議論は「競技」である
私の病臥中、二つのコメントを戴いていた。
足踏堂さんのコメント
「私は、この列島の人たちが議論において、感情を切り離せないでいるのを度々経験してきました。感情に引っ張られて、なにやらわからない「口喧嘩」のようなものになっていく。議論を詰めるということの大切さこそ、近代議会制の要諦だと思います。それなのに、この国のかたちをつくった薩摩なるところでは、「議を言うな」と言った物言いがなされていたようです。ちょっとそういう雰囲気残っていませんかね?」
まつもとさんのコメント
「さらに悪いことには、それが「議論」というものの範型として相続されているように思います。ネット右翼の(たぶん)若者の議論は、彼らの親たちの世代の戯画でもあるのではないでしょうか。」
幾つか興味深い点を含んでいるので、記事として敷衍してみよう。topic は二つある。
1)議論において感情をうまく制御できない悪弊
これには、「議論する」という文化が成熟していない点が絡んでいると思う。
欧米など一歩も足を踏み入れたことがないのだから、「欧米では」などというuncoな物言いは気恥ずかしいのだが、彼らの文化には、確かに「議論する」というcultureがあるような気がする。彼らの認識では、「議論する」とは「競技」という文化カテゴリーに入る。
典型的なのは法廷弁論だろう。"Ally McBeal"などの米国映画・ドラマで描かれる、法廷における最終弁論。原告、被告双方の弁護士が陪審員を前にして、身振り手振りを交え、あるいは情熱的、あるいは陪審員の人間性に訴えかけ同情を乞うように、滔々と自らの正しさを弁舌する。まるで、陪審員という観客審査員の前で、役者たちが賞をかけて競う演劇コンクールである。それもそのはず、古代ギリシアでは、法廷⇔市場⇔劇場が一体のものだった、と指摘したのは、関曠野『プラトンと資本主義』(1982年)・第3章だった。
このヘレニズムの遺産にローマ法の伝統が接合された文化は、ローマ・カトリック教会の中で孵卵し、そこにアルプス以北のゲルマン的要素を加えて、近世・近代西洋に連続する大きな文化的背骨となる。
したがって、
「「合理的なことを企てる rational enterprise」際の当のモデルは、十六世紀の学識者にとっては、科学ではなく法律であった。」
というのも、その一側面なのだ。
そこでは、もし感情的になり、logicやrhetoricが乱れだすとcontestantとして劣勢にあると判定する常識があり、逆に論敵を感情的にさせるような事も戦術として辞さない。だから、いかに論敵の誘導に引っかからず感情をcontrolするかも、そのcontestに優位を占めるための不可欠の要素となる。当然、学校文化においても、一般教養科目などに、debateやrhetoricがあれば、そこには、いかに観客or聴衆を感情的に味方に引き入れるか、相手方を感情的にさせ、観客or聴衆に自己の優位性、相手方の劣勢を印象付けるか、というskillも含まれる。
議論が、論争相手とのだけのものでなく、実はそのまわりを囲んでいる聴衆こそが最終的に論争の優劣を判定するのであり、その意味で「公共的 public」なものである、という文化は、べつに西洋を持ち出さなくても、古い文明国である隣人中国にも共通するものだ。この視角がないと、議論はうまく進まないし、その帰結が第三者にとり有益なものとならない。この点、この列島の議論の文化は、未熟で後進国水準といってよいだろう。
2)明治日本の「薩摩化」?
明治国家すなわち近代日本を文化的に規定したものの中に、「薩摩的」なものがどの程度比重を占めていたのかは、あまり考えたことがない。ただ、すくなくとも警察官にいまだ鹿児島出身者が目立つことを考えると、検討すべき点はあるように思う。南九州は19世紀中葉の時点で、最も日本中世的なものが制度的にも気風的にも残っていたと思われるからである。日本の学校文化にありがちな「質実剛健」なんぞというuncoなsloganもこの「芋 culture」と関連がありそうだ。
| 固定リンク
「幕末・明治維新」カテゴリの記事
- 徳川日本の《自由》/ The “freedom” of Tokugawa Japan(2025.04.09)
- リア・グリーンフェルド『ナショナリズム入門』2023年11月慶應義塾大学出版会/訳:小坂恵理, 解説:張 彧暋〔書評③〕(2024.09.23)
- 書評:関 良基『江戸の憲法構想 日本近代史の〝イフ〟』作品社 2024年3月(2024.05.13)
- 徳川思想史と「心」を巡る幾つかの備忘録(3)/Some Remarks on the History of Tokugawa Thought and the "mind"(kokoro「こころ」)(2023.06.11)
- 日本の教育システムの硬直性は「儒教」文化に起因するか?(2021.05.18)
「Toulmin, Stephen」カテゴリの記事
- ‘Empirio-criticism’ by Noe Keiichi(野家啓一)1998(2025.09.08)
- リチャード・ローティの二つの書評/ Two book reviews by Richard Rorty(2025.02.23)
- Two Europe(2022.12.22)
- 塩沢由典『増補 複雑系経済学入門』2020年5月ちくま学芸文庫(3)(2020.06.20)
- 「modernity」の二つの起源(2019.06.02)
「Seki, Hirono(関 曠野)」カテゴリの記事
- いま「役に立つ」勉強は、いつか本当に役に立つのか?/ Will studying what's “useful” now ever truly be useful someday?(2025.09.09)
- Intellectual History of the "Sphere of Intimacy" : before and after Arendt(2025.08.26)
- 「親密圏」アーレント以後とそれ以前(2025.08.26)
- Seki Hirono, „Der Mythos der Präsenz und die Macht des Westens“, November 1984.(2025.06.29)
- Seki Hirono, “The Myth of Presence and Western Power” (November 1984)(2025.06.29)


コメント
加齢御飯さん、どーも。
薩摩に近代日本の歪みを押し付けるかのような書き方をしましたが、明治政府を人的資源から総合評価すれば、明治年間は、長州の一人勝ちです。リーダー山県有朋の下、陸軍および統帥部、治安・地方自治部門の内務省など、長州の牙城です。その長州のヘゲモニーに対する反動から、大正から昭和初年にかけて、皇道派v.s.統制派なる党派どうしの覇権争奪の暗闘が陸軍内を右へ左へ揺り動かすのです。
その意味では、薩摩culture と長州cultureの対抗と融和という座標軸で、明治cultureをみる必要があるでしょう。高級官僚のcultureは長州、中下級官僚culture は薩摩が規定したとみなしたほうがより適切かもしれません。
投稿: renqing | 2007年12月25日 (火) 02時33分
在薩摩12年の加齢御飯です。私が前の大学に赴任した時の学部長は歴史学者の老教授でした。薩摩の人です。よい意味の薩摩人のイメージにぴったりあう人で、根気よく人の話に耳を傾ける人でした。その先生の言によると、「詮議をつくして、後は議をいうな」というのが本来の言い方であったようです。議論を尽くしてきまったことには文句をつけるな。これなら文句のつけようもありません。どうも「薩摩的なるもの」も近代に入ってから歪んでいった可能性があります。
投稿: 加齢御飯 | 2007年12月24日 (月) 16時09分