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2007年4月13日 (金)

挫折と再生

「日本は万事が処世術で片付く、ある意味では幸福な国である。しかしマルクス主義者は、この日本の風土のなかで政治には思想と原則が必要なことを主張してきた人々である。せめて彼らぐらいは、挫折によって逆説的に勝利するという先例を日本精神史上に残してほしいと私は思った。思想と原則に拠って生きることの厳しさを感じさせるような滅び方をしてほしかったのである。

前著(引用者註:『左翼の滅び方について』1992年)は性急なレトリックのせいで一部で誤解されたが、私の主張は「人間は挫折によってこそ学ぶものだ」ということに尽きていた。挫折は、人間の生における最も貴重な経験である。人は挫折したときに、この世には処世術だけでは対応できない現実が存在することを学ぶ。そしてなんらかの倫理的原則を確立することなしには、人は一度挫折した生をやり直すことはできない。」
関曠野『歴史の学び方について』窓社(1997年)、pp.3-4

 

「さらにキリスト教の伝統を持たなかったわが国では、思想というものがたんに書斎の精神的享受の対象ではなく、そこには人間の人格的責任が 賭けられているということをやはり社会的規模に於て教えたのはマルクス主義であった。たとえコンミュニストの大量転向が、前述したように思考様式からすれ ば、多くは伝統的な形でおこなわれたにしても、思想的転向がともかくも良心のいたみとして、いろいろな形(たとえマイナスの形ででも)残ったということ は、少なくともこれまでの「思想」には見られなかったことである。マルクス主義が日本の知識人の内面にきざみつけた深い刻印を単にその他もろもろのハイカ ラな思想に対すると同じに、日本人の新しがりや知的好奇心に帰するのが、どんなに皮相な見解であるかはこれだけでも明らかだろう。」
丸山真男『日本の思想』岩波新書(1961年)、p.57

 関が語るのは、20世紀末のこと。丸山の言うのは、1920、30年代のことである。 

 残念ながら21世紀の今日においても、省庁天皇制国家日本のインテリの往生際の悪さは、マルクス主義者だけの専売特許とは言えない。

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