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2007年5月14日 (月)

Meiji Constitution の賞味期限

 簡略に、Meiji Constitution の命脈が、ほぼ80年間(1868-1945)で尽きた理由を述べてみよう。

1)近代主権国家を作れなかったこと。
 薩長クーデタ集団は、結果的に分権的な「幕藩体制」を武力で清算した。しかし、兆民の「多頭一身の怪物」、丸山の「無責任の体系」、ウォルフレンの「権力構造の謎」、といわれ続けてるように、中央(=東京)集権にも関わらず、その中央部で、最終的に統治に関する権力と責任が一人の人間ないし一つのポストに集約されていなかったこと。これは、民主政とか君主政、などとは別次元の事であることに注意。妙な表現だが、いわば「アナーキーな権力」、であったことになろう。

2)「(合理的)法の支配」がないこと。

 近代主権国家は、前近代の分権的国制を集権化するため、人格的支配(主従制など)から非人格的支配、つまり、合理的な依法的支配、に移行しなければならない。なぜなら、数百万から数千万人という人口規模の複雑な近代国家が作動し、それに統一的な国家意思を貫徹するには、個々人の行動の予見可能性を 高める合法的支配は不可欠であり、かつ権力の統一性を人格的にではなく非人格(=ルール)的に維持できなければ、その国家の政治的意思決定を、他の主権国家が合理的に予見できなくなってしまうから。陸海軍の中枢部での「下克上」などと言われた高級参謀たちの専横の根源*はここにもあろう。これは、なまじのセクショナリズムの比ではない。

 Meiji Constitutionは、元勲合議制で出発し、明治憲法もそれを近代主権国家風にデコレーションしたものに過ぎなかった。だから、明治元勲が全員、黄泉の国へ旅立ってしまい、日英同盟という外部からのタガが外れると、あれよあれよという間に、糸の切れた凧のような予測不可能な行動をすることに陥る。

 この状態が今でも続いていないことを願うばかりだ。そうでなければ、1945年とは別次元で、「敗戦」を再びこの国家は迎えることになろう。

*笠谷和比古のいう 主君「押込」の構造が関連する可能性も捨て切れない。

**下記も参照を乞う。

岡義武『山県有朋 -明治日本の象徴-』岩波新書1958

岡 義武 『山県有朋』 岩波新書 1958年

明治天皇の戦争責任

明治constitutionは近代主権国家であったか?(1)

明治constitutionは近代主権国家であったか?(2)

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