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2008年1月

2008年1月31日 (木)

歴史人口学と日本史学の微妙な関係(ver1.2)

 いま、この列島における、近世国制史と近世人口史の融合を目論んでいる。

 そこで1点気になることがある。それは、吉川弘文館から出版されるような、従来型の文献に基づくいわゆる実証史学系統の日本史学と、宗門改帳などから数量的データを構成・抽出し、それを統計学の手法や人口学の分野で鍛えられてきた概念を駆使して、斬新な近世像を次々と提出し、一定の地歩を知的世界に築きつつある歴史人口学の関係である。

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2008年1月25日 (金)

未来を予言する最良の方法は、未来を作ってしまうことだ(2)

 一年ほど前、以下の記事を書いた。

未来を予言する最良の方法は、未来を作ってしまうことだ

 この点について参考になる章句があったので、備忘として記しておく。

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2008年1月20日 (日)

「悲しみ」の悲しみ

 藤原正彦は、言論家としては unco 以外の何者でもない。ただ、随筆様のものであれば、彼が優れた書き手であることは、この私でも認める。

 さて、彼の秀逸な随筆なことである。題名を「得失の不公平」という。収められてるのは、下記の本らしい。らしいというのは、あるきっかけでたまたまこの文章を眼にしただけだからだ。ご関心をもたれた方は、図書館なりからでも借りて読まれたし。

「何かを得た時の喜びと、何かを失った時の悲しみは、まったく質が異なると思う。前者が比較的に短期間で断続的なものであるのに、後者は長期間で連続的なもののように見える。得たものはいつも身の回りにあるせいか、時日をおかず現実の一部となるのに、失ったものは二度と取り返しがつかないから、その空洞がいつまでも胸に迫るのだろう。喜びや幸せに比べ、悲しみや不幸の方が深く永続的、というのは人間の負う最大の不公平かと思う。」

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2008年1月18日 (金)

病気と食べ物(後編)

 前編の議論を受けて、一般的にこのように言える。

 朝、昼食は、これから活動するわけだから、ブドウ糖を補充すべきである。つまり、炭水化物を中心に摂る。食べても太らない。これから燃やすのだから。

 夕食は、タンパク質をとるべきである。つまり、肉、大豆類を摂るべきである。睡眠中に、摂取したタンパク質からアミノ酸を分解して摂り、体中の痛んだ細胞、古くなった細胞の置き換え、部品の交換、メンテナンスをする。

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2008年1月17日 (木)

病気と食べ物(追記1/18)

 インフルエンザなどの病気になった時、なにを食べればよいのか。

 これを考えるには、まず、生物としての人間について、簡単に知識をおさらいしておくことが必要だ。

 まず、機械 machine で考えてみる。たとえば、自動車。

 自動車がなにでできているかといえば、中心は金属だろう(ま、最近はプラスチックを使うことで軽量化を図ることが多いが)。つまり、自動車の身体 body は金属でできている。では、自動車はそれだけで動くだろうか。それは当然無理。自動車が動くには、ガソリンが必要だ。

 

 

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サルミ・テルマ・カクセイ(番外編)

 この朝鮮半島で行われた奴隷狩り戦争の際、大嶋忠泰の主(あるじ)、島津義弘が略取してきた朝鮮人陶工たちの宛がわれた地が、苗代川である。そこに明治大帝の御世、生を享けた少年、朴茂德。彼こそが、日米開戦時および敗戦時の外務大臣、東郷茂徳その人である。

 数奇な歴史のめぐり合わせと言うべきだろうか。

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2008年1月16日 (水)

サルミ・テルマ・カクセイ

「こんど、家来の角右衛門が日本へ帰るので、テルマとカクセイをお土産に届けさせた。無事に着いただろうか。そのうちコカクセイ一人は娘にやってほしい。私も戦場で十一歳の子どもを手に入れ(求め)て召し使っているが、ひどい病気もちで困っている。いずれ娘にもテルマを一人、手に入れ(求め)て贈ろう。また拾左衛門尉殿にも下女にでもできそうな子を一人、手に入れ(取り)て、次のお土産にしよう。ただ、いまは加徳カドクという島の暮らしで、食べるのがやっとだから、そのうち手の者をやって、手に入れたら(取り候わば)送りたい・・・。」
 藤木久志『新版 雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り 』朝日選書(2005年)、pp.62-63

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2008年1月14日 (月)

抗生物質はインフルエンザウィルスに効く訳ではない

 NHKで、新型インフルエンザについて二夜連続で放送していた。一方では、中国でヒト―ヒト感染の鳥インフルエンザが確認されている。私も過去に、幾つか、インフルエンザ関連で記事を書いた。

 自分も去年末、インフルエンザA型に罹患して、タミフルと抗生物質を処方されたことは既に記事にした。で、周囲の反応の中で、抗生物質の効果について若干誤解も見られたので、軽く常識程度に復習をしておこう。

 抗生物質とは、

「微生物によってつくられ,微生物その他の細胞の発育または機能を阻止する物質をいう。」(平凡社世界大百科事典1998年、「抗生物質」鈴木日出夫+高橋信孝筆)

 そして、抗生物質は、細菌に選択的に効く。例えば、

■ ペニシリン (Penicillin)の効き方
ペニシリンの化学構造が菌の細胞壁を脆弱化させる。したがって、浸透圧に耐えられなくなった菌は溶菌を起こし死滅する。ヒトの細胞には細胞壁構造が存在しないため、ペニシリンは全く作用しない。

■ ストレプトマイシン (Streptomycin)の効き方
細菌のタンパク質の合成を阻害することによって抗生作用を示す。人間のリボソームは細菌のそれとは異なる構造をしているため、細菌だけに選択毒性を示す。特に結核(tuberculosis)の治療に良く用いられる。

以上、抗生物質の話による。

 簡単に言えば、抗生物質は細菌の細胞壁等をこわし、押しつぶす。だから、単細胞生物より、さらに小さい、細胞壁など持たないむき出しのDNA、RNAといった遺伝子レベルサイズのウィルスには効かないわけだ。

 インフルエンザに罹り、医者でタミフルなどの抗ウィルス剤と抗生物質の両方を処方してもらうことがあっても、それは、抗生物質がインフルエンザ ウィルスに効くわけではなく、インフルエンザによる体力低下時に、細菌性の感染症に罹らないように予防的に処方しているに過ぎない。その予防効果にも疑問 がもたれ、単に耐性菌の出現を加速させるだけの結果に終わっているとの指摘もあり、再検討を迫られている、というのが現状のようだ。

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マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫(1989年)(その2、Jan.16追記)

■2)t-maru氏の2008.01.09付けコメントの前半部分について

「ヴェーバーがルターを取り上げているのは、あくまで「トポス」としてであり、問題設定の開設、導入部に過ぎません。羽入氏を含め多くの人がそこが本論であるように誤解しています。」

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2008年1月13日 (日)

マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫(1989年)(その1)

〔目次〕
****************
訳者序文
文庫版への序
著者序言
第1章 問題
1 信仰と社会層分化
2 資本主義の「精神」
3 ルッターの天職観念―研究の課題
第2章 禁欲的プロテスタンティズムの天職倫理
1 世俗内的禁欲の宗教的諸基盤
2 禁欲と資本主義精神
訳者解説
主要索引
****************

 Weberが遺した巨大な仕事の中で、この論文のみに執着することはあまり生産的ではない。なぜなら、安藤英治によって明らかにされたように、"Archiv"に発表した原論文に対して、彼の晩年に刊行された現論文は徹底した改訂が施されているからである。

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2008年1月10日 (木)

"Beruf"- "Ruff"問題に関する沢崎氏の見解

t-maru 氏から、下記のコメントを戴いています。行論上、箇条書きにし、この記事では沢崎氏と直接関連する2)のみ扱います。

1)ヴェーバーがルターを取り上げているのは、あくまで「トポス」としてであり、問題設定の解説、導入部に過ぎません。
羽入氏を含め多くの人がそこが本論であるように誤解しています。

2)それから「ルターの死後、ルターのあずかり知らないところでそれが”Beruf”に改訂されたのなら、確かにヴェーバーの議論は成立しない。」というのは、ルターが最初「状態」にあたる単語に翻訳していて、それが死後「Beruf」に改訂されたなら、という意味でruf(f)がBerufに改訂されたら、という意味ではありません。

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2008年1月 9日 (水)

インフルエンザと Max Weber

 橋本努氏のサイトに私の投稿が載った関係で、昨日はこのblogへのアクセス数は462件と急増した。これは予想通り。ところが、その記事別アクセス数をみると、102件、つまり、1/4を占めるのが、「インフルエンザA型」だ。これは予想外。

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2008年1月 3日 (木)

マックス・ウェーバー『職業としての学問』岩波文庫(1980年)(リンク追加)

 羽入氏の Weber に関する病跡学的(pathographic)な著書について3回()ばかり記事を書いた。

 Weber の精神疾患の発症については、これまで「父殺し」の側面から触れられる事ばかりで、今ひとつ私自身として釈然としなかった。その中で、 Emmy Baumgarten 恋愛問題との関連を一つの契機として示唆していたのは、故安藤英治氏だけだったように思う。

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2008年1月 2日 (水)

日本 Max Weber 業界の「犯罪」?

 考えてみれば、故沢崎堅造氏(師というべきか)の業績を、70年間も埋もらせ続けたのは一人、羽入氏や折原氏の責任ではない。

 故沢崎氏は京大経済学部大学院の研究室に属し、その紀要である『経済論叢』という media に発表していた。厳密な意味で referee の審査がなかったにしても、編集委員は目を通していたわけだし、同窓の研究者仲間(出口勇蔵氏もその一人)もいたろう。

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