羽入辰郎『マックス・ヴェーバーの哀しみ』PHP新書(2007年)
私は、これまで邦訳ではチョコチョコ Max Weber を読んできた。
学部1年の「社会科学入門」なる講義で、大塚久雄『社会科学における人間』(1977)、の存在を教えられ読んだ。芋ずる式に大塚久雄『社会科学の方法』(1966)にたどり着き、そこから導かれて、どうしても読みたくなり、岩波文庫旧版の梶山・大塚訳『倫理』に向かった。
恐らく、学部時代に旧訳で2回読み、学部卒業後、往復の通勤時間を利用して、新訳で2回読んだと思う。あとは時に応じて拾い読み。
なぜそれほど惹きつけられたのかよくわからない。ただ、正直なところ、読了後、いつも不定形な違和感が残った。前半の第一章で、一生懸命、ルッターの職業観念の煩瑣な歴史的推移の考証を追いかけたのに、後半の第二章では、ルッター派以外の禁欲的プロテスタンティズムが、近代資本主義の職業観念に特徴的に見られる、合理的(方法的)生活態度の形成に、構成的な影響を与えている、と説く。「へ?、なら前半の議論はなんのためだったの?」と毎回思わずにいられなかった。それでも、その本文や、どこまで続くのかという膨大な注のどこかしらに、毎度新鮮な発見があった。
その間、他の文献にも少しずつ目を通した。そのなかでも感銘を受けたのは、安藤英治氏の諸著作であり、特に下記の二書である。
安藤英治『マックス・ウェーバー』講談社(1979年)、「人類の知的遺産」に62として所収
安藤英治『ウェーバー紀行』岩波書店(1972年)
安藤氏の労作を通じて、この、一種「狂」(白川静氏が好むpersonality)を孕む、常人離れした業績を生み出し続けた、否、生み出し続けざるを得なかった人物の個人史の重要性に注意が向かうようになった。
そういう私にとって、羽入氏の新著は腑に落ちるところが多く、実は違和感は全くない。病跡学的(pathographic)な興味深い一つの解釈として受容可能なのだ。何故なら、そこにみられるのは、上記安藤氏の著作に漏れ聞こえる安藤氏が呑み込んだ言葉とも呼応しているように感じるからだ。両氏の違いは、羽入氏が、己の霊感に従って、Weber の秘めた部分にズカズカと踏み込み、安藤氏が、研究者としての自己限定から、検証可能な部分で踏みとどまり、それらに感応しながらも、より大きな文脈で Weber の真価を見定めようとした、ところにある。
したがって、羽入氏の指摘は、私にとり Max Weber を貶めるものとはならない。私の中でこれまで釈然としなかった諸部分に一つの consistent な story を与えてくれるもので、かえってスッキリとした感じだ。これで引っかかり無く心安らかに、Weber が積み上げたものを取捨選択できる境地に立った気がしている。それは、 Weber が思想家なぞという高尚(怪しげ?)な代物でなく、20世紀最高の人文学(the humanities)の学者であったが故である。
それに対して言えば、思想家、活動家として後世に甚大な痕跡を残した Karl Marx の不徳ぶりは、少々痛い。ロンドン亡命初期、手元不如意のマルクス家のため、懐妊中の妻イエニーが大陸の親戚へ金策に回っている間、マルクスは、女中に手を出し、男子庶子フレデリックをもうけてしまう。ロンドンのユダヤ人社会ではフレデリックがもっぱら Marx の庶子であることが噂されていたが、Marx 本人は終生、盟友 Engels の庶子としていた。Engels も、Marx の個人的威信、共産主義運動そのものに対するイメージ低下を恐れ、Marx が1883年に黄泉の国へ旅立つまで、その不名誉を引き受けていた。しかし、Marx 死後、Marx の娘、エレノアが Engels 叔父さんに「本当の事をおしえて」と迫り、噂されていたようにフレデリックが腹違いの兄であることをエレノアは知ることとなる。この消息は、都築忠七『エリノア・マルクス―1855‐1898』みすず書房(1984年)、をご参照されたい。
三読に値するかはわからない。ただ、一読の必要はあろう。
〔参照〕
「羽入-折原論争」への、ある疑問
羽入辰郎『マックス・ヴェーバーの哀しみ』PHP新書(2007年)(余計なお世話編)
羽入辰郎『マックス・ヴェーバーの哀しみ』PHP新書(2007年)
目次
序
第一章「職業としての学問」への恐怖
1生育史
2父母の価値観
3母による息子の取り込み
4精神疾患
5病状
6学問への痙攣(けいれん)的しがみつき
7母
第二章『倫理』論文
1プロテスタンティズムに対する隠された貶(おとし)め
2職業人
第三章エミー
1仕事が出来なくなるという予言
2何の約束も出来ない男
3母の呪縛
4母からの禁止
5索漠(さくばく)とした勉学
6母への取り込まれと父との対立
7嫁という立場
終章哀しい男
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