古典古代の西洋と東洋(2)
前回記事で足踏堂氏からコメントを戴いた。そのおかげで1点氷解した疑問があるので、忘れないうちに記しておくことにする。氏のコメントへの応答についてはまたおいおいということでご諒解戴きたい。
さて、今、私は 1冊の優れた思想史の本を読んでいる最中。そして、つくづく思うのだ。過去、この列島に繰り広げられてきた優れた精神活動のどれ一つとっても、海峡の向こう側、大陸文明の影響下にないものはない、と。それへの受容も反発も含め、中国大陸および朝鮮半島の精神活動は、巨大なる「他者」なのだ、と。
この列島において多少なりとも知的または心の問題を志向する人々は、輝ける大陸の文明に対し、あるいは熱烈に憧れ、あるいはその影に怯えた。また、その巨大な質量に飲み込まれることを潔しとせず、自己の決定的優位を叫ぶことで大陸文明の重力圏を離脱したと思い込む人々が一方で存在した。いわば「父殺し」である。こうして、この弧状列島の知的分子は劣等感と優越感の絶えざる振り子運動を強いられてきた。少々、痛々しい気もする。
そこで思いを巡らした訳だ、ヨーロッパはいったいどうなのだろう、と。彼らにとっても、古代ギリシア、ローマの文明の精華は、巨大な遺産であるとともに重荷なのではないか。彼らが身にまとっている、資本主義文化、ないしビジネス文化にとり、古代地中海文明圏に属するそれらの古典文化は明らかに他者のはずなのに、それは意識されないのか、という疑問である。
その疑問の独白が前回記事であった。そこで足踏堂氏からの評言を得、この問題に一つの解決をつけることが可能となった。
つまり、ヨーロッパにとり、劣等感、ないし肯定の対象は、偉大な先行文明である古典古代ギリシア・ローマであり、優越感、ないし否定の対象は、彼らの隣人であり、ある意味、姉妹文明圏でもあるイスラムなのだ、と。
ヨーロッパとイスラム。この二者が姉妹文明圏と言える理由はなにか。それは、一つには両者とも聖書の民であること、二つにはともに古典古代ギリシア・ローマの遺産を引き継いでいることによる。
では何故、ヨーロッパにとり、古典古代ギリシア・ローマは讃仰の的となり、イスラムは侮蔑、憎悪の対象となるか。それは、前者が既に文明として滅んでしまった死んだ「他者」であり、安心して劣等感を感じることが可能であるから。生者にとり過去は常に美しく、それでよい訳だ。それに対し、後者は現に「生きて」いて、ヨーロッパにとって、初期近代、資本主義的文明が本格的に離陸するまで、イスラムという隣人は常に羨望と軍事的脅威の対象だったことによる。中世を通じて、イスラム文明圏はヨーロッパに対し、学術文化で先行し、経済的にも豊かであった。
例えば、初期近代においては、神聖ローマ皇帝・ハプスブルク家のカール5世にとり、かつてビザンチン帝国を滅亡させたオスマン・トルコから恒常的に軍事的脅威に晒さらされていたウィーンを守ることは、帝国の死活問題であった。当時、オスマン・トルコの国家的、文化的最盛期を作ったスレイマンⅠ世(1494 - 1566)がヨーロッパから、“Suleiman the Magnificent(壮麗なるもの) ”と呼称されていたことはその象徴である。
つまり、ヨーロッパにとってのイスラム文明と、日本にとっての中国・朝鮮の大陸文明は、類似の文明史的位相を持つ、ということになる。
ただし、近代ヨーロッパは、褒め讃える対象としての古典古代は、死文明としてのギリシア・ローマに分離できているので、イスラムを安心して劣位視できる。それに対し、近代日本は、前近代の中国文明が光輝ある讃仰すべきものであることは否定すべくもないのに、近代のみ劣位視が可能という、心安んじて劣等感にも優越感にも浸れない二律背反に追い込まれてしまう。それが日本における「古典古代」の問題をややこしくしてしまう、ということになろうか。
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コメント
abduluzzaさん、どーも。
>いや、そこは中国と朝鮮は、分離すべきではないのですか?
>対立軸としては、中国対それ以外で、朝鮮・越南・日本と中国という方がより統一的ではないのですか?
そうですね。前近代の東アジア文明史は、china and others という構図のほうが、大きな図柄としては確かによさそうです。
投稿: renqing | 2009年3月29日 (日) 22時05分
いや、そこは中国と朝鮮は、分離すべきではないのですか?
対立軸としては、中国対それ以外で、朝鮮・越南・日本と中国という方がより統一的ではないのですか?
中華文明の摂取やその消化発展で、朝鮮が決定的に上だったのは、せいぜい古墳時代から奈良時代までで、それ以降はどんぐりの背比べでしょう。朝鮮の儒学者の自己プロパガンダではもちろん別ですが、それは日本が自方の小中華思想で朝鮮を蛮夷視したのと同じですし。
投稿: abduluzza | 2009年3月29日 (日) 03時25分