煮られトマス(3)、少し追記
通りすがり氏コメント再考
足踏堂氏のコメントをきっかけに、通りすがり氏のコメントを再読してみた。氏のコメントを再度分析し、敷衍すると以下のようになるだろう。
1)トマスは死後、聖人に列せられることは確実だった。
2)したがって、その遺骸が聖遺物となることも確実だった。
3)聖遺物を保管する教会、聖堂には、ヨーロッパ中から多数の巡礼が来ることが見込まれた。
4)多数の巡礼があつまる教会、聖堂は結果的にではあれ、金銭的に潤った。
5)トマス終焉の場所である、フォッサヌォーヴァ修道院は、たまたまシトー会に属し、そのシトー会は既に前世紀の信仰的高揚も、教会内における勢力も失っており、ただひたすら、現世的利益のみを追い求める嘆かわしいメンタリティしか持ち合わせがなかった。
6)よって、フォッサヌォーヴァの修道士たちは、トマスが自分たちの修道院でなくなった天佑(?)をこれ幸いと利用して一儲けをたくらんだ。
7)しかし、無論、トマス自身が属していたドミニコ会から遺骸引渡しの要求、ないし実力行使による奪還が予想されるため、修道院内をあっちこっちと保管場所を移した挙句、引渡し妨害工作の止めとして、とうとう「聖」トマスの亡骸をシチューにして、鶏がらのようにしてしまった。
8)本来、キリスト教徒には、イエスを頭とする「一つの体」という理想があり、それゆえ先に天国へと登った聖人は現世の者たちの願いを神に「とりなし」してくれ、したがって現世のおいて奇跡を起こす、と信じられてた。それが、聖遺物崇拝の背景である。
9)すると、自らと一体であるはずの、そして尊敬すべき先人であるはずの「聖人」候補の遺体を、バラバラにし白骨化させるために煮る、という行為は、聖遺物崇拝の延長線上には考えることができず、となれば、現世的な、経済的利益を求めてのものとなる。
10)それを、宗教的、思想的行為とみなすのはどうかしている。信じられん。
こうして改めて、考察すると、通りすがり氏の論に関して気づくことが二つある。
第一。ホイジンガの説明に対して一言も触れていない。この「煮られトマス」事件についての私の解釈は全面的にホイジンガに依拠しているわけで、私を(実質的に)アフォ呼ばわりするのは結構だが、それではホイジンガ説に対してどう反論するのか、ということは何らなされていないこと。
第二。聖遺物崇拝について、その背景を説明してくれたのは大変勉強になった。しかし、それは何故、聖遺物がキリスト教徒により崇拝されるようになるのか、の説明ではあっても、その説明が聖遺物という、「もの」が崇拝される、いわばキリスト教フェティシズムが、「骨まで愛して」レベルまでエスカレーションしないということを、全く論理的に保証しないこと。ないし、そのことにほとんど思い至っていない、ということ。
第一は、おそらくホイジンガの「中世の秋」を何ら読んでいないため、コメントできないのだろうと予想できる。また、第二は、歴史を読むことが、時間的、空間的他者を解釈するという、知的に、繊細かつ robust な思考力を要求される行為であるにも関わらず、ご本人がそれに耐え得る知的体力を持ち合わせていないことを証しているように思われる。
きついコメントをされたので、柄にもなくきついコメント返しとなった。ただ、誹謗中傷レベルに堕するまでに至らず節度は維持されていると思うので、引き続き有効な反論を戴けるのであれば、私としては本当に望外の喜びである。
若干、追記。なぜ、通りすがり氏が、庶民の聖遺物フェティシズムと修道士たちの「トマス煮」を結び付けられないのか不思議だった。だが、こう考えれば疑問が解ける。つまり、庶民は無知蒙昧なのでフェティシズムに陥るが、修道士のようなスコラ学を学んだ知的エリートはそんなんことにはならず、トマスを煮ることの、現代から見ても納得のいく合理的理由があるはずであり、それは経済的利益だろう、というものだ。もし、この憶測が正しいのなら、この人物は、学知(scientia)の世界に己の価値観であるエリート主義を無自覚に持ち込む単細胞か、差別主義者であるに過ぎまい。
下記記事、およびコメント欄、参照。
1)煮られトマス
2)煮られトマス(2)、若干書き直しversion
| 固定リンク
「歴史 (history)」カテゴリの記事
- 柳田国男「實驗の史學」昭和十年十二月、日本民俗學研究/ Yanagida Kunio, Experimental historiography, 1935(2024.10.20)
- Rose petals in the canyon(2023.10.25)
- 峡谷に薔薇の花弁を(2023.10.25)
- Knowledge and Evolution: 'Neurath's Ship' and 'Evolution as Bricolage'(2022.03.25)
- 《知識の進化》と《進化の知識》:「ノイラートの船」と「進化のブリコラージュ」(2022.03.25)
「西洋 (Western countries)」カテゴリの記事
- 薔薇戦争と中世イングランドのメリトクラシー/The War of the Roses and the Meritocracy of Medieval England(2024.11.28)
- 「産業革命」の起源(1)/ The origins of the ‘Industrial Revolution’(1)(2024.11.08)
- 比較思想からみた「原罪」(peccatum originale/original sin)| Original Sin from the Perspective of Comparative Thought(2024.10.31)
- 対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案(昭和十六年十一月十五日/大本営政府連絡会議決定)/Japan's Plan to Promote the End of the War against the U.S., Britain, the Netherlands, and Chiang Kai-shek 〔November 15, 1941〕(2024.06.02)
「文化史 (cultural history)」カテゴリの記事
- 20世紀におけるドイツ「概念史」とアメリカ「観念史」の思想史的比較 / A historical comparison of the German “Begriffsgeschichte” and American “History of Ideas”of the 20th century(2024.11.19)
- 金木犀と総選挙/ fragrant olive and the general election(2024.10.21)
- 虹 rainbow(2024.03.09)
- 河津桜(2024.03.03)
- 沢田マンション:日本の カサ・ミラ〔1〕/Sawada Manshon: Casa Milà, Japón〔1〕(2023.09.19)
「中世」カテゴリの記事
- 薔薇戦争と中世イングランドのメリトクラシー/The War of the Roses and the Meritocracy of Medieval England(2024.11.28)
- ドアを閉じる学問とドアを開く学問/ The study of closing doors and the study of opening doors(2024.10.27)
- 心は必ず事に触れて来たる/ The mind is always in motion, inspired by things(2022.07.05)
- 関 曠野が言うところのプラトニズムとはなにか?(2020.08.31)
- 少年易老學難成 ・・・ の作者は《朱子》ではない(2018.11.10)
「書評・紹介(book review)」カテゴリの記事
- ドアを閉じる学問とドアを開く学問/ The study of closing doors and the study of opening doors(2024.10.27)
- 柳田国男「實驗の史學」昭和十年十二月、日本民俗學研究/ Yanagida Kunio, Experimental historiography, 1935(2024.10.20)
- リア・グリーンフェルド『ナショナリズム入門』2023年11月慶應義塾大学出版会/訳:小坂恵理, 解説:張 彧暋〔書評③〕(2024.09.23)
- リア・グリーンフェルド『ナショナリズム入門』2023年11月慶應義塾大学出版会/訳:小坂恵理, 解説:張 彧暋〔書評②〕(2024.09.18)
- リア・グリーンフェルド『ナショナリズム入門』2023年11月慶應義塾大学出版会/訳:小坂恵理,解説:張 彧暋〔書評①〕(2024.09.16)
「思想史(history of ideas)」カテゴリの記事
- 「資本主義」の歴史的起源/ The Historical Origins of “Capitalism”(2024.11.22)
- 「ナショナリズム」の起源/ The Origin of “Nationalism”(2024.11.21)
- 20世紀におけるドイツ「概念史」とアメリカ「観念史」の思想史的比較 / A historical comparison of the German “Begriffsgeschichte” and American “History of Ideas”of the 20th century(2024.11.19)
- 比較思想からみた「原罪」(peccatum originale/original sin)| Original Sin from the Perspective of Comparative Thought(2024.10.31)
- Michael Oakeshott's Review(1949), O.S.Wauchope, Deviation into Sense, 1948(2024.08.17)
コメント
1点だけ、追伸。
「中世末期の民間信仰が物質主義に堕して行ったこともわたしは否定していない」
と、通りすがり氏は表現する。ホイジンガの本心が奈辺にあったかは、再読してから考えるが、少なくとも、私は、《民間信仰》が《物質主義》に遷移することは、(己も含めた)人間行為として十分ありうることと思うので、《堕し》たとは考えない。「鰯の頭も信心から」というではないか。被造物神化の拒否なんて、なんらかのobsessionに取り付かれた人間でない限り、結局破綻する代物だ。私と通りすがり氏に違いがあるとすれば、このへんかな、と思ったりもするのだ。
投稿: renqing | 2007年3月25日 (日) 17時15分
まずは、通りすがり氏が「益なき」といいながら、応答してくれたことに感謝したい。十中八九、ないと思っていたので。これで、仮に私の過ちや勘違いが訂正されるのなら、本当に助かる。私もかなり思い込みの激しいほうだから。
で、氏が繰り返し当該の書を読め、と忠告してくれているので、当該ニ書の事実としての記述に関しては、実際に再読してから書くべきなので、今は保留する。ホイジンガ書中の「空疎化」云々、稲垣氏書中のトマス終焉の経緯記述、この2点である。
氏の述べる、
「 ホイジンガは実際、民衆のいきすぎた聖遺物崇拝を「涜神」とさえ表現している。どうしてそのようなホイジンガの説明に「宗教的、思想的解釈」などというラベルを貼れるのか?」
については、ホイジンガ書を読んでからのほうが適切な応答ができるとは思うが、私が使用した「宗教的、思想的解釈」という言葉もこのやり取りの焦点の一つではあるので、簡単に釈明しておく。
この「宗教的、思想的解釈」とは、第一に、「政治的」ではない、という意味。「政治的」とは、権力の分け前にあずかり、権力の配分関係に影響を及ぼそうとする努力のこと(M.Weber『職業としての政治』岩波文庫p.10参照)。第二に、「経済的」ではない、という意味。「経済的」とは、土地、や金銭に代表される冨の配分に関係すること。人間行為の動機の意味理解として、「政治的」でも、「経済的」でもない、という文脈の、いい加減な使い方で、「宗教的、思想的解釈」を使っている。あまり、適切でもないな、と今思い返すのだが、他によさそうな言葉が見つからないので。仮に、言い換えるなら、「彼岸的」とでもいうか。
「「ホイジンガは実際、民衆のいきすぎた聖遺物崇拝を「涜神」とさえ表現している。」
として、それは、無論、原キリスト教的文脈では「涜神」だろう。明らかに被造物神化だから。しかしながら、それが民衆の(此岸的ではなく)彼岸的なものへの依存、信頼、確信に起因するなら、それは「宗教的」行為、というほかない。ヤハウェ、イエスへの信仰を大黒様信仰に置き換えたら、キリスト教的には「涜神」だろうが、それはあくまで同じ宗教上の地平にあると私は考える。ロシア革命期のボルシェビキ政権のロシア正教弾圧や、我が明治薩長ボルシェビキ権力の廃仏毀釈のような行為なら、「政治的」と言えるだろうが。当のホイジンガの文脈は当該書を再読しないと確認できないが、彼の学者としての出発はサンスクリット学であり、学位は古代インド演劇であるところから考えると、ある種のキリスト教への諧謔とも取れそうだ。ただ、この件についてもホイジンガ書を確認しないと、断定的なことは言えないな。
「a)ホイジンガ自身「高価な聖遺物」とトマスの遺体を表現していることになんと答えるのか?」
当然、この点も、ホイジンガ書を読まないと彼の文脈を確認できないが、この場合の「高価な」は、聖遺物にも相対的に価値の高いものとそうではないものがある、というだけことだろう。経済的価値のことではなかろう。
「b)「修道会の勢力争い」つまりシトー会とドミニコ会の勢力争いなど、稲垣氏の著書のどこに書かれているのというのか?」
これも、ご指摘の通り、稲垣氏書を再読し確認する必要があるが、これを書いたときは、稲垣氏の、
「遺体がドミニコ会員の手に渡るのを《阻止》するため、修道院内のあちこちに棺を移動させ、《あげくの果て》は首だけ切り離して別の場所に隠したり、さらには、小さな場所にかくすことができるよう、遺体が骨だけになるまで煮る、といった《暴挙》まで」
という記述の、私が《》した部分を敷衍してのことだったと思う。張り合ってなければ、わざわざ《阻止》したりせず、仲良く煮て分け合うだろう。また、「トマスの煮込み」を、《暴挙》と否定的に評する稲垣氏が、それを聖遺物信仰の当然の帰結だ、とする考えを持っていたとはちょっと思えない。
ま、いずれにせよ、少し時間を戴くことにして、当該の二書を再読、確認してから、新記事としてこのblogに書くつもりだ。私は、まちがえて強弁することのほうが恥ずかしいし、第一自分が新しい知見に成長しないでは損と考えるので、再読、確認後自分がまちがっていたと思えば、そう書くし、再読後、自分の意見を変える必要がないと思えば、それを「通りすがり」氏、およびその同意者の方にも通じるよう表現を改めて書こうと思う。
投稿: renqing | 2007年3月25日 (日) 06時01分
まず、応答から
4)の「啓蒙主義期」に対して
これは失礼、筆(?)が滑った。断るべきだったが、ここでは村上陽一郎氏の聖俗革命風の意味で使っている。というか、「啓蒙主義期」という表現は使うべきではなかった。
4)の「軽蔑」に対して
まあ、ホイジンガわたしの単なる印象なので同意してもらおうとは思っていない。
4)の「空疎化」に対して
『中世の秋』を読み直してくれとしか言いようがない。
5)に対して
稲垣氏の『トマス・アクィナス』を読み直してくれとしか言いようがない。
6)に対して
「延長線上」というのは否定してない。それがどのような「延長」なのかが問題であろう。倒錯的偏愛という意味での延長ではないというのなら、どういう意味での延長なのか?
言い換えれば「宗教的、思想的解釈」と先に表現したラベルの内実は何か?
さらに言えば、中世末期の民間信仰が物質主義に堕して行ったこともわたしは否定していないし、それが呪術的欲求からきたことも否定していないし、教会がそれを利用したという側面があることも否定していない。
ホイジンガは実際、民衆のいきすぎた聖遺物崇拝を「涜神」とさえ表現している。どうしてそのようなホイジンガの説明に「宗教的、思想的解釈」などというラベルを貼れるのか?
次に、前回のわたしが書いたことので無視された論点を再度書いておこう。
a)
ホイジンガ自身「高価な聖遺物」とトマスの遺体を表現していることになんと答えるのか?
b)
「修道会の勢力争い」つまりシトー会とドミニコ会の勢力争いなど、稲垣氏の著書のどこに書かれているのというのか?
最後にもう一度書くけれども、件の二冊を読み直すことをお薦めする。
さらなる返答は、その上でお願いしたいものだ。
投稿: 益なきことに労力をさく自分の愚かさにあきれながら... | 2007年3月25日 (日) 01時45分
通りすがり(再訪)氏へ
1)まず、ご指摘の通り、この「煮られトマス(3)」では罵詈雑言の類を発しているのは私と思えるので、これについては、失礼した。ごめんなさい。今回は、「子供の喧嘩」にはならないとは思う。
2)私が引用した本自体、今すぐアクセスできる状態にないので、私の「理解」を深めるために、早速、読み直すことが出来ない。まことに遺憾。ただし、少々時間をおくなら、読み直せるだろうと思うので、後日それは果たしたい。
3)おそらく、三度も筆を執る(氏からすれば)徒労はされないと思うので、この私のコメントを読まれる確率は低いと思うが、一応、簡略に気付いたことをコメントしておこうと思う。
4)あまり、揚げ足取りのような「子供」っぽいことはしたくないのだが、今回の氏のコメント中に、
「ホイジンガの説明はいかにも啓蒙主義期の歴史家らしく」
とある。これを読むと氏が本当に『中世の秋』を読まれたのか、若干、不安になる。なぜなら、ヨハン・ホイジンガ(Johan Huizinga)の生没年は、1872年-1945年である。一方、啓蒙主義といえば、17世紀のスコットランド、イングランドに起こり、18世紀フランスで開花した思潮と一般的には見なされている。氏がホイジンガを勘違いされているのか、もしくは、氏には氏独自の啓蒙主義の定義、時代設定があり、通常とは異なる思想潮流を指しているのか。迷うところだ。また、少なくとも、私には、あのホイジンガの記述に「軽蔑」は感じないし、今手許に訳書がないので断定できないが、「空疎化」といってなかったように思う。もし使っていてもネガティブな文脈ではないと思う。
5)氏は、
「あの引用の直前に、トマスがフォッサノーヴァ修道院から「前から招待を受けていた」と書かれている。どうしてドミニコ会とシトー会が勢力争いをしているなら、シトー会派の修道院がドミニコ会に属するトマスを招待するだろうか?トマスも死に際してシトー会派の修道院で最後のときを過そうと思うだろうか?」
と、述べておられる。これは単純な事実に関する知識不足ではないか。事実、稲垣氏の執筆である、平凡社世界大百科事典(1998)の「トマス・アクイナス」の項にこうある。
「翌年初頭,教皇の要請に従ってリヨン公会議に出席するため病気をおして旅立ったが,途中で病が重くなり,ローマの手前,フォッサヌオーバのシトー会修道院で3月7日に没した。」
もう一つ、少し経緯が書いてある Wikipedia の「トマス・アクイナス」の項には、
「1274年の初頭、教皇は第2リヨン公会議への出席を要請した。トマスは健康状態が優れなかったが、これを快諾し、ナポリからリヨンへ向かった。しかし、道中で健康状態を害し、ドミニコ会修道院で最後を迎えたいと願ったが、かなわずソンニーノに近いフォッサノヴァのシトー会修道院で世を去った。1274年3月7日のことであった。」
とある。「トマスがフォッサノーヴァ修道院から「前から招待を受けていた」」としても、それはトマス自身が当時の超有名人なのであるから、平生それはありうるだろう。だとしても、病重くなり、ついにやむを得ず(いやいやながら?)、フォッサノヴァのシトー会修道院で終焉を迎えただけの事、なのではないか、と私には思われる。
6)上記の2点は単純なことであり、少々、調べればすぐ分かることだ。氏は私の「理解」に疑問を呈しているが、残念ながら私には氏の事実把握に一抹の不安を禁じえない。
7)氏に私は、
「 (「骨まで愛して」の表現などから推察するに、あなたは「倒錯的偏愛」の意味で「フェティシズム」という語を使っていると思われるが)この文脈でホイジンガは倒錯的な偏愛を述べているのではない。」
と言われてしまったが、当然、私が「倒錯的偏愛」の意で使っているわけではないし、無論、ホイジンガがそうであるなどと私が考えているわけでもない。マルクスの使う物神崇拝を指す、私の軽口である。誤解を誘ったなら申し訳ない。まともに受け取られることに思い及ばなかった。
8)氏は、「わたしのコメントをちゃんと読めば解るはずだが」と言われる。しかし、私には、氏も稲垣氏も、「トマスの煮込み」が、聖遺物崇拝の延長線上にあり、それは単に呪術の一種であることを受け入れられないのか、少なくとも、聖遺物崇拝と「トマスの煮込み」を別種の行動とし、別の動機で説明されようとしているようにしか読めないのだが。私にとっても、ホイジンガにとっても、「トマスの煮込み」が聖遺物崇拝の一環であり、宗教的行為だと認めてもらえればよいだけの話である。
投稿: renqing | 2007年3月24日 (土) 04時37分
通りすがりのはずが、ふと思いだしてまた立ち寄ってみたら、反論(?)がしてあった。余計なことを思いだすんではなかったと後悔したが、一応、必要最低限だけは応答しておこう。あとは「もっと勉強してくれ」と言うほかない。
まず基本的なことを書いておこう。
わたしは“あなたの書いたもの”に対して「うかつだ」とは書いたが、“あなた自身”に対して「アフォだ」とか何か侮蔑を書いたつもりはない。「知的体力を持ち合わせていない」「エリート主義」「単細胞」「差別主義者」などの罵詈雑言を投げつけてはないはずだ。子供の喧嘩のような人格攻撃に走らず、内容についてもっとしっかり考察するのがよいだろう。
1に対して)
ホイジンガ自身「高価な聖遺物」とトマスの遺体を表現しているではないか。わたしの説明がホイジンガの説明に反するとは思っていない。実際、民衆が聖遺物に信仰心を抱くからこそ、聖遺物がそれを所有する教会や修道院に経済的な潤いをもたらすのではないか。
ホイジンガの説明はいかにも啓蒙主義期の歴史家らしく、聖遺物崇拝に対する軽蔑がにじみ出ていて違和感を感じるが、実際、中世後期の民衆信仰とそれを利用したカトリック体制にそういう偶像崇拝的要素が大いにあったことは事実なので、別に批判反論するつもりはない。
わたしのコメントをちゃんと読めば解るはずだが、ホイジンガが稲垣氏の記述の対案として先のコメントを書き込んだのではない。あなたのホイジンガ理解や稲垣理解が誤っているという意図で書いたのだ。あなたはその点を(ホイジンガや稲垣氏の文章を読み違えたように)読み違えてしまっている。
2に対して)
(「骨まで愛して」の表現などから推察するに、あなたは「倒錯的偏愛」の意味で「フェティシズム」という語を使っていると思われるが)この文脈でホイジンガは倒錯的な偏愛を述べているのではない。彼は庶民が持ったイメージについて(民衆が行なった思想・宗教観念のイメージ化とそれにともなう空疎化について)興味を持っているのであって、また彼が描いている民衆の極端な行動は、偏愛などという(物質的に飽和した現代人が持つような)欲求でなく、即物的効果を求める呪術的な欲求からの行動である。(おそらくあなたは、この点を根本的に誤解しているみたいなので、この程度の説明では理解してくれないだろうが、理解できるように懇切丁寧に説明してあげるだけの慈善精神は残念ながら持ち合わせてない)。
さらに言えば稲垣氏の解釈についても、あの記述からどうして「修道会の勢力争い」などという解釈がでてくるのか不明だ。あの引用の直前に、トマスがフォッサノーヴァ修道院から「前から招待を受けていた」と書かれている。どうしてドミニコ会とシトー会が勢力争いをしているなら、シトー会派の修道院がドミニコ会に属するトマスを招待するだろうか?トマスも死に際してシトー会派の修道院で最後のときを過そうと思うだろうか?実際、両派が勢力争いをしていたとか、それゆえにトマスの死体を奪い合ったとか、そういう記述は稲垣氏はしていない。
「必要最低限」のつもりが長くなってしまった。あとは件の二冊を読み直すことをお薦めする。本は“読んだか”ということではなく“読んで理解したか”こそが重要なのだから。
投稿: 通りすがり(再訪) | 2007年3月23日 (金) 21時14分