河東碧梧桐、富山の高岡に現る
明治俳壇の一齣を知るエピソードが下記のサイトにあった。なかなか面白い。
俳句といえば、私の知るblogでは、かわうそ亭 さん、にまず指を折る。そこで碧梧桐の話題を探すと・・。ありましたね、さすが、かわうそ亭さん。
なにかホッとする明治半ばの挿話ではあります。
さて、河東碧梧桐1873-1937(明治6-昭和12)は、本名、秉五郎 へいごろう。これをもじって、「へいごろう」→「へきごどう」としたもの、と記憶していた。
しかし、文人であるからして、いわれは必ずある。国語辞典でみると、実は、「碧梧」も「梧桐」も、アオギリのこと。なるほど、ダブらせたのか。
念のため、角川新字源に「梧」をあたってみた。すると、「梧桐一葉」を用法として、「①あおぎりの一葉が落ちたことで立秋を知る。②もののおとろえのきざし。」として、ひとつ出典を挙げている。
〔群芳譜〕梧桐一葉落、天下尽知秋
ほぉー、これなら知っとるわい、と探索にかかる。ところが、この「群芳譜」なんぞという文献がよくわからん。漢文の世界では常識なのかも知れないが、さっぱり心当たりがないし、ヒットもしない。『淮南子(えなんじ)』の「群芳譜」の巻にある、みたいな記述のサイトがあるのだが、それならと、『淮南子』の内容を見ると、そんな巻はどこにもない。『淮南子』の文として引いてあるものもあるが、そこでの文は上記とピッタリ合わない。それに、だいたい『淮南子』に出典があるなら、角川新字源に書いてないほうがおかしい。
ネット上を探索すること、かれこれ2時間半。己に「アホかい!」と面罵したいほど疲れた。(=_= まあ、そのかいあって、一応確からしそうなことがわかったのは収穫。
やはり、ここまで来ると、日本語のサイトには限界があり、中国語のサイトでようやくある程度事実を確認できた。
明の王象晋の作で、『群芳譜』(1621年)。「梧桐一叶落,天下尽知秋」。“叶”は“葉”に同じ。明代の植物図鑑の体のもの。でこれは、五言絶句になっていて、実は後半がある。
梧桐一叶落
天下尽知秋
梧桐一叶生
天下新春再
この後半もいいですねぇ。
ついでに分かったことは、日本で「桐一葉」などと使われるのは誤用だということ。もともと、アオギリとしての梧桐は、青色がかった桐のように見えるが、植物としても元来別物。中国語の段階では周知のことで間違われようもないのだが、日本語の文脈に移ったとき、「梧桐」→「桐」となってしまったらしい。青い桐なら、桐でもいいだろう、ぐらいの感覚か。で、日本語では「桐一葉」で定着してしまった。明治になって更にこれをポピュラーにしたのが、坪内逍遥の新歌舞伎の名作、『桐一葉』(1893年)。
したがって、日本語のサイトでは、ことごとく「桐一葉」という成語として紹介されている。秋の季語であることも、それに与って力があったろう。いつごろ成立した季語か、まではわからないが。
下記は、アオギリの総合的紹介となっているので、ご参照まで。
あおぎり (青桐)
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コメント
かぐら川さん、どーも。
奇遇ですね。この2、3週間、朱子学や、その理気論を読んでいるので、「気が通じた」のでせうか。(^^v
伊予松山の河東静渓、ですか。土佐には、日本におけるごく初期の朱子学派、海南学派がいました。関係あるのかなぁ。
高岡に関しては、貴日記に記載されたら、このコメント欄にでもご連絡下さい。他にも、期待されている方もおいででしょう。
投稿: renqing | 2007年6月28日 (木) 05時28分
かわうそ亭さん、どーも。
ご教示ありがとうございます。m(_ _)m
投稿: renqing | 2007年6月28日 (木) 05時17分
えーっと、何から書いたらいいかわからぬほど動揺?しています。・・・というのも大げさですが、ここ2、3日の間に河東家のことを俄か勉強したばかりだったのと、碧梧桐が訪れた高岡についてもリンクされたページにはなつかしい?名前が並んでいるからです。――――で、思いつきたことだけメモします。
碧梧桐は河東静渓の五男ですが、――正岡常規(子規)は松山中学に入学した年からこの静渓に漢学を学んでいます――三男の鍛(竹村鍛の名で私の今読んでいる子規『筆まかせ』に頻出)や四男の銓も子規の友人ですね。愉快なのは、子規が明治22年7月に松山に帰省した折に、6歳年下の碧梧桐にキャッチボールを教えてまず野球の弟子(子分?)にしてしまっていることです。
(この年の年初から漱石との交遊始まり、5月には喀血して時鳥の句を作り子規と号すようになっていますから、この年は「子規」誕生の記念すべき年です。)
碧梧桐が訪れた高岡と当時の高岡の俳壇事情については、いずれまた。
投稿: かぐら川 | 2007年6月28日 (木) 00時20分
こんばんわ。
桐一葉の考証たのしませていただきました。
山本健吉によれば「一葉」から、もののきざしで大勢を察知すべき喩えとして季題成立したのは里村紹巴の連歌の時代といいますから、16世紀末くらいでしょうか。
「いづれの木も葉の落るは初秋に候。梧桐一葉知天下秋と作候間、梧桐の事なりと申慣し候」と連歌論書の『連歌至宝抄』にあるそうです。
投稿: かわうそ亭 | 2007年6月27日 (水) 21時34分