「維新神話」とマルクス主義史学(4/結語)
唯物史観は経済決定論である、という見方に対して、晩年のエンゲルスは、1890年にこう述べているという。
「唯物史観によれば、歴史において最終的に規定的な要因は現実生活の生産と再生産である。それ以上のことをマルクスも私も今までに主張したことはない。もし誰かがこれを歪曲して経済的要因が唯一の規定的なものであるとするならば、先の命題を中身のない、抽象的な馬鹿げた空文句に変えることになる。しかし上部構造のさまざまな諸要因・・・が、歴史的な諸闘争の経過に作用を及ぼし、多くの場合に著しくその形態を規定するのである。」(城塚登「唯物史観」、岩波哲学・思想事典1998)
このエンゲルスの言を検討してみよう。
下部構造すなわち《現実生活の生産と再生産》=《生産様式》が、上部構造すなわち《社会的・政治的・精神的な生活過程のあり方全体》=《生産関係》を、最終的に規定している。しかしながら、一方で上部構造のさまざまな要因も下部構造に働きかけて影響を与える。つまり、自律性を有する下部構造からの出力が、上部構造への入力となり、上部構造の変化が生じるのだが、それだけでなく上部構造から下部構造へ向けても、何らかの出入力がある、ということのようだ。フィードバック・ループのようなものか。エンゲルスのイメージとしては、下部から上部へは太いループが、上部から下部へは細いループがある、というようなものだろう。
しかし、そのループが太かろうが細かろうが、いったん上部から下部へのループがあると認めるならば、歴史というシステム全体への影響は決定的とな る。なぜなら、歴史の駆動力として巨大なパワーを蔵する下部構造は、外部からの微小な入力だとしても、その駆動力による強力な拡大作用によって、最終的に歴史というシステム全体に著しい影響を及ぼさざるを得ないからだ。
逆に、上部から下部への出入力があったとしても、「最終的に」は下部の自律性によって歴史が規定される、というある種の構造安定性が見られるなら、つまり、歴史システム全体が上部からの下部へ向けての出入力によって、既定のコースから逸脱しそうになっても、元に戻るような構造安定性を歴史システムが内臓しているならば、そもそも上部から下部へのループなど考える必要がない。
一つ、喩えを出そう。
ある時点Aからある時点Cまで、シームレスの時間プロセスがあり、それは因果律によって規定されているとする。その場合、プロセス全体は必然的とみなせる。ところが、そのAとCの間のどこかにBという裂け目ができ、その裂け目は偶然性が支配するとする。すると、A→Baは必然、Bc→Cも必然、しかしBa→Bcは偶然となる。この場合、A→Cのプロセス全体は、いったい必然と評価されるのか、それとも偶然と見なされなければならないか。
I. A → C
II. A → Ba → Bc → C
答えは、明らかに、プロセス全体として偶然としか言いようがない。A→Baは予見可能、Bc→Cは予見可能だが、AからCは予見できないのだから。
この上部構造から下部構造へのループの決定性を重視したのが、ウェーバー(M.Weber)の歴史社会学であり、その一つの巨大な事例研究が、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」である。くしくも同書末尾に、ウェーバーにより以下の言が置かれている。
「・・・、だからと言って、一面的な「唯物論的」歴史観にかえて、これまた同じく一面的な、文化と歴史の唯心論的な因果的説明を定立するつもりなど、私にはもちろんないからだ。両者ともひとしく可能なのだが、もし研究の準備作業としてではなく、結論として主張されるならば、両者とも歴史的真実のために役立つものとはならないだろう。」
マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』大塚久雄訳、岩波文庫(1989)、p.369
さしあたり、階級闘争史観とは異なり、「徳川末期の倫理(ETHIK)と開国の精神(GEIST)」的な幕末・維新期の素描が求められているのだろうと思う。それとも、「徳川末期の倫理(ETHIK)と靖国の精神(GEIST)」だろうか。
■下記、参照。
「維新神話」とマルクス主義史学(1)
「維新神話」とマルクス主義史学(2)
「維新神話」とマルクス主義史学(3.1、若干増訂)
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コメント
関 様
コメントありがとうございます。
>システムが臨界状態のとき、微細な「ゆらぎ」が未来の状態の決定に決定的な影響を及ぼす以上、歴史は偶然性に大きく左右されざるを得ない
歴史が大きく屈折するとき、とはそういう時なのでしょう。「幕末・維新」期などはその好例のように思います。
>こちらの方が本来の弁証法的な見方というべきで、下部構造決定論的な後のマルクスの見方は、弁証法から離れてしまっているようです。
正直申し上げて、弁証法のことはよくわかりません。ただ、C. S. Peirceが系の時間的発展の論理として(ヘーゲルの)弁証法を評価してまして、私の《理論歴史学》においても検討課題となったまま、ペンディングにしております。プラグマティズムについてまとまった記事を書いたことがないので、遠からず書くつもりです。その際にでもまたコメント頂けますと嬉しいです。
投稿: renqing | 2015年6月 5日 (金) 12時39分
「「維新神話」とマルクス主義史学」の紹介、まことにありがとうございました。迂闊にもこの記事、まだ読んでおりませんでした。マルクス史学の研究者が、西南「雄」藩の研究に特化してしまわざるを得ない理由、じつに明快で、「なるほど」と合点がいきました。
私も大学1~2回生の頃、マルクスの下部構造決定論で歴史を理解しようとして、最終的にはどうしても納得できず、複雑系的な歴史観に「転向」したものでした。
私の歴史観が修正される上で、決定的だったのは、イリヤ・プリゴジンの『混沌からの秩序』を読んだことだったと思います。
システムが臨界状態のとき、微細な「ゆらぎ」が未来の状態の決定に決定的な影響を及ぼす以上、歴史は偶然性に大きく左右されざるを得ないのだと。
もっともマルクスも博士論文は、エピクロスの原子論でした。エピクロス=ルクレチウスの原子論は「ゆらぎ」とか「自由意志」が歴史の変化の方向に影響を与えるというものです。こちらの方が本来の弁証法的な見方というべきで、下部構造決定論的な後のマルクスの見方は、弁証法から離れてしまっているようです。
投稿: 関 | 2015年6月 5日 (金) 09時26分
かつ さん、コメントありがとうございました。
>日本の近代化には必然性があっても
「近代化」。この言葉も、取りかたによってその指示する内容に雲泥の差ができてしまいますので、私もペンディング。
>慶喜が近代化を指向していたことは、すでにいろい指摘されていますね。ただ徹底的な近代化は、幕府の再編ではなく新たな政権樹立によってこそ可能だったのではないか
renqingもそう思います。日本の開国を担う権力は、徳川氏の一姓支配ではなく、大名連合共和政から始まるべきだったでしょう。
>ただ、この言葉が具体的になにを意味するかは、人それぞれみたいなのが現状ではないかと思います(マルクスの思想とはなにかということを含めて)。
まあ、神学論争の様子を呈しますからね。
また、気軽にコメント戴けると嬉しいです。
貴blogの、F.フクヤマの記事、興味深かったです。こちらからも、お邪魔するかもしれませんので、その折はよろしくお願いします。
投稿: renqing | 2007年6月 2日 (土) 03時25分
すみません。ちょっと言葉足らずでした。
言いたかったのは、日本の近代化には必然性があっても、それが薩長による新たな政権樹立によるか、幕府の再編によるかは必然性では語れないといった意味です。そもそも、幕末の政変は、新たな階級の勃興による支配階級の交替を意味するものではないと思います。講座派の学者たちが維新=ブルジョア革命を否定したのもそういうことでしょう。ですから、歴史における革命や変革の主体といった一般的な意味で言ったわけではありません。
軍事的な勝敗ということでいえば、よほどの優劣がないかぎり、可能性としてはいろいろありえただろうぐらいの意味です。
慶喜が近代化を指向していたことは、すでにいろい指摘されていますね。ただ徹底的な近代化は、幕府の再編ではなく新たな政権樹立によってこそ可能だったのではないかと思います。
唯物史観について言えば、基本的に支持しています。
その理由はメリットというよりも、それ以上の説得力を持った論理は今のところ見当たらないということに尽きます。
ただ、この言葉が具体的になにを意味するかは、人それぞれみたいなのが現状ではないかと思います(マルクスの思想とはなにかということを含めて)。なので、この問題は一言で説明できることではありません。
どうもありがとうございました
投稿: かつ | 2007年6月 1日 (金) 21時30分
かつ さん、コメントありがとうございます。
>唯物史観から言えることは、日本における近代化に一定の必然性があったということ以上ではない
すると、別に、唯物史観でなくてもよいわけですね。ならば、(かつさんが支持しているのかどうか私には不明ですが)唯物史観を採用するメリットはなんなんでしょうか。
>それがどのような勢力によってなされたかは、必然性の範疇で論じることはできない
歴史を変化させ駆動させる源泉である階級闘争の主役を、理論的に指定できないとすれば、結果的に主役を演じるその階級と経済的利害関係も指定できなくなりそうです。
>そもそも、自由意思論か歴史的決定論かという対立のさせ方が、ほとんど無意味のように思いますが。
現状がそれなら、私は万々歳です。しかし、靖国史観を持ち上げるような歴史修正主義者たちは、大日本帝国の対外侵略や15年戦争を「止むを得なかった」という、情緒的ではあるが、必然性概念で語り、大日本帝国を免責しようとしています。ことは、人間のあやまちと責任の問題に関連します。
この問題は、バーリン (I.Berlin) の「歴史の必然性」論文を検討するときに、再論します。その検討を通じて、Hume や Hayek といった、保守主義たちが、隠れ決定論者たちであることをしめすことになるはずです。
投稿: renqing | 2007年6月 1日 (金) 12時47分
唯物史観から言えることは、日本における近代化に一定の必然性があったということ以上ではないでしょう。
それがどのような勢力によってなされたかは、必然性の範疇で論じることはできないと思います。
かつての「マルクス主義史観」に歴史法則についての硬直的な理解があったのは事実ですが、それに対して意思の自由を対置することはマルクス以前に退行することのように私は思います。
そもそも、自由意思論か歴史的決定論かという対立のさせ方が、ほとんど無意味のように思いますが。
投稿: かつ | 2007年6月 1日 (金) 11時26分