「孫の手」は、美女の手
人間に関することで、renqing の関心をひかないものはない、はずの renqing にして知りませんでしたぁ。この世はどこでどうつながっているのか、計りしれない、とは、かの山口昌男が漏らした言葉(危うく、“故”という接頭語を使うところだった^-^;)。無論、renqing もhalf-truthだもんね。あたりまえだ。
「麻姑とは、鳥のように長い爪をもっていたので、これで背中などのかゆいところをかくと気持がよかろうと思われたところから、日本語の「孫の手」(麻姑の手のなまり)の語源となったとされる仙女である。」
合山究『故事成語』講談社現代新書(1991年) 、p.43
麻姑 → 若く美しい仙女の名
ついでに。
千葉の「我孫子」。これは中国語では文字通り「私の孫」の意。もっと下世話でいうと、ケンカの時に、相手を罵る言葉だとか。中国人なら、成田空港周辺の地図をみる度に笑っているだろうな。
ついでの、ついで。
上記にもあった「美女」。これも、かなり注意が必要みたい。セクハラの可能性もあり。この件下記参照。
東洋鏡(中文サイトだが、この件には日本語訳あり。)
| 固定リンク
« 物理法則に物理量は存在するか(4/結語)/ Are there physical quantities in physical laws? (4/Conclusion) | トップページ | 治者であるがゆえに正しいわけでなく、被治者であるがゆえに正しくないわけではない(2)Being the ruler doesn't mean he is right, so being the governed doesn't mean they aren't right. »
「文学(literature)」カテゴリの記事
- Über den Hass(2025.05.25)
- On Hatred(2025.05.25)
- Literatur als Berauschung der Vernunft oder die logische Befreiung des Pathos(2025.05.11)
- Literature as the Intoxication of Reason, or the Logical Liberation of Pathos(2025.05.11)
- 「理性の酩酊」としての文学、あるいはパトスのロゴス的解放(2025.05.11)
「中国」カテゴリの記事
- 日中の文化資源における女性比率の差異/中日文化资源中女性比例的差异/Differences in the Ratio of Women in Cultural Resources between Japan and China(2025.02.27)
- 虹 rainbow(2024.03.09)
- 河津桜(2024.03.03)
- 二千年前の奴隷解放令/ The Emancipation Proclamation of 2,000 years ago(2023.01.29)
- 日本の若者における自尊感情/ Self-esteem among Japanese Youth(3)(2022.09.29)
「言葉/言語 (words / languages)」カテゴリの記事
- Vom Sein der Naturgesetze – Eine Rücklesung der Notizen von 2007 aus dem Jahr 2025(2025.11.13)
- The Ontological Status of Natural Laws: Reading My 2007 Notes from 2025(2025.11.13)
- 法則の実在をめぐる問い――2007年の思索を2025年から読む(2025.11.13)
- Im Moment des Sprechens verfestigt sich die Welt – Das Paradox des abductiven Benennens und der Ontologisierung(2025.11.11)
- When Spoken, the World Solidifies — The Paradox of Abductive Naming and Ontologization(2025.11.11)
「山口昌男(Yamaguchim, Masao)」カテゴリの記事
- 力の指輪/ Rings of Power(2022.09.05)
- 攻撃誘発性としての vulnerability/ vulnerability as an attack provocation(2022.07.18)
- 木村敏『時間と自己』1982年中公新書「あとがき」(2022.06.09)
- コール(G.D.H.Cole)への、ある回想(2019.11.14)
- 山口昌男と二人の王(2018.01.03)


コメント
おお、かぐら川さん!
そうですか。そういう深い因縁があるとは・・・。
やはり、この世界は、どこでどうつながっているのか
わかりませんなぁ。
いやはや、襟を正さなくては。
投稿: renqing | 2007年7月 4日 (水) 01時18分
千葉の我孫子は大阪の我孫子の移住したものとは言えないようです。
我孫子は、アビコないしアヒコの当て字ですね。藤子不二雄Aは、安孫子素雄ですし、ほかにも吾孫子、阿孫子、亜孫子、安彦、阿彦、阿比古、吾彦、我子などさまざまなヴァージョンがあります。「我孫子」の地名に限っても千葉県の我孫子市のほかにも大阪市住吉区我孫子、同泉大津市我孫子、奈良県橿原市我孫子、福岡県直方市我孫子、埼玉県羽生市我孫子などなど山のようにあります。古代のアビコ(アヒコ)が何であったのか、――古いところでは直木孝次郎氏の「阿比古考」という論文がありますが――その意味・語源とも未だに明らかになっていないと言ってよいと思います。
F.Nakajima さんが紹介されているページは、HPは「あびこ百科」というHPの一部ですが、そこにも紹介されているように我孫子市(市史研究センター)では『THE アビコ――地名と姓』という冊子(というより本)を出しています。
投稿: かぐら川 | 2007年7月 4日 (水) 00時42分
どーも。そういえば、大阪にもありましたね。ご教示ありがとうございます。
投稿: renqing | 2007年7月 3日 (火) 12時48分
>我孫子
大阪に地名があるので本家本元がそこで千葉にあるにしても、多分移住者でしょう。
http://www.tecta.co.jp/gokuraku/abiosa.htm
ちなみに我孫子の語源、だそうです。
投稿: F.Nakajima | 2007年7月 2日 (月) 23時24分