マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫(1989年)(その2、Jan.16追記)
■2)t-maru氏の2008.01.09付けコメントの前半部分について
「ヴェーバーがルターを取り上げているのは、あくまで「トポス」としてであり、問題設定の開設、導入部に過ぎません。羽入氏を含め多くの人がそこが本論であるように誤解しています。」
この点については、羽入氏に対する折原氏の反論などもあり、以前よりは理解は深まっていると思う。そもそも、第二章を読めばこれが中心だということは、学部学生時代の私でも一応了解できた。それゆえにかえって第一章の位置づけが私の中では長く不明瞭だったわけだ。
* 付言すれば、問題提起だけなら、t-maru氏が指摘(P.22の注44)されたように、グリムのドイツ語辞典の'Beruf'の項を引いた上で、簡略に導入とすれば済んだこと。原論文はわからないが、刊行書としての「倫理論文」にグリムのドイツ語辞典の引証がないのは、学問的手続きとして初歩的不備であり、ドイツ人でもある天才学者 Weber のなした事として奇怪でさえある。この点(その1)において私の憶測を述べておいたので、参照を乞う。
では、なぜ Weber は、これほど長く、わかりにくい、かえって混乱を与えかねない前振りをしたのだろうか。これについても、安藤英治の指摘する大改訂問題が絡むので、(その1)を参照されたし。
本訳書に Weber による下記の注がある。
「こうしてルッターによって作り出された 》Beruf《「天職」という語は、最初はただルッター派の間にだけ限られていた。カルヴァン派は旧約外典を聖典外のものと考えていた。彼らがルッターのBeruf (天職)概念をうけいれ、これを強調するようになったのは、事態の発展に伴っていわゆる「救いの確証」》Bewaehrung《 の問題が重要視されるに至った結果だった。」本訳書、p.107
この部分が、第一章の核心だと思う。ただ、珍しいことに Weber はこの現象に名まえをつけていない。この第一章の最後(本訳書p.136)には、「選択的親和関係 Wahlverwandtschaften 」という、彼の歴史社会学の中心概念が出てきているにも関わらずである。ということは、Weber は具体的な歴史社会学の一研究関心として当然了解していたが、その現象を方法論概念として対象的に意識していなかった、と考えるべきだろう。
この現象は、私の修論において、「歴史的制約 historical constrains」と名づけたものと同じである。というより、今から思えば、この Weber の「倫理論文」が私の原初的想源になっていたと思われる。ただし、この名に関しては修論査読の教官から「なんでこんな分かりにくい名をつけるの?」と言われていた。まあ、名の由来そのものが、認知心理学のフレーム問題から想を取ってきたものなので、少々無理があったかもしれない。今、新たに名付けなおせば、「歴史資源 historical resources 」とすべきだろう。
つまり、Luther により結果的に創出された「召命としての職業 beruf」 は、「救いの確証」」の問題が Calvin 派に重要視されるに至ったとき、元来の Luther の意図を超えて、それを自分たちの宗派語彙に持たない Calvin 派により、「召命としての職業 beruf」という言葉=資源 resource として、利用されるに至ったと考えられる訳である。
以上総合すると、Weber 倫理論文の第一章における長たらしい問題提起は、二つの idea に集約できる。
1.禁欲的プロテスタンティズムにおける職業倫理を集約的に象徴する beruf という観念は、Luther の宗教的熱意から生み出された聖書翻訳中の語彙を、禁欲的プロテスタンティズム諸派が歴史資源 historical resources として利用した事によって生まれた、ということ。
2.特定の形態の宗教的信仰と天職倫理との間の選択的親和関係 Wahlverwandtschaften* 如何。および、宗教上の運動と物質文化の選択的親和関係如何。
ということ、この二点である。
*この「選択的親和関係 Wahlverwandtschaften」という概念も私の修論の key concept となっている。詳しくは、修論 p.44、注89、を参照されたい。(私の別記事も参照。1/16追記)
■3)原論文から現論文への改訂問題について
この問題の全貌は、安藤編梶山訳「倫理論文」が今、手許にないので触れる事ができないが、1点だけ、下記の安藤の指摘はちょっと見過すことができない。
「 さらに、1895年には、このイェリネックは『人権宣言論』を発表しているが、ウェーバーは『倫理』の1904年の原論文に注記してこういっている。「私が、新たにプロテスタンティズムに興味を抱くようになったのは、もっぱらイェリネックのこの人権宣言の研究によるものである。*」この注は現行の論文、『宗教社会学論文集』版の『倫理』の論文では削除されている。」
安藤英治『マックス・ウェーバー』講談社学術文庫(2003年) 、p.117
*安藤英治編、梶山力訳、マックス・ウェーバー著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の《精神》』未来社(2003年第3刷)、p.246、では、「私個人もまた、ピュウリタニズムと新しく取り組むようになったのはまさにこの書物のお陰なのである。」と、訳し直されている。
この原論文の注記は、著者 Weber の動機を語るものとしてかなり重要である。私のように法学史、法史学や国制史に関心のあるものには特に興味を引く記述といえる。この大事な記述が刊行本の際に落とされているということは私には理解できない。無論、原論文そのものに書かれていないならば何の問題もない。Weber の心の中だけにしまっておけばよいことである。しかし、一度公表されているにも関わらず、刊行するとき重要な記述を削除してしまうことは、学問的行為としてはかなり問題あり、と考えざるを得ない。
*Georg Jellinek 『人権宣言論』については、
1)イェリネック他『人権宣言論争』みすず書房(増補新版1995年)、初宿正典編訳
2)Duncan Kelly, "Revisiting the Rights of Man: Georg Jellinek on Rights and the State". Law and History Review vol. 22, no. 3 (Fall 2004).
を参照。(1/15追記)
すでに、私の当夜の resources が枯渇しつつある。そのうえ、今、別件で忙しいので、この問題からしばらく遠ざかることにする。羊頭狗肉であるが、他日を期すこととする。
〔注〕この「倫理論文」第2章の私の理解に関しては、以下の記事を参照して戴きたい。(1/14追記)
Hume - Hayek conservatism の理論的欠陥 (3・結語)
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