« 「Immanuel Kant」カテゴリー追加 | トップページ | 井上勝生 『幕末・維新』シリーズ日本近現代史(1) 岩波新書(2006年) »

2007年5月 2日 (水)

Marx と Weber

 かぐら川さんの、マックス・ヴェーバー『職業としての政治』(1919)(3) 、へのコメントに刺激されてフラッと書くことにした。内容は、この二人の知的巨人の唯物的基礎に関して。

 まずは両人の生没年から。

 Karl Marx   (文政元年1818 - 明治16年1883)、享年65歳
 Max Weber (元治元年1864 - 大正9年  1920)、享年56歳

 Marx の『資本論』第1巻の初版は、 慶応3年(1867)にハンブルグで出版されている。Weber 3歳である。Weber 19歳で、 Marx は没する。その前年に Weber  は、ハイデルベルグ大学で法律を学び始めているが、Marx がロンドンで客死した時、ストラスブルグで兵役中であった。

 Marx は、1849年からその没するまでロンドンで亡命生活を余儀なくされるが、マンチェスターの紡績工場を経営する資本家の息子であるエンゲルスも、1850年から父親の経営を手助けするためイギリス生活を開始していた。有能なビジネスマンであったエンゲルスが父親のパートナー(つまり共同経営者)となって以降は、現在の日本の物価水準で言えば、年間1000万円ほどの資金を Marx 家に援助していたようだ(森嶋通夫のエッセイによる)。つまり、当時で言えば、十分、イングランド中産階級の生活をしていたことになろう。娘たちに、世間に恥ずかしくない程度のみなりと教育を施せたのはいうまでもない。

 一方、Weber は、典型的なプロイセンの家長である父親とうまくいかず、またその父親から経済的に独立するにもなかなか大変で、精神的に苦しんでいたが、ついに1897年7月その父親と、母親のいるまえで大喧嘩してしまう。父親はその翌月憂さ晴らしに、友人と旅行に出るが、旅先で病死する。その翌年から、精神疾患(うつ病か?)に症状が出始め、休職、復職、また休職、といった繰り返しとなり、せっかく32歳の若さで得たハイデルベルグ大学(既に30歳でフライブルグ教授に就任していたので、その2年後ハイデルベルグ大学にスカウトされたわけ)の教授職も、1903年には辞めざるを得なくなるが、それでは喰えなくなるので、大学側の温情で名誉教授職というポストにしてもらうことになる。それでもかなり苦しかったようだが、その翌年あたりに、資産家だった母方の祖父の遺産を分与してもらえることになり、ようやく経済的に安定する。ここから、彼の病も回復期に入り、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を始めとする多産な一時期を迎えることになる。この後は、体調が回復すると研究を中心とした仕事を抱え込みすぎ、体調不良、転地療養、回復、またオーバーワーク、のサイクルで、比較的早い晩年を迎えることになる。renqingが以前、年譜から試算してみたら、1894年のフライブルグ大学教授就任(30歳)から、没する1920年までの26年間で、講壇に立てたのは実質5年ほどだった。その間の彼の研究活動を支えていたのは、広大な屋敷を含む相続した遺産だったことはいうまでもない。

 この二人、もし、普通に大学教授職について、それを全うしていたら、と考えてみる。ま、わからないが、偉大な業績は残すことは間違いなかろうが、これほど独創的な仕事になっていたかどうか。疑問なしとしない。

|

« 「Immanuel Kant」カテゴリー追加 | トップページ | 井上勝生 『幕末・維新』シリーズ日本近現代史(1) 岩波新書(2006年) »

西洋 (Western countries)」カテゴリの記事

思想史(history of ideas)」カテゴリの記事

Weber, Max」カテゴリの記事

資本主義(capitalism)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: Marx と Weber:

« 「Immanuel Kant」カテゴリー追加 | トップページ | 井上勝生 『幕末・維新』シリーズ日本近現代史(1) 岩波新書(2006年) »