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2007年10月27日 (土)

権力起源論としての「社会契約説」に対する二つの批判(1)/ Two criticisms of the "social contract theory" as a theory of the origin of power (1)

■「社会契約説」とは何か

政治社会の成立を個人間の契約に求め,それによって政治権力の正統性を説明する理論。すでに古代ギリシアのソフィストにその端緒が見られるが,17~18世紀のヨーロッパにおいて全面的に展開され,国家を個人の作為とし,政治的義務の根拠を個人の選択に求めることによって,権力による事実的支配であった主権国家を,被治者の自発的結社に組みかえる近代国家の構成原理として,巨大な歴史的役割を果たした。
 福田歓一筆「社会契約説」、平凡社世界大百科事典、1998年

■ Hume の convention 論による批判
A Treatise of Human Nature, by David Hume

Book III. Of Morals
  Part II. Of Justice and Injustice
    Sect.II. Of the Origin of Justice and Property

  This convention is not of the nature of a promise: For even promises themselves, as we shall see afterwards, arise from human conventions. It is only a general sense of common interest; which sense all the members of the society express to one another, and which induces them to regulate their conduct by certain rules. I observe, that it will be for my interest to leave another in the possession of his goods, provided he will act in the same manner with regard to me. He is sensible of a like interest in the regulation of his conduct. When this common sense of interest is mutually expressed, and is known to both, it produces a suitable resolution and behaviour. And this may properly enough be called a convention or agreement betwixt us, though without the interposition of a promise; since the actions of each of us have a reference to those of the other, and are performed upon the supposition, that something is to be performed on the other part. Two men, who pull the oars of a boat, do it by an agreement or convention, though they have never given promises to each other. Nor is the rule concerning the stability of possession the less derived from human conventions, that it arises gradually, and acquires force by a slow progression, and by our repeated experience of the inconveniences of
transgressing it. On the contrary, this experience assures us still more, that the sense of interest has become common to all our fellows, and gives us a confidence of the future regularity of their conduct: And it is only on the expectation of this, that our moderation and abstinence are founded. In like manner are languages gradually established by human conventions without any promise. In like manner do gold and silver become the common measures of exchange, and are esteemed sufficient payment for what is of a hundred times their value.

このconventionは、約束promiseという性質ではない。と言うのも、後に見るように、約束そのものでさえ、人間のconventionから生じるからである。conventionとはあくまで、共通利益についての一般的感覚にすぎない。社会の全てのメンバーが、この
感覚をお互いに示し合うことにより、人々は一定の規則に基づいて自らの行動を制約するように導かれるのである。私が見るところ、他人が私に対して、私が彼に対するのと同じような行いをすると仮定するなら、彼の財物を彼に所持させたままにしておくことは、私の利益になるだろう。彼の方でも、自らの行動を制限することについて、同じような利益を感じ取る。こうした共通の利益感覚が相互に示され、双方に知られると、適切な決断と振る舞いが生み出される。これは、たとえ約束が介在していなくとも、我々の間のconventionないし合意agreementと呼ぶに全く十分であろう。なぜなら、我々一人一人の行動は、他人の行動を参照してなされるものであり、他人の側で何事かが行われるはずであるという想定の下に行われるからである。ボートのオールを漕ぐ二人の男は、お互いに約束を取り交わしたことが全く無くても、合意ないしconventionによってそうするのである。同様に、占有の安定についての規則も人間のconventionに由来する。それは徐々に立ち上がってきて、ゆっくりと発展し、我々がそれから逸脱することの不都合を繰り返し経験することにより、効力を獲得する。他方、この経験は、利益についての感覚が全ての同胞に共通となっていることを我々により一層確信させ、我々の行動の将来にわたる規則性についての信頼を与える。そして、このような期待の上にのみ、我々の節度と節制は成り立つのである。それは言語が、何の約束も無しに、人間のconventionによって徐々に確立されるのと同じように。それは金や銀が、交換の共通の尺度となり、それらの価値の百倍にあたるものに対する十分な代償として評価されるのと同じように。
 上記翻訳は、「esperantoとconvention」 by 「on the ground」 blog様、より

 

■ Treitschke(Heinrich von)の、倒逆論法(Hysteronproteron)批判

つまり、各人は相手側の契約履行の保障なくして契約関係に入ることができないが、その保障は国家の強制力によって初めて与えられる、だから、そもそも各人が国家を創設する社会契約を締結することができるためには、あらかじめ国家が存在していなくてはならない」 下記PDF、12/43
雀部幸隆、ウェーバーの国家=「アンシュタルト」論と「民主主義」イデオロギー批判、1997、第三節

 なお、トライチケ(Treitschke)の英訳なら、下記からPDFダウンロード可能。
Politics, (English Edition 1916) Volume One

続く(予定)。

〔参照〕Adam Smith による社会契約論批判:本に溺れたい

〔参照〕漱石、第一次世界大戦、トライチケ / Soseki, World War I, and Treitschke: 本に溺れたい

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