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2007年3月 4日 (日)

煮られトマス(2)、若干書き直しversion

 2/28(水)に、我がblog記事 煮られトマス に対して、コメントして戴くという僥倖に恵まれた。

 初掲載から、既に1年以上経過して、初めて得たコメントである。この意義深い厚意に対し、単にレスすることだけで済ますことは残念に思うので、記事として、いささか私見を述べておこうと思う。

 前回の記事でも触れたように、トマス・アクィナスの遺体(の頭部)がシチューにされたことは事実と思われる。だから、争われるべきは、その意味となる。いかなる解釈が可能か。

 整理するとこうなる。

①稲垣氏(勢力争い説)
 トマスが息を引き取ったフォッサノーヴァのシトー会修道士たちは、トマス自身が属し、トマスがそこで永久の眠りにつきたいと願った、ライバル修道会でもあるドミニコ会修道士たちに、その遺体を奪われないため、小さくして隠せるように、トマスの頭部を煮て白骨化させた。恐るべき暴挙だ。

②通りすがり氏(経済的利益を巡る争い説)
 当時、各教会、修道会にとり、「聖遺物」には、実は多いに金銭的価値があった。つまり、そういった「聖遺物」には、巡礼者という顧客を各教会に導く大きな集客力があり、巡礼者が多く集まれば金銭がその地に落ち、あるいは経済的交易が盛んになり教会に経済的利益をもたらす、と。
 つまり、シトー会とドミニコ会の、トマスの遺体を巡る争いは、キリスト教会内部での修道会どうしの勢力争いであり、特に、経済的利益を巡る争いだった。

③ホイジンガ(信仰の物質主義化の、極端な一例)
「聖者のからだの遺物について、教会は、これの崇敬を認め、かつ、勧めさえもしていた」ので、この遺物崇敬の行き着くところ、トマスが煮られるという事態も出てきてしまった。

④中世史家渡辺昌美氏の「聖遺物」に関する解説(平凡社世界大百科事典1998、より)
 1)聖遺物崇拝=聖人の遺骸や遺品が奇跡生む力があると信じられていたこと
 2)有名な聖遺物を奉安する聖堂、修道院に巡礼が集まったこと。
 3)「聖マルティヌス(サン・マルタン)の臨終(397)には,トゥールとポアティエの住民が集い,遺骸の帰属をめぐって争った。」ように、既に4世紀から、聖遺物崇拝は、中世ヨーロッパにおいて定着していた。

 この渡辺氏の解説を読む限りでは、トマスの遺骸を巡るシトー会とドミニコ会のような争いが、その800年も前から繰り返されてきたことが分かる。そのことは、経済的利害が関わっていなくとも、一般民衆のように信仰心の問題から、奇跡を求め、聖遺物を争いあうものであることが見て取れる。

 キリスト教が古代ヘブライズムの宗教的伝統に忠実である限り、本来聖遺物崇拝のような被造物神化は決してありえない。なぜなら、ヤハウェのみが世界を創造したことを信じ、ヤハウェのみを信じる、ことがこの信仰のアルファでありオメガであるからだ。しかし、パレスチナ生まれのキリスト教は、ローマ帝国に入り、そしてまた、中世ヨーロッパで民衆に定着する過程で基本的変容を蒙った。先の渡辺氏も「民衆の信仰の本質は聖遺物崇拝であった、少なくともそれが決定的な活力を信仰に供給していたと考えられる。」と指摘している。

 中世ヨーロッパにおいて、各地の修道院は信仰の拠点であった。一方で、そこは知の研究センターであり、テクノロジーの開発センターでもあった。従って、宗教的権威、および知と冨がそこに集積されざるを得ない。その意味で、有力な修道会が宗教的、世俗的覇を競うのは必然のなりゆきで、トマスの亡骸(なきがら)をめぐり、シトー会とドミニコ会が争うのもその一幕とも言える。

 しかし、人間行為に単層的な意味理解のみが可能というのは、少々頑迷というべきであり、それは重層的な意味が担われることが常態だと考えるべきだろう。

 すると、亡きトマスの骸(むくろ)を巡る、シトー会とドミニコ会の争いを再考するに、修道士自身の表層的意識には、聖遺物の奇跡を求める信仰上の争いとして映じているのだとして、その底流に、経済的利害を巡る暗闘も抑圧され隠されていると一応考えられないこともない。だとしても、聖遺物獲得競争のエスカレーション上においては、遺骸のシチューも十分可能性はあり、そこまでやる行為を人間が自ら正当化するロジックは、信仰の物質主義化(=実質的な被造物神化)であった、と想定するほうが、解釈として無理がないのではないだろうか。金のために、修道士たちが頭蓋骨をシチューにするの図、などというのは、ちょっと私の貧困な想像力では思い及ばない。

 つまり、稲垣氏にしろ、通りすがり氏にしろ、シトー会修道士たちの行為に対して、マルクス張りのイデオロギー批判を敢行しているわけで、私としては、それを益なしとはしないが、まずは時代や場所における妥当な文脈の中において、第一次的な理解を試みることが歴史解釈としては優先されるアプローチだと考える。

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