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2007年7月

2007年7月27日 (金)

長谷川三千子 『民主主義とは何なのか』文春新書(2001年)

 一定の見方からのものであり、言葉遣いに少々首を傾げたくなる部分も散見される。にもかかわらず本書の前半三分の二ぐらいまで、つまりホッブズまでは、それなりに文献を押さえ議論されていて参考にはなった。

 しかし、ロック以降結語までの部分は、書き飛ばした観があり、どうもいただけない。気持はわからんでもないが。少なくとも、著者が「自らの主張を自分から疑ってみよう」(本書p.217)としているようには思えなかった。

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2007年7月20日 (金)

ホンネとタテマエのコミュニケーション/ Communication between Honne (an ulterior motive) and Tatemae (principles)

 さて、前回、「正直者と嘘つきのコミュニケーション」というのを試してみた。そこでは、話者として、正直者と嘘つきにご登場願った。説明を省いてしまったが、コミュニケートされる側に彼らが立ったとき、やはりそれらしく振舞うと想定していた。

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正直者と嘘つきのコミュニケーション/ Communication between honesty and liars

 世には嘘つきがいる。信用ならない奴がいる。すると、正直者と嘘つきではコミュニケーションは成立しないだろう。では、嘘つきは世にどのくらいいるのだろうか。2×2のマトリクスで考えてみると、下表のようになろうか。

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2007年7月17日 (火)

中国人は「漢文」を読めるか(2)

F.Nakajimaさん、まつもとさん、どうも。

 F.Nakajimaさんが引いてくれたサイトでもわかりますように、現代中国語を解するだけでは、「漢文」を読解するのは困難だと思われます。

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2007年7月15日 (日)

中国人は「漢文」を読めるか(1)〔参照サイト追加2011/01/19〕

 知人から概略、以下のような質問を受けた。

質問1.現代中国人は、いわゆる日本人が高校で習うような「漢文」を、中国語として無理なく読めるのか。

質問2.高校漢文などで習う「漢文訓読法」は、外国語の古典として「漢文」を読む際には意味があるのか。

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2007年7月11日 (水)

intuitionism 雑考

 intuitionism を巡って、いくつか記事を書いた。私がこの語を日本語で表記する際は、「直観主義」と記したが、戴いたコメントには、幾度か「直感主義」とあった。私は、自分の表記が正しいと思い込んでいたので、コメント氏が気付いてくれないかなぁ、と考えていた。

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2007年7月 9日 (月)

現代日本のミリオネア(millionaire)、500万人に。

 以下、ニュースから。

日本の「富裕層」、147万人に…金融資産100万ドル超
7月7日20時10分配信 読売新聞

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2007年7月 6日 (金)

治者であるがゆえに正しいわけでなく、被治者であるがゆえに正しくないわけではない(2)Being the ruler doesn't mean he is right, so being the governed doesn't mean they aren't right.

 かつて引いた、David Hume の文の原文をたまたまネット上で見つけたので、ご紹介しておこう。

D.ヒューム
政府の第一原理について(1742)

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2007年7月 2日 (月)

「孫の手」は、美女の手

 人間に関することで、renqing の関心をひかないものはない、はずの renqing にして知りませんでしたぁ。この世はどこでどうつながっているのか、計りしれない、とは、かの山口昌男が漏らした言葉(危うく、“故”という接頭語を使うところだった^-^;)。無論、renqing もhalf-truthだもんね。あたりまえだ。

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2007年7月 1日 (日)

物理法則に物理量は存在するか(4/結語)/ Are there physical quantities in physical laws? (4/Conclusion)

 F.Nakajima氏に、wikipedia の「科学的実在論」をご紹介戴いた。それに助けを得ながら、当座の結語としたい。

 戸田山和久氏の整理による二つのテーゼで考えてみる。

1)"独立性テーゼ"
「わたしたち人間の認識活動とは独立して、世界の存在や秩序があるはずだ」

2)"知識テーゼ"
「世界に存在するものや、それを統べる秩序について、私達は正しく知ることができるはずだ」

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追いかけて、「桐一葉」

 碧梧桐から、「桐一葉」が気になりまして、ついつい調べちゃいました(-_-;。以下はその成果*。

 関連する出典を、時代順に箇条書きしました。

1)『淮南子』(紀元前2世紀)、「巻十六 説山訓」

見一葉落
而知歳之將暮
睹瓶中之冰
而知天下之寒
以近論遠

一葉落つるを見て、
歳の将(まさ)に暮れんとするを知り、
瓶中(へいちゅう)の氷を賭(み)て
天下の寒きを知る。
近きを以て遠きを論ずるなり。

淮南子(中文)

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