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2008年1月13日 (日)

マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫(1989年)(その1)

〔目次〕
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訳者序文
文庫版への序
著者序言
第1章 問題
1 信仰と社会層分化
2 資本主義の「精神」
3 ルッターの天職観念―研究の課題
第2章 禁欲的プロテスタンティズムの天職倫理
1 世俗内的禁欲の宗教的諸基盤
2 禁欲と資本主義精神
訳者解説
主要索引
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 Weberが遺した巨大な仕事の中で、この論文のみに執着することはあまり生産的ではない。なぜなら、安藤英治によって明らかにされたように、"Archiv"に発表した原論文に対して、彼の晩年に刊行された現論文は徹底した改訂が施されているからである。

「これは現論文の冒頭にウェーバーが注記している。「・・・〔ラッハファールとの〕論争の中からとってこの版に補充したものは少しもなく、ただ右にあげた私の再批判の中から起りうるあらゆる誤解を一掃しようとした。」虚心に読めば、この言葉をみただけでも、改訂がどれほど徹底したものであったかが推測されるはずである。だが誤解一掃というウェーバーの目論見は裏目に出たようである。なぜならば、そうでなくとも捉え難かった本書のモティーフが、批判に対する回答あるいは反論が加わったことによっていっそう複雑になり、彼本来の意図が何であるかをいよいよ捉え難くしたからである。」
 安藤英治『マックス・ウェーバー』講談社学術文庫(2003年)、p.261
(なお、大塚訳岩波文庫版での上のウェーバー注記は「著者序言」pp.11-12を参照)

「むしろ、ウェーバーは原論文は1904年の形でそのまま残し、第二論文として別個の論文を書いたほうがよかったと思う。」
 同上、p.266

 従って、この「倫理論文」に関して、私のこのblog上では、さしあたりの自分の考えを示し、必要のない限り、当面触れない方針でいこうと思う。自分のやりたい事も他にいろいろあるので。

■1)Luther の Beruf 関連の若干の追記

 この問題については、t-maru氏へのres関連として記事を書いた。

 これについて少しだけ追記する。

 本訳書、第1章3ルッターの天職観念―研究の課題、注(1)、p.111、において Weber はこう書いている。

「以下の記述については、K.Eger, Die Anschauung Luthers vom Beruf, Giessen, 1900 の教示に富む叙述を参照。ほとんどすべての神学上の著作家の場合と同じく、この著者も 》lex naturae《(自然法)の観念の分析がなお十分に明晰であるとは言いがたいが、恐らくこれがこの書物の唯一の欠陥だろう(・・)。」

 皮肉屋の Weber がよく使う反語的言い回しのため分かりにくいが、これは Weber が他者に下す肯定的評価としては最大級のものだと思う。そこで、ネット上にあるドイツ語「倫理論文」の e-text で検索をかけてみると、すべて注のかたちだが、この Eger の本に、合計4回も触れ、参照を求めている。私の憶測を言えば、Weber は、ここの本文記述に関して、基本的にこの Eger の著作にかなり依拠しているのではないか、というものだ。Eger は神学者らしいので、恐らく Eger の本では、Luther 本人の著述に当たるのみで、t-maru氏の発見によるところの、グリムのドイツ辞書にあたるという手順を踏んでいない、と私は見る。それに引きずられて、社会科学者である Weber も語源に詳しい大辞書にまず当たるという当然の過程を skip してしまった可能性が高い、と思うわけだ。

 ドイツ語など読めないのだから、Eger の本など探しても私にとり無意味なのだが、ま、本に少しでも関連するので「本に溺れたい」私としては、ネット上であれこれ調べてみた。key word として、"Eger" "Beruf"などを使いながら調べたが、うまく hit しない。唯一、
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EGER,K. Die Anschauungen Luthers vom Beruf. Ein Beitrag zur Ethik Luthers.
Giessen. 1900. 162S.
EUR 16.00 = appr. US$ 19.84

Offered by: Antiquariaat De Tille - Book number: [4087]
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という古書店のカタログに掲載されているものがあったきりで、これもキャッシュにあったデータで、すでにネット上では存在しなかった。

 ただ、このデータで変なのは、タイトルが、 Anschauungen となっていて、 Anschauung となっていない点だ。大塚訳岩波文庫版でも後者だし、先のネットのドイツ語e-text中でも後者である。検索中引っかかってきた、仏語訳「倫理論文」のe-text でも、後者であった。手許に刊行書としての「倫理論文」がないので確認できないが、おそらくそれ、つまり現論文も後者だと推測する。とすると、原論文もそうだろう。

 そこで、 Eger の書籍を図書館目録で調べ直した。とりあえず、国会図書館や旧制から存在する大学図書館を調べたら、ようやく、一橋大学図書館(三浦文庫)にあった。その書誌では、 Anschauungen と複数になっている。
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Die Anschauungen Luthers vom Beruf : ein Beitrag zur Ethik Luthers / Karl Eger
出版者    Giessen : J. Ricker
出版年    1900
形 態    162 p. ; 23 cm
著者標目    Eger, Lic. Karl
本文言語    ドイツ語
〔一橋大学図書館蔵〕
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ビジネスがかかっている古書籍商や、書誌情報の取り扱いに最も慎重な大学図書館が Anschauungen ということは、十中八九、複数形の Anschauungen なのだろう。つまり、 Weber の引用書名そのものが間違っているのである。

 ま、どうでもいいと言えばどうでもいいのだが、 Weber 自身はこう語る人物なのである。

「・・・、ある写本のある箇所について「これが何千年も前から解かれないできた永遠の問題である」として、なにごとも忘れてその解釈を得ることに熱中するといった心構え―これのない人は学問には向いていない。」岩波文庫版『職業としての学問』p.22-23

 この言のある人においてこうなのか!、という感じがするのだ。私はこの『学問』を噴飯ものとは思っていたが、ますますその感を深くする次第。

 それに加えて、こう考えざるを得なかった。後世の Weber 追随者たちが、Weber 自身の著作で探求が止まってしまい、Weber の研究processそのものを検証する段階まで降りていなかったのではないか。そして、それが結果的にではあれ、 Weber が権威主義的偏りをもって受容されてきた可能性を示唆してしまうのは否めないのではないか。残念ながら、というべきだろうか。

 とすると、本訳書「著者序言」で Weber によって言下に切り捨てられている、Felix Rachfahl* などの当時のドイツ学界での Weber 「倫理論文」批判論考や、それへの Weber の応答論文なども、一度は慎重に検証し直してみるべきだろう。羽入氏の『犯罪』本のamazon書評に、「既に折原氏によって批判し尽くされているはず、云々」といった評言が見られる。これを拝借すれば、「既に Max Weber によって批判し尽くされているはずの Rachfahl 、云々」とでもなろうか。こういう他者言説の権威に乗って、「批判済み」と予断され続けている部分が、当時の Weber 批判者群像の過小評価を、現代までもたらしている可能性が多少なりともあると思う。そうだとすれば、それこそ野蛮な非学問的心性と言うしかない。現代版「呪術の園 Zaubergarten」と揶揄されるような点は一切なかったと胸を張れるのであればよいのだが。

*Felix Rachfahl に関しては、牧野雅彦氏の論考があったが、「倫理論文」がらみではなかった。

その2〕へ続く。

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コメント

と言うことは、私と t-maru 氏とは、異次元の人間ということになりますね。

私は、Max Weber を畏敬してやまない人間です。ただ、「愛し方」にもいろいろあるのでしょう。私は、Max Weber をその美醜含めて「愛して」いるだけに過ぎません。

投稿: renqing | 2008年1月15日 (火) 01時24分

やれやれ、あなたも羽入氏と同次元ですね、残念です。

投稿: t-maru | 2008年1月14日 (月) 00時32分

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