude Henri de Rouvroy Saint-Simon)に原型があり、〈人類教〉の教祖というヤバイところも、同じくサン・シモン譲りだ。
コントの positivisme(実証主義)は、positif(実証的)と何の関係もなく、「俺は、エコールポリテクニク出身で科学の何たるかを最も知っている 哲学者だ。この俺なら“社会”の科学を建設できる。」という自己陶酔のイデオロギーに過ぎない。そしてこの流れは、そっくりそのまま、マルクス(Karl Marx)の、 wissenschaftlich = scientific(科学的)という自己規定へと流れ込む。このテーマは話が長くなるので、気が向いたら、 positivisme(実証主義)vs. positif(実証的)の問題、社会秩序の動揺と哲学的リゴリズムの隆盛の問題、として相互に絡めて再論することにしたい。
ついでに。上記の加齢御飯さんも指摘されているように、ブラジル国旗には《 Ordem e Progresso
秩序と進歩》とあり、これはコントの標語だ。秩序なければ進歩なし。なんでブラジルの国旗にこんな言葉があしらわれているかと言えば、1889年にポルト
ガル王室の血統を引く皇帝を国外追放し、ブラジル共和政を指導した陸軍士官学校出身の軍人たちが、士官学校の数学教師でコント主義者の Benjamin
Constant の影響を受けていたからである。この名前を読んで、一瞬びっくりされた方もいるだろう。そう、Benjamin Constant
とは、バンジャマン・コンスタンと読め、もしそうなら、フランス心理小説の傑作である「アドルフ Adolph」の作者のことだからだ。ところが、当然その心配はご無用で、仏人のバンジャマン・コンスタンは19世紀前半の人であり、本名 Henri-Benjamin Constant de Rebecque である。私も、 Isaiah Berlin が好きだというこの自由主義者が、なんでブラジルくんだりまで(失礼、言葉の綾)出かけてくるんか、と思ったが別人ということに落ち着いた*。
*〔参照〕
「ブラジルの国旗と社会学者コント」(正慶孝):エッセイ、評論・『琅』15号
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コメント
足踏堂さん、どうも。
社会学の怪しさは、理論経済学の怪しさと同等という意味では、それなりに価値を認めています。moral philosophyという出自を忘れさえしなければ、ですが。
投稿: renqing | 2007年1月25日 (木) 12時41分
ウンコ流れの顰に倣うとは凄い言い方ですね(笑)。
コントについてはよく知らないのですが、バーリンは、オーギュスト・コント記念講演『歴史の不可避性』において、「コントは、言われているほど馬鹿じゃない」みたいな感じで始めてましたよね。それに笑ってしまったのですが。
ところで、バーリンはその『歴史の不可避性』で、決定論を批判しましたが、その理由は、決定論が個人の選択の自由を幻想だと決め付け、道徳的実践を不可能にしてしまうことになるからだと言っていたように思います。
というわけで、わたしは、「ウンコは所詮ウンコだ」などとは言わず、そこにウンコの自由なる実践を見出し、「decent shit(品位あるうんこ)」を目指したいと思っています。
「full of shit」なわれわれを道徳的に善いウンコたらしめるのは、その「動機」かもしれません。その点において、オーギュスト・ウンコの流れを汲む「社会学」ってのも、あまり嫌いになれないんです。
投稿: 足踏堂 | 2007年1月23日 (火) 16時46分
加齢御飯さん、どうも。
そうですね。われわれも、とうとう「臭い仲」となったわけです。
タルド(Jean-Gabriel de Tarde)の、「模倣の法則 Les lois de l'imitation 」(1890)は、私も昔から関心があり、関曠野のいう、模範と模倣、歴史におけるミメーシス、などにも関連しそうです。ただ、日本での紹介者が、マスコミ学の稲葉三千男だったというのも、若干、皮相な紹介に終わってしまった事に影響があったかも知れません。
投稿: renqing | 2007年1月23日 (火) 03時47分
すみません。訂正です。
ほら話というのデュルケーム学派に葬られたタルド→ほら話だというで
投稿: 加齢御飯 | 2007年1月22日 (月) 17時17分
トラックバックをありがとうございました。これでわれわれはめでたく「うんこつながり」。子どものころ、「ほら男爵の冒険」を読んだとき、前の鴨のふんを加えて数珠つなぎになった鴨の列にぶらさがって男爵が空を飛んだ場面を非常に鮮烈に覚えています。まあ社会学者などしょせんはみなほら男爵のようなもので、「とんでも」なことをいうのは仕方ないけれど、それならもっと愉快なほらを吹いてもらいたいものですね。ほら話というのデュルケーム学派に葬られたタルドなんかはものすごく実がありそうに思うのですが。翻訳が出るという話を聞きましたがまだ出ていないようですね。
投稿: 加齢御飯 | 2007年1月22日 (月) 17時15分