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2007年8月

2007年8月27日 (月)

日本サッカー、ゴール欠乏症の根源(2)

 参考になるコメントがあったので、ご紹介。

シュート少なく1点に泣く 若き日本も「個の力」不足
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「走れた上で、ゴール前での技術もぶれない選手は日本になかなかいない」
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決勝T進出ならなかった、U-17W杯、日本代表チーム城福監督の敗戦の弁

 もう一つ、気が付いたものがあったので、参考まで。

前田俊介 -  Wikipedia
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「3人抜いて4人目に奪われても、3人抜いたことで満足している。それはプロではなくアマチュアの発想だ」
「シュンは特別な才能を持っている。だが成功するには、頭の中を変えないといけない」
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広島のペトロヴィッチ監督の前田評

 頭の中を変えなければならないのは、無論、前田俊介だけではない。特に、扇動的記事しか書けないスポーツ・マスコミなどはその最右翼だろう。彼らはアマチュア以下。

日本サッカー、ゴール欠乏症の根源(3)

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「支配の正当性」雑感

「国家が存続するためには、被治者がその時の支配者の主張する権威に服従することが必要である。では被治者は、どんな場合にどんな理由で服従するのか。この支配はどのような内的な正当化の根拠と外的な手段とに支えられているのか。」
 マックス・ヴェーバー『職業としての政治』岩波文庫版、pp.10-11

 Max Weber が類型化する「内的正当化の根拠」は、以下の有名な三か条である。

1)伝統的支配
2)カリスマ的支配
3)「合法性」による支配

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2007年8月22日 (水)

田沼政権の功罪

 日本近世史上、毀誉褒貶の激しい田沼意次。彼の功罪を備忘録風にメモしておこう。

■功1
彼の選択した、一連の重商主義的な経済政策、通貨政策は、政策パッケージとしてかなり整合性が取れていた。この合理性は、他の政権時の改革政策にみられないもの。

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2007年8月18日 (土)

映画「アズールとアスマール Azur et Asmar」(2006年)

 素晴しいアニメーション。とにかく美しい。緻密な絵柄も美しいし、動きも滑らかかつ繊細。音楽もイスラム風とヨーロッパ風が混交して心地よい。

 この日本語吹き替え版がまたよい。特に、クラプー(香川照之)の、イスラム世界を毒づきながら、それでもなおこの地を愛してるダメ西欧人が秀逸。また、その天才ぶりを包み込む天真爛漫なシャムスサバ姫(岩崎響)が愛らしい。

Synopsis_05_2

 

 絵のタッチが、私の遠い記憶の中にある、東映動画「安寿と厨子王丸」(1961年)を思い起こさせる。いま、「安寿と厨子王丸」の製作会社の解説を読むと、全編動く大和絵だという。だとすると、このイスラムのミニチュアール(細密画)を意識しているであろうフランス映画と、その絵画性において同調していることも頷ける。

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2007年8月14日 (火)

日本サッカー、ゴール欠乏症の根源

 前回、日本人選手のテクニックで、松井大輔の言葉を引いた。再びイタリア人からも指摘されているので、引用しておこう。

「いかに自分で考え、解決できるか」 
「ACミランジュニアキャンプ ジャパン2007」リポート

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――日本の子どもたちの長所と短所を挙げていただけますか

ファビオ 例えば、こんなシーンをよく見掛けます。相手を抜いて、完ぺきに抜いたのに、もう一回抜いて、さらにもう一回抜いて、その後もう一回抜こうとする。イタリアの子どもだったら、相手を抜いたらすぐにゴールを意識するのですが……。つまり、日本の子どもは技術はあるのに、試合に勝つためではなくて、テクニックを磨くために練習をしている傾向があるのでは。
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2007年8月13日 (月)

日本人選手のテクニック

 アジア・カップの敗戦の弁で、日本代表監督オシムは、一つ気になることを言っていた。

 日本人は、テクニックがあるというが、トップスピードでボールコントロールできる選手がいない。

 その一方で、こういう証言もある。フランス1部リーグ、ル・マンに在籍する松井大輔。

 日本人選手は、フランス1部リーグの選手とくらべても、テクニック的に見劣りしない。結構うまい。だけど、そのテクニックの試合での生かし方をしらない。その点、こっちの選手のほうがよくわかっている。

 この二つの証言は矛盾するのだろうか。恐らくしないのだろうと思う。試合で相手DFを恐怖に陥れる攻撃は、カウンター時の縦への攻撃だろう。そのためにも、トップスピードでフリーランニングし、そこでロングパスを受けてもスピードを落とさずに、最短距離で相手ゴールに迫る必要があるわけだ。こういうプレイが可能かどうかは、やはり意識してそういう練習をするかどうかにかかっているのだろう。

 Jリーグ初期に大活躍した、鹿島のFWアルシンド。彼は、U-20のブラジル代表だったとき、U-20南米選手権でMVPに輝いていたはず。その彼の特徴も、トップスピードに乗っているときのボールコントロールの巧みさだった。それが、あの爆発的な得点力を生み出していたのだと思われる。

 同じ鹿島で活躍した、レフティのMFレオナルドが、フランスWCで日本代表が予選リーグ敗退したときに言っていたことを引いておこう。

 相手DFにとって最も脅威なのは、縦への攻撃だ。いくら敵ボールでも、横パスだけなら、相手DFにとりあまり脅威にならない。その点、日本代表より韓国代表の攻撃のほうがずっと相手チームにとり脅威だろう。日本代表も、縦への攻撃を意識すべきだと思う。

 トップスピードでのボールコントロール。これはつまり、高く維持した守備ラインで相手ボールを奪取し、少ない相手DFへカウンター攻撃の際にものを言うテクニックといえるだろう。 

  トップスピードでフリーランニングしていれば、来るパスは当然、走っている自分の左右後方からものに決まっている。視野的にも狭いので、ボールを視認しにくい。また、せっかく相手ゴールに向かって縦に飛んでくるボールを、ボールコンロールのためにトラップでとめてしまっては意味がないので、できるだけワンタッチで、迫り来る相手DFを予想しながら、相手DFの足がギリギリ届かない範囲で、己のボールコントロール圏内の、最適な攻撃侵入経路上の自分の前に転がさなければならない。

 これは、確かに難易度の高いテクニックだ。しかし、欧州のビッグ・クラブで活躍するトップフットボーラーたちはそれを実践している連中だろう。やはり、普段どのような意識と工夫をもって、練習に臨んでいるかの差の問題なのではなかろうか。

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藤田 覚 『松平定信』中公新書(1993年)

 良書である。徳川の治世は、およそ270年。その中にあって、19世紀半ばの列島の国制変動に直接つながり、かつ徳川政権が主導的に政治刷新を行い得た、最後の転回点と言える寛政の改革。本書は、この改革の実態とその主導者、松平定信の政治家としての人物像を、新書という教養書の枠内で描き切った、一つの優れた晩期徳川政治史である。

 私の目下の関心は、19世紀の日本国制史の変動にある。つまり徳川氏を棟梁とする、権力多元的な武家連合政権から、いかにして、京の一隅に逼塞せしめられていた「禁裏」を名目的元首とする、権力一元的な大日本帝国なる近代主権国家が誕生したかにある。

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2007年8月 6日 (月)

「野菊の如き君なりき」木下恵介監督(1955年)

 木下恵介作品集がDVD化され、そこに収録されていたが、近時、独立したDVD作品として出ていたので求めた。

木下惠介生誕100年 「野菊の如き君なりき」 [DVD]

 実に、数十年ぶりの再会だ。中学生時代、校外学習の一環で、数クラス単位で見させられて以来だと思う。中1だったか。

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2007年8月 1日 (水)

学問の唯物的基礎

 以前、 Max Weber があの巨大な学問的業績を残せた要素の一つに、母方の祖父(曽祖父?)から譲り受けた遺産があることを指摘した

 日本でもその例があること知ったので、メモしておこう。

 本居宣長がその人である。

 彼は、富裕な商人の子として生まれた。しかし、遅く生まれた子なので、両親がすでに養嗣子を迎えていたため、実子である本人は他の商家へ養子に出される。しかし、全く商売をする気がないため、養家から(自ら?)離縁され、松坂の実家に戻る。そうしているうちに、江戸表の店を営んでいた義兄が亡くな る。この時点で家督を継ぐわけだが、彼は母の同意もあって店をたたみ、医者(「くすし」)の修行をすることに方向転換する。

 その店をたたんだ時の資産が400両。その利息で生活することにしていた。 ただ、現代貨幣価値への換算があまりよくわからない。例えば、こちらの レートを使う(1両=6万円)と、400両=24百万円となる。うーん、今日日、この額では利子生活者として難しい感じはするが、当時の生活費がどのくら いかも考えないと生活実感としての価値は不明だ。ま、江戸に支店を構えているくらいの商家だから、資産は資産なのだろう。それに、宣長は後に医師修行を終えて、松坂で小児科医として立っているわけだから、利子だけで暮らしていくことは考えてもいなかったのだとは思う。

〔参考〕 子安宣邦『本居宣長とは誰か』平凡社新書(2005年) 、P.33

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