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2007年6月22日 (金)

物理法則に物理量は存在するか?(2.3)

 一応、話の整理のために、記事を書いてみる。

T_NAKAさんから、物理法則に物理量は存在するか(1)、のコメントで、

>そういった物理現象の理解の仕方自体が「the Artificial」であるというのなら、それはそれで一つの見解ではありますが。。

という発言を戴いてる。

 まさにその通り、である。自然科学も、人間という生物種が有する対「世界」認識のためのフィルターであり、「the Artificial 人工物」であると、renqing は考えている。

 しかし、それは、なんでもあり、のあてずっぽうとは全く異なる。

 仕切り直しで、大上段な議論を少し述べておこう。

 これまで、人間を含む生物種は、その身体(=表現型)をさまざまに変形(=進化)させつつ、自然界に適応してきた。というか、今、結果をみると、自然環境への適応を成功させてきた生物種が生きながらえている、と推測される。

 なにか適者生存というと、最適なものが一つだけ残っているように考えるのだが、現存する生物種でも数百万種いることからして、地球という惑星に適応する種はいくらでもいることはまちがいない。

 また、さらに細かく見ると、ある局所的 local な環境に適応している種が単一ということはまずない。さまざまな生物種が一定の局所的な環境で、捕食-被捕食関係にあったり、共存関係にあったりして、生存を果たしている。そして、それらの種はたいてい、己の身体の各所をさまざまに進化させて、個々にきわめて合理的にその局所的環境で暮らしている。

 つまり、ある一定の局所的環境においての生存可能な戦略(追記:the optimum solution ではなく、feasible solutions)は常に複数あると考えられよう。その際、生物種は身体の各器官を変形させて適応する戦略をとるのだから、それは各生物種が己の対「世界」認識を、身体上の変化・進化で表明した、とも言えるのではないか。

 すると、ネアンデルター人と現代人の系統が分かれたのがおよそ60万年前だから、人間という種は、60万年まえに、基本的には身体を変形・進化させることは早々と停止し、その大脳から生み出される観念物(the Artificial 人工物)を変形・進化させ、環境に適応してきたとみなせる。

 自然科学も、この観念物(the Artificial 人工物)の一種である。したがって、例えば天動説から地動説へも「進化」するし、ニュートン力学からそれを補足する形で電磁気学や量子力学・特殊相対性理論、へと「進化」する。それらが観念物であるにも関わらず、あてずっぽうにならないのは、幾世代もの人間たちによってチェックされ、帰納的スクリーニングにかけられてきたからといえる。

追記1 人間の対「世界」認識の interface は、身体の外(脳の中?)にあり、他の生物の interface は、身体 body にピッタリ貼り付いているともいえよう。

追記2 なぜ、the optimum solution ではなく、feasible solutions かと言えば、生物の対「世界」認識能力は、限定的 bounded であり、それぞれ half-truth たらざるをえないから。

追記3 したがって、過去において既に葬り去られている理論、たとえば、フロギストン(燃素)説や、エーテル説が、全く新たな理論的、実験的根拠を背景として、改めて提唱されることだってありうる。自然科学の最先端理論も、the optimum solution ではなく、feasible solutions だからである。

〔参照〕
「哲学の自然化」?
「哲学の自然化」?(2)
物理法則に物理量は存在するか?(1)
物理法則に物理量は存在するか(3.1)
物理法則に物理量は存在するか(4/結語)

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コメント

おはつです。

ポアンカレの事例から一度、コメントを書くべきだ、と思っていたですがどうすれば、わかりやすい論点設定ができるのかわからなかったので延び延びになっておりました。

さて、今回の
「物理法則に物理量は存在するか?」という論点は哲学的には「科学的実在論」と呼ばれる論題です。
詳しいことはwikipediaをどうぞ。解りやすく整理されていると思います。

但し、「哲学の自然化」のエントリーにおいてポアンカレを引用していますが、あの文章はすでにヒルベルトによって反駁され、彼の数学的直感主義見解に賛成する数学者はほとんどいない、と思います。数学の体系はあくまで「存在論」の世界、すなわち一度されたら絶対にひっくり返せない証明で拡張された世界です。

投稿: F.Nakajima | 2007年6月23日 (土) 10時14分

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