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2007年2月

2007年2月28日 (水)

おわび、あるいは、心身相関についての一考察(2)

 1ヶ月近く、記事を書けなかった理由は、三つ。

1)仕事が忙しくなってしまったこと。
2)身内に高齢者がおり、肺炎気味の風邪をひいたこと。
3)その看病をしていたら、自分にも肺炎気味の風邪がうつってしまったこと。

 しかし、その高齢者は40度近くの熱を出しながら大事に至らずに済み、私もその遺伝子を分有しているためか、抗生物質を服用するとたちまち、胸の痛みが晴れ、急激に回復に向かった。それで、このようにblogに復帰している次第。

 少し落ち着いたところで、感じ入ったことがいくつか。

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2007年2月26日 (月)

おわび、あるいは、心身相関についての一考察(1)

 しばらく記事を書けずにいた。時折、わがblogへ立寄って戴いていた方々には、誠に申し訳なく思う。

 事情は三つほどあるのだが、それは次回に。

 ただ、今回のことを機に、健康と人生に対する楽観的な構えの有無には、多少の相関はある、と思い至ったので、このようなヘンなタイトルとなった。

 考察の対象となるのは、身体の頑健さと思慮の深浅は反比例する、といういい加減な命題である。

 ということで、明日、この続きを書くこととする。

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2007年2月 5日 (月)

責任観念の多義性(1)

 このマトリクスで、「自己責任」なる自己撞着な言葉の不条理を論証しようというも目論見なのだが、少々疲れてきた。この装置の具体的な稼動は(2)へ、続く。

 

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言葉と暴力

 今、「体罰」が熱いらしい。国立の右翼団体、文部科学省が通達を流したそうな。↓

 この件については、再論しよう。それにしても、教室内でもコミュニケーション⇔「法」の放棄を勧めるというのはどういうことか。「法の支配」ではなく、「力の支配」ということなのだろう。「この世は万事、力次第」。アベが好きそうな話だ。

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<体罰>文科省が「考え」通知へ 容認の判例も例示
2月2日21時39分配信 毎日新聞
 体罰に関する許容範囲の見直しを求めた教育再生会議の第1次報告や深刻ないじめ問題を受け、文部科学省は2日、初めて体罰の考え方をまとめ、来週中にも都道府県・政令市教育長らに通知する。居残り指導や授業中の起立指示などは肉体的に苦痛が伴わない限り体罰ではないとし、教師が用いる強制力も認める方向だ。いじめや暴力を繰り返す児童・生徒に対する「毅然(きぜん)たる指導」を支援する狙いがある。
 学校教育法は「体罰を加えることはできない」と規定。旧法務庁の意見書(1948年)でも限定付きながら、「児童に授業を受けさせないという処置は、懲戒の方法としては許されない」と退出などを否定していた。
 今回の通知は、(1)生徒指導の充実(2)出席停止処分の活用(3)懲戒・体罰の3項目について考え方をまとめた。
 体罰については「身体への侵害を与える懲戒と肉体的苦痛を与える懲戒は与えてはいけない」と従来通り禁止した。その上で、体罰か否かは「受けた側の主観ではなく、児童・生徒の年齢、健康状態、行為の場所・時間などを考え、個別のケースに応じて判断するべきだ」などと盛り込み、教師側の強制力を容認する方針だ。
 さらに、生徒をたたいた教師の行為が体罰として認定されなかった過去の判例を例示する。判例への受け止め方は現場教員の判断に任せるものの、暗に「許される体罰の範囲」を示しているとも言えそうだ。
 このほか、放課後の居残り指導▽授業中に教室内で立たせる▽清掃活動や学級当番をさせる――などは肉体的な苦痛がなければ体罰ではないとし、教室外への退出も「別途指導が行われれば、差し支えない」などと明記する。
 出席停止処分については、「粘り強い指導を行ったうえで、正常な環境を保持することが困難な場合に適用する」と従来の考え方を示し、出席停止を受ける児童・生徒用の個別の指導計画を作成するよう求める。
 会見した伊吹文明文科相は「子どもを預けられた限りは、保護者が安心できる態勢を作るようにしたい」と語った。
 教育再生会議は1月24日に発表した第1次報告で、「暴力など反社会的行動を繰り返す子どもに対する毅然たる指導、静かに学習できる環境の構築」を掲げ、旧法務庁の意見書の見直しなどを求めていた。【高山純二】
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上記、記事中にいう「旧法務庁の意見書(1948年)」が下記↓。

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「ゲド戦記」と人類学

 この見出しの所以は、「ゲド戦記」の著者にある。名を、ル=グウィン(Ursula Kroeber Le Guin、1929-)という。ミドルネームに注意して欲しい。そう、彼女は、米国の文化人類学者の大立者、 A. L. クローバーの娘なのである。また、母セオドーラ Theodora Kroeber は作家で《イシ――北米最後の野生インディアン》の著者でもある。

 なんつっても、本当は、1969年のSF小説「闇の左手The Left Hand of Darkness」というのが出世作で、代表作らしく、この作品で1970年にヒューゴー賞を得ているのだそうだ。米国SF界の女王らしいのだが、ここらへんには、とんと土地勘が働かないrenqingなので、ご存知のかたご助言を。

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「愛」の新自由主義

 いつも卓抜な文を書かれる足踏堂さんから、ちょいと刺激を受けて書いてみた。

 フランスの初期社会主義者に、シャルル・フーリエ(Francois Marie Charles Fourier、1772-1837)という破天荒な思想家≒妄想家がいる。この破天荒な著者にこれまた破天荒な著書がある。といっても、仏語版しかないから、内容に立ち入ることが出来ない。

 と思っていたら、昨年、日本語訳が出ていた。↓

シャルル・フーリエ『愛の新世界 』作品社 (2006年)

 中公「世界の名著」所収の、「産業的協同社会的新世界」でも面白すぎるのだから(なにしろ「愛の手形交換所」なんてものもあったな)、今、己の不明を恥じ、早速、地元の図書館に購入希望を書いておこう。シュールレアリストたちだけにフーリエを独占させておくには、面白すぎるのだ。

 なお、「めかけ」の語源については、《おかま》と鎌倉景政を参照。

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