牧原憲夫『民権と憲法―シリーズ日本近現代史〈2〉』岩波新書(2006年)
興味深く読んだ。その意味で買って損はない。800円弱の支出は、倹(つま)しい昼食代なら2日から1.6日分か。
①肯定的評価。明治前期の史実に関するリソースとして価値は高い。というより、大量の、気付きにくい、ただし重要な情報満載である。学界の研究業績への目配りの広さには感心する。読者はこの本のどこかしらに、己の興味関心を惹く話題を眼にすることができる。私にしても、幾つもの再発見をさせてもらった。
②否定的評価。History なのに story がない。私は、「面白い、面白い。」で読了したあと、「さて、俺は何を読んだのだろう。」と、暫し首を傾げてしまった。これは、史書として少々、致命的。
ただし、この点について、著者はその苦衷を正直に「あとがき」に記している。
「民権と憲法」というタイトルでこの時代を描くのは気が重かった。p.207
だが、私自身はそれらを活用してまとまりのある歴史像を描けるまでには至らなかった。同上
一つ言えることは、著者も漏らしているように、タイトルと内容の齟齬である。その点、当blog記事の最後に目次を掲げてあるので参照して戴きたい。タイトルから受けた私の予断は、簡便で最新の「明治憲法成立史」なのかな、であった。それでちょっとワクワクもしていた。その点、些か失望した。
これは、著者の責任というより、出版社側、ないし編集者側の問題だろう。「民衆と憲法」というタイトル、ないし主題で依頼するなら、近代日本を領分とする法史学系か、政治史学系、ないし思想史系の研究者に任せるべきだった。
逆に、出版社としてこの著者を選んだなら、タイトル、ないし主題は、「民権から憲法へ」、とか、「臣民の誕生」、「民草から臣民へ」といったものが適切だったろうと思う。そうしたら、著者も生き生きと己が納得する一書をものすることができたかも知れないと推察する。その無理が、せっかくの食材をおいしい料理へと化学変化させられなかった最大の原因と考える。
けなす評論はダメ評論、とは、知的スタイリスト小林秀雄の言だ。だから、私も positive なことを幾つか書いて、この小論を閉じよう。
ⅰ)p.9 ここに、地方三新法(郡区町村編成法、府県会規則、地方税規則)が1878年に公布されたことが書かれている。付加的記事として、有資産の二〇歳以上の男子のみに通常与えられていた戸長、町村議会の選挙権が、1880年(明治13年)高知県の上街(うえまち)町、小高坂(こだかさ)町では、「女戸主」にも認められたことに触れている。
これは、後に「民権ばあさん」と呼ばれた楠瀬喜多(くすせきた、1836年-1920年)の活躍に負うものだ。
女性の参政権に関しては、1869年、イギリスで地方自治体の選挙権を女性が得、同年に米国ワイオミング州で憲法修正の形で州議会の選挙権が女性に認められている。国政レベルでは、ニュージーランドで世界で初めての婦人の参政権が認められたのが1893年だ。それからすれば、土佐の1880年の動きは目立たないとはいえ、人類史的意義を有するといってよい。この歴史的な小さな一歩がその後どういう顛末をたどったかは上記楠瀬喜多紹介のサイトをご覧戴きたい。
ついでに言えば、1930年(昭和5年)に、浜口雄幸内閣のもとで、地方自治体の議員の選挙に関して、その適用範囲を、「帝国臣民タル年齢25年以上ノ男子」から、「年齢25年以上ノ帝国臣民」に改め、婦人の公民権を認めた、いわゆる「婦人公民権法案」が、衆議院を通過している。無論、貴族院で否決されたのは言うまでもない。大日本帝国の崩壊はその15年後である。
ⅱ)p.52、芸妓の政治勉強会である芸妓自由講、盲人の政治勉強会である盲目演説会・仙台群盲共同会の話題が眼を惹く。
ⅲ)p.75、困民党が1883-4年に、八王子・町田・相模原といった多摩地方で活躍したことが書かれている。多分、これが遠因となって、
1893年(明治26年)に、西多摩・南多摩・北多摩が神奈川県から東京府へ移管された、と私は睨んでいる。『大菩薩峠』の著者、中里介山の出生地が、神奈川県西多摩郡羽村(現、東京都羽村市)と記される謎もここに秘密がある。この件に関して、中里介山、出生地のなぞ(2)、を参照されたし。
ⅳ)他にも、多数、興味深い史実がちりばめられている。読者は目次を見て、ご自分の興味関心からランダムにアクセスするのもよいだろう。本書の論旨理解に差し支えは出ないと思う。
牧原憲夫『民権と憲法―シリーズ日本近現代史〈2〉』岩波新書(2006年)
目次
第1章 自由民権運動と民衆
第2章 「憲法と議会」をめぐる攻防
第3章 自由主義経済と民衆の生活
第4章 内国植民地と「脱亜」への道
第5章 学校教育と家族
第6章 近代天皇制の成立
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