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2007年3月 5日 (月)

反骨一代 絵師喜多川歌麿

 3/4(日)、21:00-21:49、NHK総合テレビで、「歌麿 紫の謎」なる番組が放映された。番組の内容そのものについては、リンクをたどって戴ければよいだろう。

 番組中、印象的なことが幾つかあった。

 まずは、その反骨性。徳川政権はその初期から、庶民に紫(むらさき)をその衣服に使用することを禁じていたらしいのだが、歌麿は絵師としての当初から、積極的に紫を美人画に使っていたし、徳川政権、就中(なかんづ)<、寛政の改革を推し進めた、松平定信の政権とは、どうも折り合いが悪く、その文化政策に悉(ことごと)く、抵抗する姿勢を示していたこと。こういう気骨のある絵師とは全く知らなかったので、特に新鮮だった。

 働く女性を美しく描いていたこと。松平定信政権の偏狭な文化政策のため、次々と題材を規制されていくが、それを出し抜く形でついには女たちの働く様を絵に定着化することになり、そこに人間凝視に基づく彼なりのリアリスティックな女性像を描き出すようになっていた。これも初めて知ることで面白かった。

 古今東西、絵などというものは、食らうべき者どもがなすことではなく、働く必要のない、貴族や権力者御用達の、彼らを賞賛するために、絵師に己たちを描かせるに過ぎないものであった。西洋においても、ミレーのように農夫たちの働く姿を絵にすることなど、19世紀において出始めることだ。

 それを歌麿は、大首絵(いわゆる、上半身だけの bust shot)の技法をそのまま働く女たちを描くことに使い、それを一つの美までに造形し得ていた。赤子をあやす為に、アカンベエをして舌を出しながら、糸を繰る女の図など、そんなものが浮世絵にあったなんてことは全くの初耳だった。

 浮世絵そのものが、複製による大量生産→消費的な廉価芸術という、世界的に見ても江戸独特のあり方だったということも、遅ればせながら知ったのも収穫。ベンヤミンの「複製技術の時代における芸術」を読んだことがないので、残念ながら江戸アートをベンヤミン的視角から論ずるのは、他日を期したい。

 一つ解せないのは、いまだに江戸枕絵を日陰の身にしたままのところだ。確か世界最大の枕絵コレクションは、ボストン美術館にあったように記憶しているのだが。これについては、また他の文献など読む機会があれば論じようと思う。

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コメント

猫屋さん、どーも。

 下記の記事によると、浮世絵版画は1枚16文→300円ほど。レートをどう設定するのか、書いてないので、正確かどうか未詳ですが。それに、リサイクルもしていたらしい。複製アートである浮世絵版画らしさです。したがって、国内では、珍重されないので、ほとんど残らない、というわけですね。

浮世絵のリサイクル
http://www.d1.dion.ne.jp/~akisaito/Recycle/recycle-index.html

投稿: renqing | 2007年3月 6日 (火) 12時43分

2004年パリ・グランパレでの浮世絵展では、ところどころの特設ブース(子供には見せないって趣旨だと思うけど、子供も見てたですが)でかなりの数の巨匠による傑作春画が展示されてました。また、欧州での浮世絵ブームは、印象派画家たちが最初に興味を持ったってことになってるけど、どうも春画人気も大きかったようです。
でも、実の問題は浮世絵・版画全体での傑作の多くが欧米のコレクターに買われちゃったことだと思う。洋式絵画が芸術、と日本人が信じてた頃、大作ががんがん海を渡った。日本ではボストンのが知られてるけど、フランスやイタリアでのコレクションもかなりなもん。北斎人気も欧米が発端だったようです。

投稿: 猫屋 | 2007年3月 5日 (月) 09時40分

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