心情倫理は、信条倫理?(2)
ウェーバー社会学の日本語の訳は、当然なことにカント哲学の語彙の影響下にある。そして、カント哲学の翻訳語は、じつは、徳川後期から明治全般にかけての19世紀、隆盛を見た日本陽明学の影響下で語彙形成されたものである。
ということは、“gesinnungsethisch”の日本語訳にも、その影響が及んでいると推論することは無理ではない。つまり、この語が「信条」ではなく、「心情」と訳出されたのも、日本的「陸王心学」の痕跡かもしれない。
それなら、不適切な訳というよりは、日本近代史の文脈(context)からいえば、ある意味自然なものとも考えられる。つまり、この語も、陽明学=カント的な影響下にあったということになろう。
以上の議論は、後日、
小島毅 『近代日本の陽明学』講談社選書メチエ (2006年)
小島毅 『朱子学と陽明学』放送大学教育振興会 (2004年)
の書評をこのblogに収める際に、触れることになると思う。
〔参照〕2009.03.03. 心情倫理は、信条倫理?(1)
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コメント
かぐら川さん
「条理(條理)」の出典がわかりました。「孟子」です。
岩波文庫(1972年版)『孟子』(下)、p.167、巻第十、萬章章句下、一
孔子之謂集大成。集大成也者、金聲而玉振之也。金聲也者、始條理也。玉振之也者、終條理也。始條理者、智之事也。終條理者、聖之事也。
この「条理(條理)」には、訳注者小林勝人氏の注があり、
「筋道が通って少しも乱れがないこと。つまり、いろいろの楽器の音がうまく調和して乱れないこと。」
となってますね。やはり、漢籍、儒学の系統の言葉ではあります。
投稿: renqing | 2007年6月18日 (月) 04時15分
パロールさん、コメントありがとうございます。
>清水幾太郎さんの訳では、信念倫理的/責任倫理的になっています。
そうですか。清水幾太郎は晩節になんかヘンになったイメージがありますが、フツーの状態のころは切れ味の鋭い学者でした。私も、名著の誉れ高い「倫理学ノート」を読もうと思いつつ、できていません。(-_-;
どなたかが、「職業としての政治」翻訳史を書かれていると調べやすいのですが。
お手元の清水訳のご本の月報あたりに載ってませんか?
投稿: renqing | 2007年6月18日 (月) 01時13分
清水幾太郎さんの訳では、信念倫理的/責任倫理的になっています。
これであれば安倍死相のやったような素頓狂な誤解は生まれなかったでしょうね。
『世界思想教養全集18 ウェーバーの思想』(河出書房、1962)所収 (p217)
投稿: パロール | 2007年6月17日 (日) 23時12分
かぐら川さん、どーも。
>法実務でも使われる「条理」という言葉を、「(日本的)情理」の言い換えではないかと思う
これ、無関係とは思えません。今のところ、証拠はありませんが、法学(民、刑法)系の言葉も、導入時は、漢学(=儒学)系統のterminologyの裏打ちで構成されていますから、可能性はありますね。何か気が付いたら、ご報告します。
投稿: renqing | 2007年6月17日 (日) 12時34分
RSSという便利な機能のおかげで、新稿のたびに寄らせていただいて刺激をいただいています。ところで、かつて?ウェーバー読みの一人であった私もこの「心情倫理」という言葉(訳語)に呑み込みの悪いもの――反ウェーバー的というか、半ウェーバー的なもの――を感じていました。
続稿を楽しみにしています。
〔追記〕 関係のない話ですが、法実務でも使われる「条理」という言葉を、「(日本的)情理」の言い換えではないかと思うことがあります。
投稿: かぐら川 | 2007年6月16日 (土) 14時45分