Anstalt と Verein(リンク追記20100820)
Max Weber が団体を議論するときの重要な2類型、Anstalt と Verein。通常の英語との対応を見るとこうなる。
Anstalt ⇔ institution
Verein ⇔ club, association
Weber は、近代国家は、Anstalt であるという。だから、社会契約説による国家設立という story に、Weberは与しない。
一方、日本中世の結社原理「一揆」。さて、この「一揆」は果たして、Anstalt か、Verein か。おそらく、Verein なのだろう。そして、幾つかの観察から、戦国大名も「一揆」の構造を持っているらしい。すると、その延長線上に構築された徳川国家は、association ?
もう少し、息の長い考察が必要のようだ。捲土重来。
■参照
『西欧中世の社会と教会-教会史から中世を読む-』リチャ-ド・ウィリアム・サザン著(八坂書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
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コメント
かぐら川さん、どーも。
「なかなかコメントが書きこめる位置にいない」
とは、何をおっしゃるウサギさん、です。このblogなど、文字通り私の思いつきの備忘録にすぎません。感じたことがありましたら、気軽にコメントして戴ければ感謝です。
さて、
羽入辰郎「マックス・ヴェーバーの哀しみ」
を読了しましたので、今日明日中に記事を書くつもりです。結構、これが頷けるんですよねぇ。ま、お楽しみに。
投稿: renqing | 2007年12月23日 (日) 15時44分
ごぶさたしています。といっても、なかなかコメントが書きこめる位置にいないことを悲しく思いながら、折々読ませていただいています・・・。(ですから、以下のコメントも単なる感想です。)
ウェーバーの枠組みのなかでも「Anstalt と Verein」は、とても刺激的なものですね。無味乾燥なウェーバーの概念議論のなかでも、とりわけ勝手に読み手側の感情移入をして、――「Anstalt」に対峙させられている「Verein」に、社会形成の理念を読みとろうとして――読んだことを思い出しました。
感想はともかく、ここでも「近代法」――市民社会と言い換えてもいいのですが――と、ウェーバー(理論)の「緊張」を、どう生産的に読みほごすのかが、“わたしにとっては”、変わらざる課題になっています。
投稿: かぐら川 | 2007年12月19日 (水) 22時30分