蘇るレーニン(2)
(1)より続く。
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私は1915年に、両親とともにリガからペトログラードに移りました。そして一家は、1919年にペトログラードを出発したのです。ペトログラードでは、八歳で二つのロシア革命を目撃しました。第一革命のことは、非常にはっきりと覚えています。街頭には集会があり、旗があり、群集がいました。熱狂と、ルヴォフ新内閣の顔触れをのせたポスター、憲法制定議会選挙のために二十以上の政党が宣伝活動をやっていました。戦争については、私の家族が暮らしていた交際範囲の中では、あまり話題になりませんでした。ユダヤ人は、あの自由主義革命を大歓迎していました。自由主義的ブルジョアジーもそうでした。しかし、それは長くは続きません。ボルシェヴィキ革命は十一月に起こりました。われわれ - 私の一家とその友人たち - は、その革命が起こったことをほとんど知りませんでした。最初の徴候は、ボルシェヴィキの権力奪取に反対するゼネ・ストでした。
いろいろな新聞が消えてなくなりました。「日 デイ」という名の自由主義的な新聞があったことを覚えています。「夕 イヴニング」という名で再刊され、やがて「夜 ナイト」に、そして「深夜 ミッドナイト」に、そして「暗夜ダーケスト・ナイト」になり、四、五日かそこらして、とうとう停刊になってしまいました。それに遠くからの銃声が聞こえました。われわれの交際範囲の人々は、〔ボルシェヴィキの〕蜂起(プッチュ)は、せいぜい二、三週間しかもたないと思っていました。その頃のイギリスの「タイムズ」紙を見ると、パリ駐在のロシア大使から出た記事が載っています。大使は、蜂起はさっさと片づくと予想していました。「タイムズ」紙では、ボルシェヴィキは「マキシマリスト」〔最大限の要求を押し出してくる過激派〕と呼ばれ、重要な勢力とは見られていません。やがてゆっくりと、レーニンとトロッキーが革命の二人の重要人物として出現します。ブルジョワ自由主義派であった私の両親は、レーニンが創る社会では自分たちは生き延びてはいけないだろうと思っていました。レーニンのことを危険な熱狂主義者だが、真に信念の人、正直で腐敗を受けつけず、いわばくちばしの黄色いロベスピエールだと思っていました。それにたいしてトロッキーは、邪悪な機会便乗主義者だと見ていました。八歳だったので、この二人の違いが何故そんなに強く感じられたのかについては、さっぱり判りませんでした。二人は「レーニンとトロッキー」という風に、決して切り離さず、合名会社の名のようにひと続きで呼ばれていました。皇帝政府に忠実であったのは、警官だけだったと記憶しています。このことについては、あまり文献に残っていないのではないでしょうか。街頭では、警察はファラオ〔古代エジプトの王〕と呼ばれていました。 -人民の抑圧者だというのです。警官の中には、屋上や屋根裏から革命家たちを狙撃するものもいました。私は一人の警官が暴徒たちに引きずり回され、真っ青な顔でもがいているのを見ました。もちろん殺されたのでしょう。ひどい光景で、決して忘れられません。私はそのために、一生涯、肉体的な暴力を恐れるようになりました。
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pp.13-15、緑色のマークは訳本強調符、黄色は引用者の強調
『ある思想史家の回想―アイザィア・バーリンとの対話』みすず書房(1993年)
I.バーリン/R.ジャハングベロー
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